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宇多丸が語る、名著『ヒップホップ・ジェネレーション』をいまこそ読むべき理由(前編)

2016年09月24日 15:01  リアルサウンド

リアルサウンド

『ヒップホップ・ジェネレーション[新装版]』

 2007年に翻訳版が発売され、日本のヒップホップ・シーンでも大きな話題となった書籍『ヒップホップ・ジェネレーション』が、新装版となり9月16日に発売された。


 ヒップホップの成り立ちと時代ごとの変遷を、さまざまな問題を抱えるアメリカ社会との関わりとともに、丹念かつドラマチックに描いた本書は、ライムスター・宇多丸氏も「絶対に読んでおくべき決定的な一冊!」と絶賛していた。約10年近い歳月を経て、日本を含めて世界中のヒップホップシーンが変化した中、改めて本書を手に取ったとき、そこにはどんな価値が見出せるのだろうか。リアルサウンドでは、本書に推薦文を寄せている宇多丸氏本人にインタビューを実施。前編では、本書を再読して感じたことや、この10年でヒップホップシーンがどのように変容したかについて、じっくりと語ってもらった。聞き手は、音楽ライターの磯部涼。(編集部)


参考:RHYMESTERが示す、プロテストとしての音楽表現 DJ JIN「美しくあろうという気持ちが大切」


■宇多丸「サウス・ブロンクスの荒廃を、50年代の政策にまで遡って論じているのは新鮮」


磯部:2007年に本書『ヒップホップ・ジェネレーション(原題=Can't Stop Won't Stop:A History of the Hip-Hop Generation)』の翻訳版が刊行された際、宇多丸さんは「およそヒップホップについて何か論じようというのなら、絶対によんでおくべき決定的な一冊!――特に、「知ってるつもり」な貴方や私にとってこそ」という推薦文を寄せていますが(2刷より)、その評価は未だに変わりませんか?


宇多丸:繰り返しになっちゃうけど、これは本当に決定版ですね。ヒップホップの歴史を扱った本は、本書の前にも何冊かあって、出るたびに「決定版!」って言っていたんだけど、どの本も特に黎明期の話になると、取材相手によって言っていることが違ったりしているんですよね。僕もグランドマスター・フラッシュやカーティス・ブロウが来たときに話を聞いたことがあるんですけれど、それと擦り合わせても違うところが出てくる。でも、この本は、『ザ・ソース』のオールドスクール特集(93年)などを読んで自分なりに解釈していた黎明期の状況と、ほぼ一致していて、おそらく一番ちゃんと取材しているんです。「誰々がパイオニアだ」って言っても、それぞれいる場所も違うわけだから、複数の人に取材しないと事実って見えてこないじゃないですか。それに、ヒップホップ特有のボーストもあるしね。その問題を完全にクリアーにすることは不可能だけれど、複数の人の証言を統合すれば、大体の雰囲気はわかります。それに、当時のサウス・ブロンクスは荒廃していたってみんな言うけれど、そもそもなぜ荒廃したのか、50年代の政策にまで遡って論じているのは新鮮だった。


磯部:歴史を物語る上で、何処から、どのように始めるかは重要な問題ですが、その点、本書は、77年、ニューヨーク・ヤンキースの黒人選手=レジー・ジャクソンが、如何に野球界の人種問題と戦っていたかというエピソードからスタートしますよね。そして、ジャクソンの先達にあたる(近代)メジャー・リーグ初の黒人選手=ジャッキー・ロビンソンが引退後、人種統合を目指して社会活動を行った軌跡を振り返る。続いて、ヤンキー・スタジアムのあるブロンクスの歴史に話が移り、先程言われたように、50年代に始まるクロス・ブロンクス・エクスプレスウェイの建設によって、元々の住人が立ち退かされ、貧困者はサウス・ブロンクスの巨大団地に押し込まれてそこがスラム化する……という背景を説明した上で、そもそもの発端は、そのハイウェイの建設が決定した、1929年のニューヨーク地域計画協会による事業計画の策定にあるとさらに遡っていく。


 2章の舞台はジャマイカだし、いつヒップホップの話が始まるんだって感じなんですが、起点とされている77年が、ヒップホップ・カルチャーの黎明期であり、ニューヨーク大停電が起こった年であり、ドラマ『ゲットダウン』(バズ・ラーマン監督、16年)では、停電に乗じた若者たちが機材を盗み、ヒップホップのクルーが増加したと些かデフォルメして描かれていたように、全ては繋がっている。


宇多丸:あるいは、当時の社会状況や流行していたドラッグと、ヒップホップの歴史が並行してつぶさに書かれているから、本当に切り離せない問題なんだなってわかる。『ジャグラー ニューヨーク25時』(ロバート・バトラー監督)っていう1980年の映画で、サウス・ブロンクスに住んでいた白人が、「プエルトリカンや黒人に追い出された」って愚痴り方をするんだけど、なんでそういうセリフが出てくるのかとかも改めてよくわかったりして。だから、1章目を読んだ時点で「これはちょっと桁違いに研究した本が出てきたな」って思いました。たとえばドラッグの流行の話で言うと、ラン・DMCの時期にコカインが流行っていたことは、切り離して論じることはできないんですよね。流行していたドラッグが、ヒップホップの曲のノリにも影響してくるから。


磯部:70年代半ばから80年代初頭にかけてのサウス・ブロンクスを中心としたニューヨーク・シーンと、80年代後半、コンプトンからN.W.A.が登場してくる辺りに関してはかなり丁寧に書かれている印象でした。前者にしても、これまで、〝オールド・スクール〟と大雑把にひとまとめに語られていたタームについて、ヒップホップの4大要素と言われるBボーイング(ブレイクダンス)、グラフィティ、DJ、ラップは、それぞれ、別の歴史を持っていることだとか、実は70年代の終わりにヒップホップは一度、終わりかけていたものの、当時10代で、上の世代のカルチャーに憧れていたBボーイング・クルー=ロック・ステディ・クルーの連中が、言わばルネサンスのような形で再燃させたことだとかを細かく検証していく。そのねちっこい書きっぷりこそが、文化の複雑さと豊かさを明らかにするんですよね。


宇多丸:シュガーヒル・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」が、完全にセルアウトの権化として描かれていたりね。知識としては知ってたけど、筆致が本当に素晴らしい。79年の時点で、ブロンクスでは完全にヒップホップは廃れてて、フラッシュのパーティーにも客が入らなくて、みんな憤ってる感じとかさ、なんかもう笑っちゃったよ。「そうだったんだ!」って(笑)。4大要素についても、(グラフィティ)ライターの中には「グラフィティがヒップホップだとは思わない」って言っている人がいたり。


磯部:『ワイルド・スタイル』でヒロインを演じたピンクの発言ですね。続けて、「正直な話、私はディスコ・ミュージックを聴いて育ったの。グラフィティには独立体として長い歴史があるのよ」と語っている。他にも、ブレイドやシーン、イズ・ザ・ウィズは、自分たちが好きな音楽はジャズやドゥワップ、ロックだと言っているし、グラフィティの歴史家でもあるゼファーは、サイケデリック・アートの第一人者であるリック・グリフィンや、イエスやエイジアのジャケットを描いたロジャー・ディーンの影響を受けた者もいると分析している。


宇多丸:そういう部分もフェアに書いた上で、どういう意図で、どのタイミングで、それらがヒップホップとして統合されたか、虚構としての歴史化が行われたかがちゃんと検証してある。著者のジェフ・チャン自身も関わっているから、『ザ・ソース』の話もたくさん載っていて、ここも僕が「我が意を得たり!」って思ったところでした。僕は日本のタワーレコードで買っていた側なんだけれど、あの雑誌が創刊されたことで良くも悪くも批評が確立していった。特にデ・ラ・ソウルの影響でヒップホップが拡散されたときに、『ザ・ソース』がヒップホップを再定義化したことの功績は大きいと思っていて。もしあの雑誌がなかったら、ヒップホップはもっと普通にポップ化していてもおかしくなかった。


■宇多丸「ポリティカルな流れと並行して書くのに、都合がいいところをピックアップしている」


磯部:ただ、『ヒップホップ・ジェネレーション』には批判もあって、例えば、KRS・ワンは「学識が感じられなかった」とバッサリ切っています(unkut.com、07年)。まぁ、その主な理由は、同書の中で、彼が先導した〝ストップ・ザ・ヴァイオレンス・ムーヴメント〟が軽視されているってことなんですが。


宇多丸:確かにそうだね(笑)。


磯部:対して、ジェフ・チャンは「この本は決定版であることを意図していない。〝ヒップホップ・ジェネレーション〟について考える大きなウェーヴのための、小さな貢献であるつもりだった」というような反論をしています(公式ホームページ、07年)。と言うか、彼は前書きで「これは、世代(ジェネレーション)という虚構(フィクション)についての真実(ノンフィクション)の歴史である(略)。また、これはあくまで歴史の一つのヴァージョンにすぎない」「これ以外にも、ヒップホップ・ジェネレーションの歴史には数多くのヴァージョンが存在する。いつの日か、すべてのヴァージョンが語られることを祈って」と、ちゃんと断っているんですけどね。歴史を記述することが、ある種のフィクションを創作することだと認識しているのは、誠実な態度だと思います。


 とは言え、その創作の出来がどうかということを問われるのも仕方がないことであって、例えば、『ヒップホップ・ジェネレーション』では、詳しく語られるアーティストがかなり限られていますよね。オールド・スクールの後はパブリック・エナミーに飛んで、その次はN.W.A.って感じで、ラン・DMCもエリックB&ラキムも、そして、ブギー・ダウン・プロダクションズもさらっと書かれる程度っていう。その辺のチョイスについてはどう思いましたか?


宇多丸:ポリティカルな流れと並行して書くのに、都合がいいところをピックアップしているよね。でも、それ以上の理由はなくて、別にあまり取り上げていないアーティストを軽視しているわけではないのは、読んでいてもわかる。一方で、アメコミの『ヒップホップ家系図』(エド・ピスコー作/原題=Hip Hop Family Tree, 14~)なんかは、“みなもと太郎先生型”というか、同時進行でそれぞれの立場の人を描いていて、それはそれで歴史に一番近いのかもしれない。あれで初めて知った話もたくさんあるし。


磯部:あの本のトリビアの詰め込みは凄いですよね。一方、ストーリーの流れは意外と従来の歴史観に沿っているような気もしましたが。


宇多丸:まあね。でもとにかく、その時代までいくと当事者以外に語る人がいないから難しいよね。ちゃんと語れるのはわずかに10人とかの世界になっちゃって。


磯部:オールドスクールに関しての研究は『ヒップホップ・ジェネレーション』が出たあとにもさらに進んでいて、グランドマスター・フラワーズやピート・DJ・ジョーンズ、ザ・ディスコ・ツインズといった、いわゆる3大オリジン(クール・ハーク、グランドマスター・フラッシュ、アフリカ・バンバータ)以前/以外のDJにヒップホップのルーツを見出すドキュメンタリー『Founding Fathers: The Untold Story of Hip Hop』(Ron Lawrence & Hassan Pore, 09)も話題になりました。


 ただ、ラップにしても、ルーツはアフリカン・アメリカンの伝統文化であるダズンズだとか、幾らでも遡っていくことは出来るので――もちろん、その作業も重要なんですが、あまりにも壮大になって焦点がぼやけかねない。だからこそ、冒頭で言ったように何処から始めるかも重要で。つまり、ジェフ・チャンの『ヒップホップ・ジェネレーション』がこれだけ評価されたのは、彼が切り取った〝歴史〟の形が鮮やかだったからですよね。


宇多丸:そうだね。それこそ、みなもと太郎先生も言ってる。『風雲児たち』などの作品群の中で、一体どの物語が正しいんですか? って聞かれて、「どれも正しいんだ馬鹿野郎。私の本の何を読んでるんだ」って。最近だと、 アフリカ・バンバータに昔、性的虐待を受けたという男性の告発がニュースになっていたけれど、バンバータは当時、ブラック・スペード団の若頭で、強烈なホモソーシャル集団にいたわけだから、そういうことがあってもおかしくなかったのかなとも思う。KRS・ワンなんかは「バンバータが去った後には必ず死体が転がっている」って、ずっと言っていたからね。


磯部:バンバータの疑惑が本当なのだとしたら、音楽と人格は関係ないと言っても、彼の場合、音楽と思想が分け難く結びついていたので、がっかりされて当然だとは思いますけどね……。それにしても、何故、KRS・ワンって、オールドスクールのアーティストにあんなに冷たくあたるんですかね。『ヒップホップ・ジェネレーション』についても、クール・ハークが書いた推薦文をちょんけちょんに言っていましたし。


宇多丸:まあ、「綺麗事言いやがって」って気持ちがあるんじゃない? 「若者の未来を思って」って、どの口が言ってんだという。実際、彼もクルーではひどい目にあっていた可能性だってあるし。


■磯部「公民権運動の延長線上にあるということが分かりやすい状況になった」


磯部:ちなみに、本書はタイトルにもあるように〝ヒップホップ・ミュージック〟ではなく、あくまでも〝ヒップホップ・ジェネレーション〟について書かれたものなんですよね。つまり、ライムやトラックではなく、ムーヴメントについて書いている。そこも好みの分かれるポイントなのかなと。また、ここまではっきりと公民権運動の延長線上にヒップホップを位置付けるというのも、日本人としては理解しづらい部分もあるかもしれません。


宇多丸:単純に、音楽によって「ブラックカルチャーはクールである」っていう印象になるだけでも、それは大きな意味でヒップホップジェネレーションの前進と捉えることができるだろうから、そういう語り口も全然いいんだけど、かっこいいし楽しいけれど何でもないものって、位置付けがしにくいというか、位置付けてもしょうがないところがあるよね。ただそれが、歴史の発展と一致している時期というのがあって、僕は本書でもその時期についての文章がやっぱりいちばん面白いと思うし、わくわくするところなんだよね。


磯部:『ヒップホップ・ジェネレーション』では70年代から90年代半ばぐらいまでの話がメインで書かれていますけど、その後、ラップ・ミュージックではサウスが盛り上がって、一見すると、ニューヨークのオールド・スクールと断絶されていたり、コンシャスじゃなかったりするものが人気になっていったじゃないですか。だから、この本を読んだ時、素晴らしい内容だけど、現状と接続しにくいなぁと思ったんですよ。単に昔話として捉えられるんじゃないかって。ただ、その後、新装版の解説で高橋芳朗さんがフォローしているように、ケンドリック・ラマーが出てきたり、ブラック・ライヴズ・マターが起こったりして、今のラップ・ミュージックも、この本に書かれているような公民権運動の延長線上にあるということが分かりやすい状況になりましたよね。


宇多丸:そうだね。ケンドリック・ラマーが登場したのは、その間のことを考えるとかなり異質なことだけれど、逆に言うと、その間はどれだけ社会とヒップホップが離れていたかということでもあって。例えば最近は、同性愛に対する批判は辞めようというムードがあったり、やっぱり進化はあったんじゃないかな。これって、昔のことを考えるとびっくりするような変化だから。ヒップホップシーンも、ちゃんと変わるんだなって。


磯部:ただ、この本が面白かったのは、〝ヒップホップ・ジェネレーション〟と言っても、ヒップホップが社会を変えたというよりは、ほとんど暴走に近いような形で突き進んでいって、それに対し、ブラック・コミュニティの運動家やフェミニストがアプローチして軌道修正していったという話が結構出てくるんですよ。例えば、映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』(F・ゲイリー・グレイ監督、15年)には歴史修正主義的な側面があって、N.W.A.をまるでコンシャスなグループだったかのように描いていましたけど、彼らは警官だけでなく目につくもの全てに暴言を吐いていたわけで、女性蔑視的な側面も忘れてはいけない。で、本書では、アイス・キューブに、政治活動家のアンジェラ・Y・デイヴィスが女性にもリスペクトを払うよう、根気強く説得するシーンがあるんですよね。また、アイス・キューブのアジア人蔑視的な楽曲「ブラック・コリア」に、コリアン・アメリカンのコミュニティが抗議をして、やがて、和解に至るまでの過程も詳細に書かれていて読み応えがあります。


宇多丸:それって真実だよね。バンバータが言ってることだって、そういうことじゃない。元は不良のわけわからない文化を、こういうものだって方向付けることで、社会的に役立つ場合もあるという。


磯部:B・ボーイやラッパーは、もともと、ヒップホップ・カルチャーを政治運動としてやっていたわけではなくて、荒廃したサウス・ブロンクスの中でパーティを開催していたら、それが図らずも政治的な意味を帯びてしまった訳ですからね。


宇多丸:そうだね。チャック・DとかKRS・ワンを中心にして話をすると、ヒップホップをアーティストの自発的な運動みたいに考えてしまいがちで、日本でも80~90年代にはそういう捉え方があったけれど、なにも考えていなかったその他大勢を忘れちゃいけない(笑)。だから、この本は書き方がフェアだよね。そこは気をつけて書いていると思う。


■磯部「『ゲットダウン』は、オールドスクールの研究が進んだ中で、改めてそれをデフォルメした作品」


磯部:今回の新装版刊行にあたって改めてこの本を読んでみて、印象に残ったところはありましたか?


宇多丸:改めて納得したのは、サウス・ブロンクスのギャング団の感じとか。『ゲットダウン』に出てくる架空のギャング団が、どちらかというとロックっぽい格好をしているんだよね。『ウォリアーズ』(ウォルター・ヒル監督、79年)ってギャングの映画も、バンバータたちをモデルにしたっていわれているけれど、格好とかはちょっとロック風というか、白人風で。それは映画だからそういう表現にしているんだと思っていたんだけれど、ドキュメンタリーの『ラブル・キングス』(シャン・ニコルソン監督、15年)を観たら実際も同じような感じで。さらに本書を読み直したら、「ああ、なるほど」って、像として一致するところがあった。


磯部:『ゲットダウン』は、オールドスクールの研究が進んだ中で、改めてそれをデフォルメした作品という感じがしましたね。


宇多丸:それこそ、この本がなかったら作れなかったんじゃないかと思うくらい。サウス・ブロンクスの社会状況や、ポリティカルな背景も同時に描かれているから。


磯部:あと、ヒップホップが突然始まったわけではなくて、それまでのカルチャーからどう枝分かれしていったのか、みたいなこととか。


宇多丸:ラップっぽいことは、ヒップホップ以前からあって、それをどんな風に進化させて……って、もちろんフィクション化されてるんだけど、実に見事にわかりやすく説明されていて、面白かったな。


磯部:ラップのスタイルが時代と合っていないところがあるのはちょっと気になりましたけど。


宇多丸:そこね! 最初にフラッシュのパーティーに行ったとき、主人公が「うわー!」って衝撃受けて、いきなりラップすることになるんだけれど、ちょっとラン・DMC調だったりさ。相手のチームのラップとか、これ90年代でしょ? っていう感じだったり。掛け合いとかも、よく出来すぎてて。でも、フラッシュの顔は似てるなとか(笑)。


磯部:『ストレイト・アウタ・コンプトン』のドレと同じで、似せつつ、ちょっと男前になってましたね。それも、ある種の歴史修正主義なんでしょうか(笑)。(取材=磯部涼/構成=編集部)