プロ野球もいよいよ最終盤。順位が決まり始めると、毎年のことながら今シーズンをもって引退を表明する選手がちらほら発表されはじめる。10月1日からは戦力外通告の期間がスタートするなど、球界を去る人たちがクローズアップされる時期である。
今年9月19日に引退を表明した横浜DeNAベイスターズの三浦大輔は、1991年のドラフト会議で大洋ホエールズ(当時)から6位指名されて入団した。
同期入団のドラフト1位は東北福祉大学の斎藤隆。もともと野手だったが、大学在学中に投手に転向した異例の経歴の持ち主で、大洋と中日の2球団競合の末に獲得だった。横浜で長く活躍した後にメジャーリーグに渡り救援投手として大活躍をしたのは記憶に新しい。
そんな斎藤とともに若くして頭角をあらわし、12勝をあげて1998年の日本一に貢献したのが三浦だった。
■下位指名という「劣等感」を乗り越えるために練習をする
今でこそ三浦といえば横浜DeNAベイスターズ不動のエースというイメージがあるが、そもそもは無名高校から下位指名された投手。まさに雑草魂でレベルアップを重ねてきた、努力型の選手だった。
2012年に出版された著書『逆境での闘い方』(大和書房刊)のタイトル通り、三浦は常に逆境と対峙しながら戦いを続けてきた。
本書の中で、彼は「これまで自分は野球がうまいと思ったことはない」と語り、自分の中にある劣等感について述べている。
中学、高校と強豪校に進めていたら、またはドラフトで上位指名をされていたのなら、今のような考え方にはなっていなかったのかもしれない。だが現実は、無名の高田商業出身のドラフト6位の選手。「野球がうまい」とは思えなかった。
(『逆境での闘い方』21pより)
三浦は1993年、2年目にして初勝利を飾る。高卒2年目の投手が1軍で勝利をするのは今のプロ野球においてもあまり見られないこと。しかし、三浦は初勝利に慢心しそうになる自分を戒めていたという。
「俺は劣等生じゃないか。もともとピッチャーの枠なんて考えられる身分じゃないだろ。即戦力だけがライバルじゃない。ピッチャー全員がライバルなんだ。絶対に負けない。気持ちだけでも負けなければ必ずチャンスは訪れる」(『逆境での闘い方』22pより)
■上からも下からも認められるには一生懸命やるしか方法はない
ここまで泥臭く自分を追い込んで上を目指そうとする選手はいるのかと思えるくらい、本書から読み取れる三浦の努力はすさまじい。
「はっきりいって、やっていても何の面白味も感じない」とまで言い切るほど、自身は練習が嫌いだそうだが、実際のところは練習の虫だ。
それはなぜか?
シンプルに「勝つため」だ。勝てば認められるし、負ければ人は離れていく。うまくなって勝ちたいのであれば、練習をするしかない。それだけのことなのだ。
三浦大輔の引退試合は9月29日、横浜スタジアムでの東京ヤクルトスワローズ戦で開催される。
今年、球団史上初めてクライマックスシリーズ進出を決めた横浜DeNAベイスターズ。その本拠地最終戦で三浦が躍動すれば、チームが盛り上がり、台風の目になる可能性もある。彼の「ラスト登板」はどんな投球術を見せてくれるのか楽しみだ。
(新刊JP編集部)