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「レッドタートル ある島の物語」マイケル監督×鈴木敏夫インタビュー 東洋的視点が織り込まれたフランス制作の長編アニメ

2016年09月16日 17:52  アニメ!アニメ!

アニメ!アニメ!

「レッドタートル ある島の物語」マイケル監督×鈴木敏夫インタビュー 東洋的視点が織り込まれたフランス制作の長編アニメ
2000年に公開され、アカデミー賞短編アニメーション映画賞を受賞するなど世界中で絶賛された『岸辺のふたり』(原題:『Father and Daughter』)。監督は、オランダ生まれのマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット。アニメーター、映像ディレクターとして活動し、現在はロンドンに住みながら自身のアニメーション作品を作っている。そのマイケル監督の最新作が、スタジオジブリの全面プロデュースによって制作され、この度日本で公開されることとなった。マイケル監督初の長編となるその作品『レッドタートル ある島の物語』は高畑勲監督をアーティスティック・プロデューサーに据えた、ヨーロッパと日本のコラボレーション作品ともなっている。来日中のマイケル監督、そしてマイケル監督に長編を依頼するきっかけを作ったスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーに話を伺ったところ、作品の様々な側面が浮き彫りとなった。
[取材・構成:大曲智子]

ーーマイケル監督の短編『岸辺のふたり』をご覧になった鈴木さんが、「マイケル監督に長編映画を作ってもらう」ことを思いついたそうですが、具体的にはどのような考えでしたか?

鈴木敏夫(以下、鈴木)
僕がマイケルの長編を見たいと思った、ただそれだけでした(笑)。プロデューサーって、自分が見たいものを作るものですからね。『岸辺のふたり』を見てすぐに声をかけたわけではなかったけれど、マイケルと交流を始めてからふと、「長編を作ってみるのはどうかな」とマイケルに話してみたら、「自分はこれまで短編しか作っていないので長編の作り方がわからない。スタジオジブリの協力が得られるなら考えたい」ということだったんです。それが確か2006年のこと。そこから数えて10年ですね。まずは協力してくれる会社を探したりして、やっと制作に取りかかったのが約3年前でした。

ーーマイケル監督はそれまでずっと短編を作られていたということで、スタジオジブリから「長編を作りませんか」と言われて驚いたのではないですか。

マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督(以下、マイケル)
ジブリから長編をやらないかと言われたときに、本当にびっくりしましたし、「素晴らしい、早くやりたい!」と最初は思ったんです。でも自分がメールの内容を早とちりしているだけなんじゃないかと不安になって、「すみません、もう一度ちゃんと説明をお願いします」と返事をしましたね(笑)。

ーー長編を作るにあたって、ジブリに全面的なサポートをお願いしたのはどうしてですか。

マイケル
私はこの長編を作るにあたり、プロが行うやり方とはちょっと違う、パーソナルな作り方を模索しました。作品の中で私はかなり自分をさらけ出しているので、そういった体験をわかってくれる人に助言を求めたかった。監督として映画を作るとき、私は自分を危ういところに追いこんで作っていきます。『レッドタートル』の内容も、私の深いところから出ているものが多い。そういったやり方で作品を作る監督の気持ちをわかってくれる人に助言を求めたんです。


ーー鈴木さん、監督というものは、やはり自分の私的な部分を作品に出すものなのでしょうか。

鈴木
2つに分かれると思いますね。映画の種類にも2つあって、純粋な娯楽映画と、作家性の強いものがある。僕の意見ですが、かつてフランスでスタートしたヌーベルバーグより以前の映画は、娯楽映画にも作家性を何とか入れようとしていた。ところがヌーベルバーグが娯楽性と作家性を分断してしまったように思うんです。そういう意味でジブリは、昔のタイプの映画を作ろうとしています。作家性が強いけど、娯楽性もある映画を目指してきたところがある。マイケルならきっと、その両方ができるんじゃないかと思ったんですよね。

ーーマイケル監督が住んでいるイギリスと日本でやりとりするのは大変だったのではないですか。

鈴木
映像や文章を送ってもらいながら進めていたけど、(時間のロスがあるので)じれったいでしょう。それならマイケルに日本に来てもらって、最初の創作だけは日本でやったらどうかと提案したんです。マイケルは日本が好きだと知っていたので大丈夫でした。日本に約1カ月滞在中、高畑さんと顔を突き合わせながら話をして、マイケルがプロットをまとめていきました。一方で、実際の制作現場はやはりヨーロッパのほうがやりやすいと。フランスの映画製作兼配給会社であるワイルドバンチの協力も得られることにもなっていたので、制作はフランスで行うことになりました。

ーー無人島に流れ着いた男の話にしたのはなぜですか?

マイケル
孤島に漂流をして到着するひとりの男の話というのは、昔からすごく興味があったんです。だけど短編には向いていないだろと、温めておいたんですよね。だからスタジオジブリさんから長編のオファーをいただいた時に、すぐにこのアイデアを使いたいと思いました。

鈴木
いわゆる「ロビンソン・クルーソーもの」は僕も昔から好きだったし、マイケルが手がけるとどうなるんだろうとワクワクしました。ストーリーの可能性が無限大だからこそ、マイケルらしいものになるだろうなって。僕が思い浮かべていたのは、やはりマイケルの短編『岸辺のふたり』。あれはひとりの女性の一生を描いた物語です。長編でロビンソン・クルーソーものをやりたいと聞いた時、今度はひとりの男の物語になるだろうなって。高畑さんと「これは一種の自伝ですかね」なんて話もしていました。


ーージブリと作る以上、日本で公開されることは必須です。作品の中で津波のシーンがリアルに描かれていますが、あのシーンを入れた訳を教えてください。

マイケル
この脚本を書き上げたのは2007年のことでした。その4年後に地震と津波が日本を襲った時、ニュースで流れる映像を見て大きなショックを受けました。その後にジブリの国際部の方がパリに来て、ジブリ内でも津波の表現をどうしようか話し合ったと聞きました。日本人にとって津波はとてもデリケートなものであると、あの映像を見たら誰もがわかりますからね。

ーー津波のシーンを削ることも考えたのでしょうか。

マイケル
私から「やはり津波のシーンを取り除いた方がいいのではないか」と提案しましたが、ジブリからの答えはこうでした。「津波を軽々しく描いているわけではない。大きな存在、自然の脅威として描いているのだから、それは映画の中でしっかり見せるべきだと思います」と。日本の方にそう言っていただいたので、シナリオを変更せずオリジナルのまま進めることになりました。その後、今ちょうど六本木ヒルズで行われている「スタジオジブリ大博覧会」のスタッフの方に、東北出身の方がいました。彼のおじさんが津波にさらわれて、父親と一緒に探したけれど6ヶ月後に遺体となって発見されたそうです。『レッドタートル』を観た彼に、「津波から逃げてはいけない。津波と向き合うことが大事だと思いました」という感想をもらいました。それを聞いて私も安心できましたね。

鈴木
僕らも過去に似たような経験をしています。『崖の上のポニョ』には洪水のシーンが出てくるし、『風立ちぬ』では関東大地震を描きました。『風立ちぬ』は東日本大震災があった頃にちょうど作っていたけれど、僕らは地震のシーンをなくすべきではないと考えたんです。自然というのは美しいだけじゃなく、恐ろしい面もある。それも丸ごと描くべきじゃないかという考えが、ずっと僕らの中にあるんですよ。僕は、地球そのものが生き物だと思っているし、『レッドタートル』でもそれを描かないといけないと思ったんです。



ーー『レッドタートル』はセリフがほとんどないというのも衝撃的でした。最初は少しセリフを入れるつもりだったそうですが、どのような経緯でセリフをなくしたのでしょうか。

マイケル
最初は、少しでもセリフを入れるつもりでした。説明がないと分からないであろうシーンがいくつかあったのと、登場人物たちが人間だと証明するためにもしゃべらせたかったんです(笑)。仮編集の映像を作った時、私たちスタッフが下手なりに声を当ててみました。その映像を見た時、なぜかしっくりこなかったんですよね。私たちの演技が下手だからだろうと思っていたんですが、ジブリさんから「セリフはなくてもいいのでは」と言っていただいた。それを聞いて、すごくスッキリしたんですよね。それまでセリフを多く書いたり減らしたりと試行錯誤していたのが、セリフをすべてなくしてしまうという案を聞いて「それだ!」と思えたんです。

ーー言葉はないけれど、ときおり呼吸が聞こえたり、言葉にならない叫びのようなものは入っていますね。

マイケル
実はこの映画の最初から最後まで、プロの声優さんに呼吸をしてもらった音声を乗せているんです。走った後など息がハアハアしている時は呼吸がよく聞こえるし、全く聞こえないところもあります。呼吸を人物の絵に合わせることで、その人物に伝えたい何かがあることが、見ている人に通じるんじゃないかと思って。呼吸でありながら、心の言葉としても表現しているんです。

ーーセリフをなくすことについて、ジブリ内ではどのような話し合いがされたんでしょうか。

鈴木
高畑さんは、誰かの作品に自分が協力する時、監督がやろうとすることを手助けするんです。セリフについての話し合いの時、高畑さんは「それはマイケルが決めることだから」と言っていた気がしますね。プロデューサーである僕の意見を述べると、セリフの有無で決定的に違うものを感じたんですよ。それは、セリフがないととても詩的に見えるということ。逆にセリフがあると、現実に戻されてしまう(笑)。僕が一番「セリフがない方がいい」と主張していたし、でき上がった作品を見た時も、サウンドをもっと減らしてもいいと思ったぐらい。無音なら、見る人が自分で考えるようになる。それがこの映画のエンターテイメント性だと思ったんです。


ーー他の作家にはないマイケル監督ならではの特色は、どんなところだと思われますか。

鈴木
西洋の人でありながら、東洋人に近い考え方を持っているところ。東洋に対する理解が深いです。フランスでも日本でもヒットできる作品が作れるだろう、という目論見もありますが(笑)。

ーー東洋的視点があるかないかで、作品の持ち味が変わってくるということですね。

鈴木
全然違うと思いますね。例えば日本では先祖崇拝、死んだ人が自分たちを見ているという感覚があるでしょう。これって東洋的だと思うんです。それに近いことをマイケルは『岸辺のふたり』でやっていた。『レッドタートル』を作るにあたっても、それをちょっと期待したところはありましたね。

ーー私はこの映画を見て、浦島太郎や鶴の恩返しといった日本の昔話を思い出しました。人間の一生を描くことでリアルを感じると同時に、そういった寓話性も兼ね備えているように感じたのですが。

マイケル
それはまさに狙った通りです。このストーリーを書き始めて少しした頃、日本には浦島太郎という有名な寓話があると聞かされて、私もびっくりしたんです。さらに高畑さんがラフカディオ・ハーンの『怪談』の本をプレゼントしてくださり、それを読んで衝撃を受けました。自分の作品の中で寓話性、ファンタスティックというのはとても大事な要素です。『レッドタートル』はリアルな人生の物語ではあるんですが、子供の頃から蓄積した読書体験が表れることは、意図したところでもあるし、自然に出てきた部分でもあると思います。子供の頃の読書体験はとても大切ですよね。私が人生で一番影響を受けた本は『オデッセイ』ですから。

ーー最後に、マイケルさんはジブリと共同制作したことでどんな影響がありましたか。

マイケル
仕事のやり方ですね。実際にスタジオジブリに行って一番印象に残ったのが、スタジオ内のいろんなところにイマジネーションが溢れていることでした。フランスのスタジオでは、OKカットとまだOKが出ていないカットの区別はただ○と×で仕分けしていますが、スタジオジブリではちょっとしたイラストやコメントが加わっているんです。そういった遊び心、心遣いみたいなものにとても影響を受けました。それに私は今まで、チームで作品を作ることは無理だと思っていたんです。私はいつもすごく迷って、OKを出したものをまた無効にして最初から作り直したり、とにかく躊躇して迷いながら作品を作るんですね。でもスタジオジブリは、それも別にいいじゃないかと受け入れてくれました。ヨーロッパでは絶対に受け入れてもらえないやり方ですが、悩んでもいいんだと思えたことが、とてもありがたかったのです。

鈴木
マイケル監督自身、絵が描けるでしょう。彼の作風からしてすごくストイックな人だから、アニメーター全員をクビにして、ひとりで描き出すんじゃないかっていう不安が、僕の中に少しありました(笑)。こう見えてとても厳しい人なんですよ。メイキングの映像で見たんですけど、平日にアニメーターたちが描いた絵を、週末の土日にマイケルひとりで直していたんです。その間は家に帰れないから奥さんとも会えない。それぐらいのことをやるんじゃないかという不安はちょっとありました。

マイケル
おっしゃる通りで、ひとりでやりたくなるかもしれないという不安は、私自身も持っていました(笑)。今回初めてチームを組んで作品を作ったので、アニメーターさんの個性を全然知らないまま仕事に入ってもらったのです。次の作品ではアニメーターさんたちの個性をさらに把握してから作ることになるでしょうから、きっと全然違うものができると思いますね。『レッドタートル』も含め、これからも応援よろしくお願いします。