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宇多田ヒカル、新作『Fantôme』を大いに語る「日本語のポップスで勝負しようと決めていた」

2016年09月28日 12:01  リアルサウンド

リアルサウンド

宇多田ヒカル

 宇多田ヒカルが約8年半振りに通算6枚目となるオリジナルアルバム『Fantôme』をリリースした。演奏を日英の精鋭たちが、そして主なミックスをU2やサム・スミスの作品で知られるスティーヴ・フィッツモーリスが手掛けた本作には、配信限定でリリースされていた「花束を君に」「真夏の通り雨」と、人間活動中に突如リリースされた「桜流し」を含む全11曲が収録されている。


 タイトルの“Fantôme”とは“幻”や“気配”などを指すフランス語である。この言葉が意味する通り、本作は、彼女から2013年に逝去した自身の母へと捧げる一枚である。


 リアルサウンド初登場となる今回のテキストは、アルバム完成直後に行われたオフィシャルインタビューのなかから、レコーディングのプロセスやゲストアーティストに特化した発言を中心に構成した。多くのリスナーが待っていた、そして宇多田自身にとっても間違いなく重要なアルバムとして位置付けられるはずの本作はどのように作られたのか。ぜひご一読いただきたい。(内田正樹)


(関連:宇多田ヒカルの新作『Fantôme』先行レビュー! 多彩なサウンドがもたらす「驚き」について


■「言葉が自分のなかですごく重要だった」


——アルバムは約8年半振り、本格的な活動再開はおよそ6年弱ぶりです。“人間活動”期間中はどのように音楽と関わっていましたか?


宇多田:超普通のリスナーでしたよ。私、テレビはほとんど観ないので、音楽チャンネルとかも観ないし。ラジオはたまに聴いても、何か古いブルースのやつとか、そんなんばっかりでした。新曲も聴かなかったし、前から普通に好きな曲とか、たまに音楽好きの人から「これいいよ?」とか言われてオススメされたのを聴いたり。あとは家で何かやっている時とか飲みながらかけていたとか移動中の電車とか歩いている時にイヤフォンで聴いていたとか。好きな曲があるとそれを繰り返し3日間ぐらいずっと聴いていたとか。歌ったりとかは全然していなかった。最後のライブ(2010年12月)以降、ほぼ歌っていなかったです。


——本当ですか?


宇多田:うん。自分でもちょっとびっくりするぐらい、全く歌っていませんでした。だから今年の2月から本チャンの歌入れが始まるって気付いて。去年の12月ぐらいから、「ヤバい。じゃあトレーニングしないと声マズい」と思って、毎日声を出し始めました(笑)。


——『Fantôme』の制作が本格的に始まったのはいつ頃からでしたか?


宇多田:去年の3月頃からでいいのかな。それ以前から作業していた曲もあったんだけど、3月以前は休止前のゆるやかな延長上にあった気がするので。東京で何人かのミュージシャンのかたにお願いをして、私がプログラミングした音を差し替えるようなレコーディングをお願いしたんですが、その時に全く完成形が見えなくて。逆に「なんかちょっとイメージと違うな」とか「もっと練らなきゃな」とか、ぼんやりと課題が見えてきて不安だけ残った、みたいな感じだったんです(笑)。


——ほお。


宇多田:で、そこからとりあえず「真夏の通り雨」が1曲完成して。やっぱり歌詞が完成して歌を入れないと掴めなかった。特に今回は言葉が自分のなかですごく重要だったので。実は「真夏の通り雨」はその後、ロンドンで一度歌入れにトライしていたんですけど、その時は私が妊娠後期を完全にナメてて歌えなかったんです。東京からスタッフに来てもらっているのに、「マジか……もう、ほんっとにごめんなさい!」ってなって。「いやいやいいよ~」なんて言われたけど、「よかないだろ……」と。あれはショックでしたね。


——あらららら。


宇多田:今回はスケジュールが一番のプレッシャーでしたね。というのも、説明すると基本的にはロンドンでレコーディングしたので、主要スタッフが三度に分けて歌やバンドの音をレコーディングするために、東京から来てくれていたんです。するとそんなに長期でダラダラと滞在させちゃうわけにもいかなくて。皆さん日本で他のお仕事もあるし(笑)。結局、作業の後半は自分でものすごく過密なスケジュールの組み方をしちゃって。ほら、原稿とかで言うじゃないですか、〆切を……


——「落とせない」?


宇多田:それそれ!(笑)。まさに「落とせない」というハンパじゃないプレッシャーに襲われて。とにかく風邪をひかないようにしなきゃとか。ちょっと息子がくしゃみすると「え!?」みたいな。旦那が咳をしても「え、喉痛いの? 大丈夫? ジュース飲む? キャンディとかあるけど」みたいな(笑)。もうすごい緊張感でした。


■「日本語の“唄”を歌いたかった」


——その緊張状態が好転したというか、エンジンがかかってきたのはどのあたりからでしたか?


宇多田:初めてパソコンで歌詞を書き出したんですよ、作詞の最後のほうで。今回、特に歌詞が難しかった「花束を君に」と「真夏の通り雨」は、かなり時間がかかったんです。幾つかのキーワードがぽつぽつと浮かんで来ても、題材がデリケートなだけに上手く進まなくて。あと自分でも書くのがセラピーみたいな感じもあったので。でも途中からさっきお話したスケジュールのこともあって、かなり集中的に巻いてかなきゃならないような時期に差し掛かると、“1週間後に絶対2曲”とか、以前の私からしたら絶対不可能なペースで歌詞を仕上げなくちゃならなくなって。それまではトラックを繰り返し聴いて、ひたすら歩いたりカフェに入ったりして、ノートに書いたいろいろな言葉を転がして転がして、という感じだったんだけど「もうそんなヒマねえ!」と。キャンディも噛み砕いたらすぐ飲んじゃうようなテンションで。


――ガリッ! ゴクリ! みたいな?(笑)。


宇多田:そうそう(笑)。で、家でラップトップの前に座って音を聴いてどんどん書いていっちゃおうと思ったんですよ。もう出てきた言葉をどんどんぶち込んで羅列して(笑)。で「違うな」と思ったら別の候補に差し替えたり。パズルを組み立てていく感じで。これまではノートに手書きだったんですが、それだと雑な字で大きく書いたりしているから、10とか20にページがまたがるとまとまって見返し辛いじゃないですか。そうしたら意外と2日で書けちゃったりして。作詞は長いと3カ月とか、ヘタすれば1年なんてこともあったのに。だからスタッフも驚いて。私は「ふふふふふ」と(笑)。


——些細な発想の転換が勝因に繋がったんですね。


宇多田:自分でもびっくりでした。それでクオリティが落ちたわけでもなかったし、よかったなって。過程や資料という意味では何も痕跡が残らないけど、まあそれも今回はこういうアルバムだしすっきりしていていいのかなって。


——今回の作詞からは日本語を重視しているという印象を受けます。実際、英語と仏語のフレーズがありますがそれもごく僅かですし。これは最初から決めていたプランだったのですか?


宇多田:いま思い出しましたけど、そう言えば1年半くらい前から「次のアルバムは日本語で歌うことがテーマ」と話していましたね。日本語の“唄”を歌いたかったんです。「真夏の通り雨」も始めから日本語だけの歌詞にしたかったし、日本語で歌う意義や“唄”を追求したかった。いまの自分の感覚だと、英語を使うことが“逃げ”に感じられて。あくまで自分の話ですけど、私の場合、歌詞に英語を用いる時は日本語ほど重要ではない言葉選びとか、シラブルの数が合うからとか、言いたいことを意図があって英語で言い直すとか、そんな感じだったんですね。まあ『First Love』の時はあの時なりに重要な使い方をしたりもしていたんですが。でも今回はそういうやり方だと「100パーの本気じゃない!」みたく思えて。だから本当に必要な言葉だけを並べて、しかもそれが自然と染み入るような日本語であって、尚美しいと思ってもらえる歌詞を目指したかったんです。


——「花束を君に」と「真夏の通り雨」の2曲は、まず4月に配信限定でリリースされましたね。


宇多田:正直、どんな反応が返ってくるのかがすごく不安でした。私、この2曲の作詞で気付いたんですけど、何だかんだ言っても、すごく素直に思ったことを歌詞に書くタイプなんだなって。それが初めて分かったんですけど……。


——あの、すみません……そこ、いまですか? 今更ですか?(笑)。


宇多田:いや、いままでも振り返ると露骨に出していたんだなって。これでも考えていたつもりだったんですよ。最初の結婚の後は「結婚したからどうこうみたいな先入観で聴かれるのはイヤだな」とか思ったし(笑)。今回はそれのもっと極端で難しいバージョンみたいなアルバムだったから。それでも「花束を君に」は国民的な番組(NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』)の主題歌だったので、いつにも増して意識的に間口を広げて作詞をしたんです。オフコースとかチューリップとか、休んでいた頃に好んで聴いていたエルトン・ジョンの「Tiny Dancer」(※「可愛いダンサー~マキシンに捧ぐ」。1971年)の和のバージョンみたいなものをイメージしながら、軽やかな感じの“開いた”曲を目指して。いろんな状況で、いろんな人に当てはまる曲になればと思って。


——なるほど。


宇多田:でもリリースされたら「これ、お母さんのことじゃない?」とすぐに気付いた人が多かったみたいで。しかも同情というわけでもなく、そこを踏まえつつ感情移入してくれていて。それが私にはすごくポジティブに感じられたんです。もうみんな次のアルバムは「お母さんのことだ」と分かっているんだから、なおさら母の顔に泥を塗ることのない、最高の作品にしなければと強く思いましたね。その後に残っていた歌詞を書く上で背中を押されたというか、とても勇気になって。(この2曲を除く)アルバムのほとんどの歌詞は、そこからの約3カ月で一気に書き上げました。


——本当に? ものすごい巻きっぷりだったんですねえ。


宇多田:最短記録です(笑)。まあそこまでが6年とか長かったけど(笑)。もちろん休んでいた期間とかそれ以前からあった元ネタもあったけど、本当に基礎みたいなものだったし。だから本当に4月から7月までの3カ月で一気に作ったんです。


■「林檎ちゃんとだったら顔を合わせなくてもデュエットできる」


——ここからは3組のゲストアーティストについて聞かせて下さい。まずは同期デビューの椎名林檎さんから。伝説の東芝EMIガールズ再結成が遂に実現しました。


宇多田:林檎ちゃんとはかれこれ長い付き合いになりますね。ずっと何か一緒にやろうと言いつつも、私が人とコラボができるような態勢じゃなかったので。スタジオでスタッフとディスカッションしていくうちに彼女の名前が挙がって、「あ、素敵かも」と思ってオファーしました。前にやった雑誌の企画(※雑誌『SWITCH』2014年11月号にて二人のSMSを掲載)をきっかけにまた頻繁にやりとりするようになって。日常と非日常の危うい関係を表現したかったので、母であり妻でもある二人なら説得力が増すし面白いかなと。私は子供が出来るまで“日常”というものがなかったので、日常を手に入れた分、非日常的なスリルを求める気持ちも分かるようになったんだと思います。


——椎名さんとはスタジオで一緒に歌入れを?


宇多田:お互いのスケジュールの都合もあってデータのやりとりでした。他の二人(のゲスト)とは初対面だったから向き合ってコラボレーションしましたが、林檎ちゃんとだったら顔を合わせなくても不自然じゃない形でデュエットできると思ったので。それこそキャリア的に同じ感じというか、長年同じようなポジションでやってきた者同士なんで「まあ大丈夫っしょ!」というか(笑)、「逆に説明とか要らないっしょ!」という気持ちもちょっとありました。お互いメールでも会った時も音楽の話はほとんどしないし、近況とか、本当に普通の話をしていた流れで実現したという感じでしたね。


——「ともだち」の小袋成彬さんは?


宇多田:この曲のサビの歌詞が出始めた段階で、「私一人で(ボーカルを)引っ張るの、つらいかも」とディレクターに相談したら、彼が以前から注目していた小袋さんを教えてくれて。音を聴いてみたら「なにこの人!? すごく良い!」と思って、すぐコンタクトしてもらいました。私、母親以外の歌手に歌入れを始めから終わりまでじっくり見られたの、今回の小袋さんが初めてだったんですよ。


——ああ、そうだったんだ?


宇多田:そうそう。「何かすげえ歌の上手い人に見られてるんだけど、私、大丈夫かな?」とか思いつつ(笑)。ちょっと緊張しましたね。あと「荒野の狼」という曲は、「ともだち」の歌入れの後に小袋くんとお茶していた時、互いにヘッセが好きという話になって、『荒野のおおかみ』という小説を思い出したことがきっかけで歌詞が書けました。


——「忘却」のKOHHさんについては?


宇多田:少し前に友達から教わっていてファンだったんです。この曲、初めはインストのつもりだったんですが、ラップを入れてはどうか? という提案がスタジオで持ち上がった時、ディレクターに「KOHHって人がいるんだよね」って言ったら「それ素敵!」と盛り上がって。オファーしてみたら、実はお互いファンだったことが分かって(笑)。それで決まりました。


——彼が自分の半生をラップして、それに呼応して宇多田さんが自分の死生観を歌うというこの掛け合いは、どのようなプロセスを経て出来たのですか?


宇多田:まず私のパートを作り、彼に私の“忘却”と“記憶”に関する考え方を伝えると、何日かかけて彼が言葉で応えてくれました。迷った時は私が「こっちかな」と言うと「だよね」という感じで確かめ合いながら。生き方を考えることは死に方を考えることと同義だと私は思うので、これまでの人生を振り返りながらこれから向かうところに思いを馳せました。「いつか死ぬ時 手ぶらがbest」という最後の一行に全てが凝縮されています。


——この曲、ゲストというか曲の大半がKOHHさんのラップですよね。


宇多田:私、長いラップパートが好きなので、彼に頭からいきなり1分丸ごとお任せして(笑)。他の人の言葉が自分の曲に混ざることも今回この曲で初めてだったので、最初は「どういうふうになるんだろう?」と思いましたけど、自然と真ん中で落ち合えました。最後のオルガンは彼からの提案でした。私の中では天に召されるイメージに感じられたので、レクイエムという感じかな。


——KOHHさんが90年生まれ、小袋さんが91年生まれと、互いに同世代で、かつどちらもおそらくは宇多田さんの音楽を幼少期に体験していたのかな? という世代とのコラボとなりましたね。


宇多田:偶然にも同世代でしたね。二人とも「小学生の時にこうで」とか「中1の時にこうで」とか「クラスに似ていた子がいて」という話を聞いて「なるほどなあ~、そういう感覚なんだ」と(笑)。


■「今回の制作は『受け入れて、受け入れられる』というプロセス」


——本作の宇多田さんのボーカルは、以前よりグッと力強くなったという印象を受けます。あとは日本語を丁寧に伝えようとする姿勢が感じられます。


宇多田:日本語のポップスで勝負しようと決めていたので、言葉をしっかりと伝えたくて、以前よりも意識して丁寧に歌いました。


——その歌をクリアに伝えるためか、アレンジも厳選に厳選を重ねた音だけが鳴らされているように感じられました。


宇多田:やっぱり日本語の唄は声と歌詞が前面に出てこないと成立しないので、トラックは極力少な目にしました。そういえば最近好んで聴いていたのも、Rhye、HOT CHIP、 D'Angelo、Atoms For Peace、THIS MORTAL COIL、Julie Londonとか、トラックが少なくて聴きやすいものばかりでしたね。


——個人的に、ラストの「桜流し」から、また一曲目の「道」に戻って繰り返し聴く感じが好きです。物語がループする感じというか。


宇多田:ありがとうございます。そこはこだわりました。「桜流し」は最後にしか置きようがなかった曲でしたね。これまでは製作チームに打診されたものをみんなで議論しながら固めていたのですが、今回は初めて自分で曲順を決めました。いろいろな意味で、私自身、自分のプロジェクトのリーダーという立場に進んで納まった制作となりました。母を亡くしたことや自らが母親になったことで、急激に大人にならざるを得なかったけれど、必死に前へと進んだことで、今までに無い自信を得ることができました。


——では最後に、まだ完成を迎えて間もないタイミングですが、『Fantôme』は宇多田さんにとってどのようなアルバムになったと思いますか。


宇多田:今回のアルバム制作は「受け入れて、受け入れられる」というプロセスでした。作ること自体が究極のセラピーだったというか。母の生前はいろいろなことを公にできず、自分を制限していた部分もあったのですが、彼女の死とともに全てが公になって、自分に課していたセンサーシップ(=検閲)のようなものが無くなった。彼女が亡くなってすぐの頃は「もう音楽なんて書けないかもしれない」と思っていましたが、いざ書き初めてみると、羽ばたくぐらい自由に言葉が選べました。またその分、言葉の持つ力や難しさもあらためて感じました。


——表現が直接的にお母様を連想させる歌詞もそうではない歌詞も、極めて私的なモチーフを起点に生まれた曲が、多くの人と共有可能な高いクオリティのポップソングへと結実している。その手腕にただただ感心させられました。


宇多田:でも“お母さん”って最もポップな題材じゃないですか。多分ほとんどの人にとっても、母親か、もしくはそれに当たる存在がいるわけで、そこから自分の核なる部分や、自分だけの世界を形成していくわけでしょ? それってめちゃくちゃポップなことだと思うんですよ。


——そうか。そう言われると目の前が開ける思いです。


宇多田:それで「花束を君に」を好意的に受け入れてもらえたんじゃないかという気もするし。だからいまはリスナーさんに対して、これまでで一番強く信頼を感じています。一曲目の「道」の歌詞でボツにしたフレーズで“もう大丈夫”というのがあったんです。「もう大丈夫」ってみんなに言いたかった。そういうアルバムだったんじゃないかな。今後も音楽は続けるけど、こんなアルバムは二度と作れないだろうと思っています。