トップへ

薬師丸ひろ子はアイドルとは別種のスターだった “女優にして歌手”の軌跡を振り返る

2016年09月26日 16:51  リアルサウンド

リアルサウンド

薬師丸ひろ子『Cinema Songs』

 薬師丸ひろ子が歌手デビュー35周年を記念して、自ら選んだ12曲の映画音楽をカバーしたアルバム『Cinema Songs』を11月23日にリリースする。発売に先立ち9月25日に、収録曲の中から「戦士の休息」と「セーラー服と機関銃~Anniversary Version~」の2曲が先行配信された。


(関連:薬師丸ひろ子、ボーカルの説得力はどこから? 歌手35周年アルバム『Cinema Songs』を紐解く


 「戦士の休息」は、薬師丸のスクリーンデビュー作である『野性の証明』(79年)の主題歌。オリジナルを歌ったのは町田義人、作詞は山川啓介、作曲は大野雄二だ。「セーラー服と機関銃」(81年)は主演第3作となる同タイトル映画の主題歌で、薬師丸の歌手デビュー曲となった。


 つまりこの2曲は、映画および歌それぞれにおける彼女のデビューを彩った楽曲であり、それぞれのキャリアを溶け合わせるかのような『Cinema Songs』というこのアルバムをよく象徴する選択となっている。アルバムのリリースにあたり「自分なりの映画への愛というか、ラヴレターのようなものかもしれないと思ったりしています」というコメントが彼女からは出されている。


 そこでこの2曲、「戦士の休息」と「セーラー服と機関銃」を起点に、薬師丸ひろ子という女優にして歌手の軌跡を振り返ってみようというのがこの稿の目的である。


・角川映画とメディアミックス


 『野性の証明』は、角川映画第3弾として1978年10月に公開された。主演は高倉健。薬師丸は、本人が知らぬ間に応募されていたオーディションに合格し出演が決まった。年齢をはじめとして役の条件に合致していない部分があり、もう一人残った応募者に決まりかけていたところを、角川春樹が強く推して合格させたというのはよく知られた逸話だ。薬師丸の将来性を見込んだ角川は、審査員だったつかこうへいに裏で耳打ちをし、強引に合格に持ち込んだのである。


 当時、角川春樹は、映画と原作の書籍を連動させて相乗効果を狙うメディアミックスを仕掛け始めたところで、CMや広告、チラシやポスターなどが大量に出稿されていた。映画化と同時に文庫のカバーを映画仕様のものに掛け替えて売り出すのも常套手段だった。それらの写真や映像では、眼光の鋭い少女が口を固く結びキッと睨みついていた。


 その少女が14歳の薬師丸ひろ子だったわけだが、テレビで、新聞雑誌で、街で、書店で、その凜々しい表情を何度となく見せつけられた人々(というか我々)は、映画が公開される頃には、もはやすっかり彼女に魅入られていたのだった。


 角川映画は、映画主題歌を積極的にフィーチャーし、露出を増やして売上に結び付けていくことにも早くから意識的で、第2弾『人間の証明』の主題歌であるジョー山中「人間の証明のテーマ」は40万枚を超え、「戦士の休息」も約20万枚のヒットを記録した。


・アイドルとは別種の存在感


 薬師丸ひろ子の歌手デビューもこのメディアミックス戦略の延長線上で果たされることになるわけだが、彼女はそれまで歌うことを固辞しており、満を持して売り出しが仕掛けられたわけではなった。それはむしろ瓢箪から駒が出たようなハプニングだった。


 『セーラー服と機関銃』の主題歌は、作詞が来生えつこ、作曲が来生たかお。当初は「夢の途中」というタイトルで、歌唱も来生たかおがすることになっていた。ところが監督の相米慎二が薬師丸に歌わせたらどうかと言い出したことで、にわかに彼女のバージョンが主題歌となる。事後的に知らされた角川春樹はひとつだけ注文を付けた。それでタイトルが映画と同じ「セーラー服と機関銃」に変更された。


 この曲は80万枚を超える大ヒットとなった。角川春樹事務所は、主演女優に主題歌を歌わせてアイドル化する手法を敷衍して、原田知世、渡辺典子というスターを生み出していく。薬師丸、原田、渡辺は俗に「角川3人娘」と呼ばれたりした。


 当時の記憶はもうおぼろだけれど、不思議な、独特な歌い方だなと思ったことは覚えている。セーラー服を着て、特に振りもなく棒立ちに近い感じで歌う姿に、スクリーンの印象よりちょっとイモくさいな(失礼!)と思ったような気もする。この曲が発売されたのは81年の暮れで、松田聖子の登場でアイドルブームが起こった少しあとのことだ。ブームのピークを象徴する意味で82年組と呼ばれる小泉今日子、中森明菜、早見優らはまだデビューしていない。


 薬師丸の歌手活動はあくまで映画のプロモーションという位置づけだったため、他のアイドルに比べてテレビで目にする機会はぐっと少なかった。もとより角川春樹事務所は薬師丸の希少性を高めるためにメディアへの露出を制限しており、基本的にはスクリーンでしか会うことができなかった。その戦略が功を奏して、社会現象ともいわれた薬師丸ひろ子の爆発的なブレイクに繋がったことは間違いないだろう。『セーラー服と機関銃』の公開初日、関西の映画館で薬師丸の舞台挨拶が予定されていたのだが、押し寄せた人々が路上にまで溢れ返り、警察が出るわ機動隊が出るわの騒ぎが起こって中止になってしまった。それほどの人気だったのだ。


 だが人気絶頂の最中、大学進学のため休業に入ってしまい、ファンは飢餓感をさらに募らせることになるのだった。


 そんな独自の存在感だったため、82年組の登場も薬師丸の人気に影響することはほとんどなかったように思う。アイドルのような人気ではあったけれど、アイドルとは別種のスターだったのである。


・昔からのファンも新しいファンも楽しめるカバー


 薬師丸は現在までに、15本の映画に主演し、21枚のシングルと9枚のオリジナルアルバムを発表している。13年にリリースされた前作『時の扉』もカバーアルバムで、日本のスタンダードな楽曲を選んで歌ったものだ。


 2000年代は音楽活動は実質休止状態だったが、10年代に入ってからはコンサートも再開し、また主演映画『わさお』(11年)で22年ぶりに主題歌「僕の宝物」を歌うなど活発になってきており、特に『時の扉』以降は精力的に活動を展開している印象である。NHK連続テレビ小説『あまちゃん』の女優・鈴鹿ひろ美役で「潮騒のメモリー」を歌ったのも記憶に新しいところだ。


 大学入学後、活動を再開してからももちろんたくさんトピックはある。「探偵物語」が松本隆—大瀧詠一コンビで書かれており、以降松本が作詞の定位置を占め、アルバム『花図鑑』(86年)でついに松本のトータルプロデュースになるとか、いくらでもトピックはあるのだが、それらを全部書くには残念ながらスペースがだいぶ小さいようだ。


 薬師丸の歌声の美点として、透明感、特に高域の透明感をあげる人は多い。長いブランクがあったのに不思議と声に衰えが感じられないなと思っていたら、声が低くならないよう声楽の先生に就いてレッスンを続けているのだというインタビューが最近出ていた。(参考:『日刊スポーツ』16年9月18日付「薬師丸ひろ子歌手35周年アルバム思い込めた12曲」http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1711624.html)


 今回先行配信される「セーラー服と機関銃~Anniversary Version~」のアレンジは、オリジナルの雰囲気の核を残そうとしているように見受けられるから、声に注意して聴き比べてみると面白いだろう。薬師丸はAnniversary Versionについて「大人になったらなったでこういう歌だったのかと新しい発見があり、同じ歌なのに新しい歌に取り組むようなところがある。それに、もう、この歌は、聴いてくださる人たちのものになっているような気がします」とコメントしている。


 「戦士の休息」は、町田義人のオリジナルとはアレンジから何からまったく別物で、あの哀切な楽曲が、こうまで包み込むような優しさを湛えた歌に変貌するものかと驚いた。


 いずれの楽曲も、35年の蓄積を感じさせつつも、往年の輝きを失っていない。昔からのファンも、新しいファンも、それぞれの薬師丸ひろ子のイメージを重ねて味わえるカバーに仕上がっているのではないかと思う。(文=栗原裕一郎)