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『徳山大五郎』『ラブラブエイリアン』『HiGH&LOW』……深夜ドラマが生み出す新たな潮流

2016年09月24日 20:21  リアルサウンド

リアルサウンド

リアルサウンド映画部

 今年の夏ドラマは一言で言うと「不調」だった。


参考:中村蒼、竹内涼真、竜星涼……夏ドラマ“報われない系男子”役で頭角を現した俳優たち


 朝ドラの『とと姉ちゃん』と大河ドラマの『真田丸』(ともにNHK)を除くと、平均視聴率が10%を越えていたのは『家売るオンナ』(日本テレビ系)と『仰げば尊し』(TBS系)『刑事7人』(テレビ朝日系)のみ。もはや10%割れは当たり前で、6パーセント台のドラマが出てきても驚かなくなった。視聴率が全てとは言わないが、今年に入ってからの民放のゴールデンで放送されている連続ドラマの停滞感は目に余るものがある。


 これまではドラマの人気が落ちていると、エンターテイメントを楽しむ時間が、携帯電話やSNSのコミュニケーションに奪われているからだ、と語られていた。しかし、今年の夏は映画では『シン・ゴジラ』と『君の名は。』が口コミでメガヒットしており、ゲームでは『ポケモンGO』が社会現象となった。これらの作品はむしろ、SNSと結びつくことで大きな盛り上がりを見せている。もはやSNSは映像作品の敵ではなく、興業を盛り上げるために必需品となっており、映像作品を含めた娯楽産業をめぐる状況は次のステージに入っているのだが、テレビドラマだけが置き去りにされているというのが正直な実感だ。


 そんな中、かろうじて奮闘しているのが深夜ドラマではないかと思う。


 アイドルグループの欅坂46が主演を務める『徳山大五郎を誰が殺したのか?』(テレビ東京系)は、教室にあった担任の死体を見つけた欅坂46の女子生徒たちが犯人を捜そうとするドラマだ。ナンセンスなコメディにも見えるが、担任の死体が横たわる教室で戯れる少女たちというモチーフはミステリアスで、色々と深読みをしたくなる。見ていて楽しいのは、生徒たちが寸劇をしたりスマホで撮影したりする、物語とは関係のない場面。青みがかった暗い色調の映像も独創的で、多様な解釈ができる面白さがある。


 AKBグループのアイドルや若手新人女優が主演のドラマにおいて、第一に優先されるのは、出演している女の子をいかに魅力的に撮るかだ。逆に言うと、女の子さえかわいく撮れていれば、後は何をやってもいいとも言える。


 例えば、永野芽都が主演を務める、紙袋を被った男子高校生に恋する女子高生の姿を描いた『こえ恋』(テレビ東京系)と、手のひらサイズの宇宙人と同居することになった女性たちのガールズトークが延々と繰り広げられる『ラブラブエイリアン』(フジテレビ系)。どちらも、ド低予算のためかドラマとしては作りが緩いと感じる面も多々あるが、映像が綺麗で女の子たちがかわいく撮られていたため、PV的な面白さがある。


 こういった、物語よりも女の子を魅力的に撮ることを何よりも大事にしているスタンスは、深夜に放送されている萌えアニメを彷彿とさせるのだが、実際、深夜ドラマと深夜アニメには共通点が多い。


 元々、90年代以降のテレビドラマにはアニメの消費形態を追いかけている側面はあった。『新世紀エヴァンゲリオン』のヒット以降、テレビドラマでも、『踊る大捜査線』(フジテレビ系)や『ケイゾク』(TBS系)といった視聴率が低くても、ビデオやDVDのレンタルやテレビの再放送で人気に火が付き、のちに映画化されるという、視聴率とは違う評価軸で盛り上がるマニアックな作品が増えていった。90~00年代に生まれた連ドラから映画になるというイベント化の流れは、現在の深夜ドラマにも大きな影響を与えている。


 闇金業者に借金をする債務者たちが転落していく姿を生々しく描いた『闇金ウシジマくん』(MBS系)は、今回でSeason3となり、9~10月に劇場版が二作公開される。本作は毎回連続ドラマの終了後に映画版を制作しており、連続ドラマから劇場版へという流れがイベント化している。他にも、『ディアスポリス 異邦警察』(MBS系)や、『HiGH&LOW~THE STORY OF SOWRD』(日本テレビ系)など、テレビシリーズ終了後に映画化される深夜ドラマは近年増えている。これらの劇場版はテレビ局主導で作れていた『踊る大捜査線』や『ケイゾク』に較べると小規模だが、熱いファンに向けたイベントとして盛り上がっている。特にEXILE TRIBEのメンバーが出演する『HiGH&LOW』はドラマや映画だけでなくライブやアルバム、SNS、コミックスなど様々なジャンルに広がっている。そのため、ドラマ版はあくまで『HiGH&LOW』というプロジェクトの一部でしかない。


 既存のドラマの作られ方から大きく外れているため『HiGH&LOW』や『徳山大五郎を殺したのは誰か?』といった深夜ドラマに対して、こんなものはドラマではないと違和感を覚える人も少なくないのではないかと思う。確かにこれらの作品は、特定のファンに向けて作られたドラマで、間口はとても狭い。しかし、その世界を一度受け入れてしまえば、深くて濃い世界が広がっている。特にビジュアル面では新しい表現が次々と生まれている。こういった深夜ドラマから生まれた新しい流れがドラマシーン全体に波及すれば、停滞する民放ドラマの活力となるのではないかと注目している。(成馬零一)