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THE DAMNEDの姿勢は、パンク以外の何ものでもない! ISHIYAが『地獄に堕ちた野郎ども』を観る

2016年09月16日 12:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2015 Damned Documentary LLC.

 SEX PISTOLS、THE CLASHと共に、ロンドン3大パンクバンドと呼ばれたTHE DAMNED。このバンドはハードコアパンクスにとっては無くてはならない存在である。SEX PISTOLSやTHE CLASHも確かに素晴らしいバンドではあるが、ハードコアパンクス達にとってはTHE DAMNEDこそが、初期70年代パンクシーンの中での最重要バンドと言っていいだろう。そのTHE DAMNEDのドキュメンタリー映画『地獄に堕ちた野郎ども』が公開されることは、日本のパンク界にとって重大な“事件”である。


参考:スティーヴ・アオキの精神はパンクそのものだ! ISHIYAが世界トップDJのドキュメンタリーを観る


 THE DAMNEDのキャリアは、ブライアン・ジェームス(Gt.)在籍時と、キャプテン・センシブルがギターの時期、キャプテンが脱退しデイヴ・ヴァニアン(Vo.)中心となった時期、そして再結成後にわかれると思う。本作は、バンドのキャリアの全容を追っただけではなく、その内側にまで踏み込んだ秀逸なドキュメンタリーだ。監督を務めたのは、モーターヘッドのレミー・キルミスターを追ったドキュメンタリー「極悪レミー」を撮ったウェス・オーショスキーだと言えば、本作が日の目を見ることになったことにも納得がいくのではないだろうか。


 しかし、作中で一貫して「SEX PISTOLSやTHE CLASHは知られていても、THE DAMNEDは無名で知名度がない」との見解が示されているのは、甚だ納得がいかない。筆者のようなハードコアパンクスにとって、THE DAMNEDは神のような存在と言って良いほどだ。知名度云々どころか、楽曲はもちろん、私生活の噂に至るまで、あらゆることに刺激を受けている。


 モーターヘッドのレミーも言っていたように、THE DAMNEDは最高のパンクバンドであり、彼らの存在無くしては、ハードコアパンクの楽曲も違った形になっていたかもしれない。それほど影響力があり、つくられたロックスターではない、本物のパンクスによる唯一無二のパンクバンドである。


 だが、本物のパンクスであるがゆえに、ほかの有名パンクバンドと違い、世に言う成功とは遠いところにいるのだろう。デビューアルバムをリリースした際は、プロデューサーのニック・ロウから酒を驕ってもらっただけで、それ以外に何も得なかったというエピソードからも、THE DAMNEDというバンドが理解できる。そういった部分も含めて、ハードコアパンクスに絶大な支持を受けているのではないだろうか。


 とはいえ、楽曲の素晴らしさは折り紙付き。ブライアンが曲づくりの中心となっていた初期、キャプテンが中心となっていた時期、どちらも魅力に溢れている。音楽性によってパンクというカテゴライズさえぶち壊したという意味でも、真のミュージシャンといえよう。また、デイヴ・ヴァニアンが中心となった解散までの時期の曲も、ゴシック風でヨーロッパを彷彿とさせながら、デイヴ・ヴァニアンの歌唱力が光る名曲が多い。ライブの破天荒さも凄まじく、作中でも紹介される1977年のライブ映像などは、マニアでなくても惹かれるだろう。キャプテンの悪態っぷりが現在でも変わりないところも、THE DAMNEDの堪らない魅力となっている。


 デイヴ・ヴァニアンが作中で言うように、ほかのパンクバンドが政治的なメッセージを全面に押し出していた中、説教じみた歌詞をいっさいなくし、明白なことを言わずとも、自分たちの行動でパンクを体現していたのも、彼らが支持された理由のひとつだ。初期代表曲である「NEAT NEAT NEAT」は、社会的なメッセージこそ感じさせたが、あきらかに政治的ではなかったと、ブラアン・ジェームスも語っている。それこそが、彼らのオリジナリティだったのだ。


 一方で、本作ではメンバー間の不仲問題にも踏み込んでいる。オリジナルメンバーであるブライアン・ジェームス(Gt.)、ラット・スキャビーズ(Dr.)と、キャプテン・センシブル(Gt.)、デイヴ・ヴァニアン(Vo.)の仲が良くないのだ。バンドには様々な問題が起き、メンバーの関係性が悪くなることも多々ある。本作で触れられている問題は、バンドマンであれば誰もが理解できるだろう。このドキュメンタリーがリアルなのは、ただ彼らを絶賛するだけの内容ではないからである。2組に別れて同じ曲を別の場所で演奏するほど、彼らの間の確執は深い。歴代メンバーが揃ったツアーも行なったが、オリジナルメンバー全員が揃っての演奏は、1991年以来実現していない。


 1986年の初来日の際には、筆者も豊島公会堂に観に行ったのだが、その時のメンバーにはキャプテン・センシブルがいなかったものの、デイヴ・ヴァニアンを中心としたメンバー編成であった。ラット・スキャビーズのドラムに度肝を抜かれ、デイヴ・ヴァニアンの歌唱力とドラキュラ風のメイクとコスチュームを初めて目の当りにできた素晴らしいライブだった。映画を観ると、あの編成のTHE DAMNEDを味わえたのは、非常に貴重な体験だったことがわかる。


 その後、THE DAMNEDは一時解散状態であったが、THE DAMNED名義ではなく、キャプテン・センシブルとデイヴ・ヴァニアン名義で来日したのを皮切りに、THE DAMNED名義でも幾度か来日公演を行なっている。そのあたりの経緯も、本作には収められているので、見逃すわけにはいかない。ラット・スキャビーズが、内幕を説明する際に見せた涙には、誰しもが深く心を動かされるのではないだろうか。


 バンドに様々な確執はつきものだ。それを惜しげも無くスクリーンにさらすTHE DAMNEDの姿勢は、パンク以外の何ものでもない。世界で初めて、パンクバンドとしてシングルとアルバムを発売した彼らは、今も変わらずに突き進んでいる。60歳を越える年齢となったキャプテン・センシブルが、作中でふと言った「いつか当たるさ」という言葉に、永遠の“夢見る不良少年”の心情を見た。(ISHIYA)