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手嶌葵、ウィスパー・ボイスによる躍進 ターニングポイントとなる新作『青い図書室』を聴く

2016年09月21日 13:01  リアルサウンド

リアルサウンド

手嶌葵

おとぎ話の世界に迷い込んだとしたならば、最初に聞こえてくるのはきっとこんな声なのだろう。手嶌葵の歌を初めて聴いた時、こんな感想を抱いた。おそらく、彼女の歌声に魅了されたファンの方は、少なからず似たような第一印象だったのではないだろうか。世の中にウィスパー・ボイスを売りにするボーカリストは多数存在するが、彼女ほど物語や映像が浮かび上がるような明確さを持ち、そこはかとなく芯の強さを感じさせることはまずない。“雰囲気モノ”に逃げない確固たる世界観を築いているのだ。


 手嶌葵は、2006年にデビューしている。きっかけは1枚のデモCD。地元である福岡の音楽学校に通いながら、アマチュア歌手として活動していたが、オーディションを受けたことでヤマハとのパイプが出来る。そして、ヤマハの関係者を通じてスタジオジブリのプロデューサーである鈴木敏夫にそのデモCDが渡り、映画『ゲド戦記』の主題歌と声優の座をゲットする。こうして生まれたデビュー曲「テルーの唄」は、30万枚を超える大ヒットを記録し、手嶌葵という稀有なボーカリストの代名詞となった。


 このスタートは、良くも悪くも彼女のアーティスト性を決定付けることになる。例えば、2008年に発表した3作目のアルバム『The Rose ~I Love Cinemas~』は、彼女のルーツともいえる映画音楽のカバーで構成された作品だ。先述のデモCDに入っていたというベット・ミドラーの名曲カバー「The Rose」をはじめ、「Moon River」や「Alfie」といった大人っぽい歌唱が聴ける。また、同じく2008年発表のオリジナル・アルバム『虹の歌集』では、荒井由実の「CHINESE SOUP」や竹内まりやの「元気を出して」を歌い、70年代から続くニューミュージックの系譜に繋がる立ち位置をアピールした。しかし、こういったアプローチも、ジブリ映画のインパクトには霞んでしまう。2011年には『コクリコ坂から』でも、再度スタジオジブリから指名を受け、主題歌「さよならの夏 ~コクリコ坂から~」を担当。すっかりジブリ・ファミリーという印象を与えることになった。もちろん、彼女の成功という意味では申し分ないのだが、手嶌葵の歌世界はそれだけではないし、他のバックボーンを知られていないのはあまりにももったいないという感じがしていた。


 ただ、今年に入ってから、注目度が俄然アップしてきた。そのいちばんの要素は、フジテレビ系ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の主題歌「明日への手紙」のヒットによるものだろう。ファンタジックなアニメ映画から、王道の月9ドラマへと舞台を移した彼女の声は新鮮で、この曲によってファン層が新たに広がった。もちろん、魅力的なウィスパー・ボイスはそのままに、である。


 こういった変化や過程を経て自身を見つめ直し、丁寧に作り出されたのが、最新アルバム『青い図書室』である。まずは冒頭の「想秋ノート」に耳を奪われる。手嶌葵の10年の歩みを思い起こしながら、加藤登紀子が詞曲を書き下ろしたという。少女から大人の女性へと移り変わる様子や、凛とした少し辛口のメロディは、今までに類がなかったタイプ。心なしか、いつもよりも背筋がピンと伸びたような歌に聞こえる。これは、もう一曲加藤登紀子が提供したラスト・ナンバー「白い街と青いコート」にも表れており、アルバム全体をキリッと引き締めているのだ。


 とはいえ、同作には彼女にしか歌えないファンタジックなナンバーもしっかり収められている。神秘的な雰囲気を醸し出す「白薔薇のララバイ」、オーケストレーションが美しく響く「ナルキスと人魚」、ヨーロピアンなサウンドが哀愁を漂わせる「ミス・ライムの推理」、途中にセリフが入るストーリー仕立ての「Handsome Blue」などは、当初からの彼女のイメージを継承するものだ。これらの楽曲の歌詞を手がけたいしわたり淳治は、加藤登紀子と並ぶ本作のキーパーソンといえるだろう。両者は相反する作品を提供しているが、いずれも今の手嶌葵にとって必要なテイストだったに違いない。よって、絶妙なバランスによってアルバムが構築されているのだ。


 おとぎ話の歌姫といったイメージをけっして否定するのではなく、きちんとその評価を受け入れながら、新たに自身の進むべき道を見据えている。そんな印象を受ける『青い図書室』は、間違いなく彼女のターニング・ポイントとなるだろう。10月公開の西川美和監督による映画『永い言い訳』では、主題歌としてクラシックの名曲「オンブラ・マイ・フ」を歌っており、こちらも話題になりそうだ。“ジブリ歌手”から“実力派ボーカリスト”へ。手嶌葵のウィスパー・ボイスによる躍進は、今始まったばかりなのだ。


(文=栗本 斉)