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宇多田ヒカルの新作『Fantome』先行レビュー! 多彩なサウンドがもたらす「驚き」について

2016年09月16日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

宇多田ヒカル『Fantôme』

 宇多田ヒカルの8年ぶりのアルバム『Fantome』を、もし誰のアルバムか知らないまま聴いたとしても、私はレビューを引き受けていただろう。そのぐらい日本のポピュラー・ミュージックのアルバムとして驚きのある作品だったからだ。


(関連:宇多田ヒカルのソングライティングはどう変化した? 新曲とこれまでの楽曲を改めて分析


 アルバムは「道」で幕を開けるが、このトライバルな感触には驚いた。まるでフレンチ・アフリカンのアルバムを聴きはじめたかのようだったのだ。特に「道」のBメロの細かい譜割りと、タメもきかせた歌唱の絡みあい方は、私が抱いていた宇多田ヒカルのイメージを一気に吹き飛ばすのに充分だった。彼女自身のプログラミングを主体としたサウンドと歌唱の向こうに、遠くアフリカが見えたのだ。アルバムの幕開けは予想もしないものだった。


 「俺の彼女」は、ダブル・ベースの音から始まり、バンド・サウンドにストリングスも絡みつつ、ブルースの香りを漂わせていく。一方で、歌詞は男性と女性の視点が交互に登場するものだ。宇多田ヒカルが歌でナチュラルに2人を演じられるのは、ボーカルの力量があってこそのものだろう。男性性と女性性を歌で自在に操ることは、想像するほど簡単なことではない。


 「二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎」は、ひとつの視点の中に椎名林檎のボーカルが加わることによって緊張感を増している楽曲だ。宇多田ヒカルが歌う1番だけを聴くと、日常性からの逃避を歌っている穏健な楽曲のようだが、椎名林檎が歌いだす2番には不倫を連想させる歌詞もあり、椎名林檎の歌い回しも含めて楽曲の雰囲気を一気に引き締めてしまう。ボーカル面において、柔和な宇多田ヒカルと硬質な椎名林檎の対比が鮮やかなトラックでもある。


 生のハープとドラムを伴奏に歌う「人魚」は美しい。そもそも、ボーカル、ハープ、ドラムのみでポップスを成立させるというのも冒険的な試みだ。そして「人魚」はそれを成功させている。


 プログラミングのドラムから始まる「ともだち with 小袋成彬」は、「道」と並んで『Fantome』というアルバムを象徴している楽曲だ。この曲で宇多田ヒカル自身が手掛けているブラス・アレンジは、濃厚にアフロの匂いがする。「道」や「ともだち with 小袋成彬」のような楽曲を生み出す宇多田ヒカルが近年聴いている音楽とはどんなものなのだろうかと想像してしまった。


 宇多田ヒカルの息遣いがビートを刻む「荒野の狼」は、ブラス・セクションとストリングスが渦を巻いていくかのようなサウンドだ。ソウルフルな歌唱が印象的だが、しかしこの楽曲を「ソウルフル」の一言では片づけられない。「荒野の狼」のブラス・アレンジにもアフロの匂いを嗅ぎとったからだ。ドラムとベースが繰り返すリズムはブレイクビーツのようで、ヒップホップ的でもある。そして、しなやかにして熱を帯びた宇多田ヒカルのボーカルがサウンドを牽引しているかのようなトラックだ。


 「忘却 featuring KOHH」でラッパーのKOHHを迎え、共作までしていることには驚いた。KOHHはZeebraや般若の楽曲にも参加してきたが、今度は宇多田ヒカルである。KOHHが描いていく死生観の合間に、宇多田ヒカルのボーカルが挿入されるが、その歌声はせつせつとしていて、しかも生々しい。熱さと冷たさ、硬さと優しさ、そして生と死。こうしたコントラストを、KOHHのラップと宇多田ヒカルのボーカルで描いているのが「忘却 featuring KOHH」だ。


 宇多田ヒカルがプログラミングした「忘却 featuring KOHH」は鼓動の音から始まる。壮大にしてトライバルな感触のトラックは、生きていく中で抱く恐怖や、死への想像を歌う楽曲にふさわしい。『Fantome』というアルバムにおける最大の問題作であるとも感じだ。


 プログラミングのドラムもチャーミングな「人生最高の日」は、『Fantome』の中でも軽やかな楽曲だ。こうした完成度の高いポップスを、宇多田ヒカルはこともなげにさらりと聴かせてしまう。しかも「忘却 featuring KOHH」に続けて、だ。


 『Fantome』は「桜流し」で幕を閉じる。「桜流し」は、2012年に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』テーマソングとしてリリースされた配信シングルだ。また、NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』主題歌の「花束を君に」や、日本テレビ系『NEWS ZERO』テーマ曲の「真夏の通り雨」といった配信シングルも『Fantome』には収録されている。


 こうした近年の配信シングル曲は、繊細なミディアム・ナンバーやバラードだったものの、それらを収録している『Fantome』というアルバムの蓋を開けてみると、イメージはまるで違う。配信シングル曲は宇多田ヒカルの一側面に過ぎず、この8年ほどの間に宇多田ヒカルが触れてきた音楽はもっと多彩なものであったことは容易に想像がつく。


 『Fantome』のプロデュースは宇多田ヒカル自身。そして、多くの楽曲のプログラミング、ストリングス・アレンジ、ブラス・アレンジも彼女が手掛けている。宇多田ヒカルが吸収した音楽が、彼女の中で再構築されて、『Fantome』で宇多田ヒカル自身の手によって表現されていると考えるのが妥当だろう。


 『Fantome』で写真を担当しているのはジュリアン・ミニョー。パリのサン・マルタン運河の近くにスタジオをかまえる写真家だ。実は私が『Fantome』に感じたのは、パリの香りだった。さまざまな文化が混在し、それゆえにときにテロの対象にもなってきたパリだ。宇多田ヒカルが現在生活しているのが実際にはどこなのかを私は知らない。しかし、メルティング・ポットであるパリのようなアルバムである『Fantome』を制作した宇多田ヒカルは、時代性を鋭敏に受け止めながら、それを音楽として表出していると感じたのだ。


 宇多田ヒカルがアーティスト活動の休止を宣言したのは2010年のこと。そこから数えて6年の間に培われたのが『Fantome』だとすれば、その間の「人間活動」はまったく無駄ではなかったと感じられる。『Fantome』はそんな説得力を持つアルバムだ。(宗像明将)


※アルバムタイトル内「o」はサーカムフレックスつきが正式表記。