2016年9月6日
株式会社Bocka プレスリリース
アジアン・ルマン・シリーズ・スプリント最終戦で
森義治が日本人ドライバー初のLMP3優勝を飾る!
9月2日~4日、マレーシア、セパン国際サーキットに於いて、アジアン・ルマン・シリーズ・スプリント最終戦(第5戦&第6戦)が開催されました。
アジアン・ルマン・シリーズは、3大会全6戦で競われ、ル・マン24時間でおなじみのACOが主催。LMP3規格のマシンを中心に、CN、GTカップカーが混走する各1時間のスプリント耐久レースです。ル・マン24時間耐久レースを頂点とするプロトタイプ・スポーツカーをより発展させることを目的にスタートしたイベントで、10月から全4戦でスタートする、アジアン・ルマン耐久シリーズの前哨戦として開催されています。
ACOの目論見どおり、LMP3マシンの参戦台数が着実に増え、よりエキサイティングなレースとなった2016年シリーズ最終戦に、ブランパン耐久レース等で活躍する日本人ドライバー、森義治がWINEURASIAチームよりスポット参戦しました。
木曜日早朝にサーキットに到着した森は、過去にともに戦ったチームと合流し、シート合わせや無線のチェック等、準備を整えて9時からのフリー走行に臨みました。ブランパン耐久レース等でGT3マシンの経験はあったものの、LMP3というプロトタイプ・スポーツカー初体験の森は、フリー走行では慎重に、ステップ・バイ・ステップでサーキットとマシンに慣れていきました。
レースウィークは、木曜日に55分間のフリー走行が2回行なわれ、金曜日に45分間のフリー走行が2回行なわれて、同日の夕方に15分間の予選が2回実施されるスケジュールです。
そのスタイリングからイメージできるとおり、450馬力、ハイ・ダウンフォースのLMP3の限界は高く、GT3とは異次元のマシンに、戸惑いながらも着実にタイムアップを果たした森は、いい手応えと、未知のレースへの不安を抱えながら4回のフリー走行を終えました。
金曜日の予選では、それぞれのドライバーが別々のセッションでアタックし、その順位でそれぞれが各レースのスタートドライバーを務めるレギュレーションです。森のチームメイトは日産GTアカデミー出身の香港人若手ドライバー、エドガー・ラウ選手。同じくLMP3ルーキーながら、一発の速さを持つドライバーです。WINEURASIAチームは、チャンピオン争いをしているDCレーシングと同じメンテナンス体制で走っている為、王者に最も近いジェームス・ウィンスロウ選手(イギリス)のデータロガーを共有しており、タイムはもちろん、各コーナーでの走りの違いをデータから理解し、自らを奮い立たせてアタックするしかありません。予選では、第5戦でエドガー選手が3番手タイムをマーク。そのデータを読み込んだ森も、第6戦で最後の最後に見事なアタックを決め、同じく3番手グリッドを獲得しました。
土曜日の朝、変わりやすいマレーシアの天候は雨、しかし決勝レースがスタートする直前にかなり小雨になりつつありました。スタート直前、WINEURASIAのピットは騒然としていました。マシン・トラブルの対応に追われていたのです。原因は解明されていましたが、時間が間に合わない状況となってしまい、ピットスタートが可能かどうかも微妙な状況です。そんな中、ピットでは冷静に空模様と路面をチェックする森の姿がありました。元エンジニアだった森は、チーフエンジニアのグレッグやマーク・ゴダード監督と相談し、作業中のマシンのタイヤをウェットからスリックに交換する賭けに出ました。路面はいまだ濡れており、ウェットレース宣言が出されています。ポールシッターのジェームス選手もレインタイヤを装着していました。不安がるスタートドライバーのエドガー選手に言い聞かせ、修理を終えたマシンはピットロード出口でスタートを待ちます。
決勝レースは劇的な展開でした。濡れた路面が予想以上に熱い太陽の日差しで一気に乾き始めたのです。最後尾からスタートしたWINEURASIAのリジェ・ニッサンLMP3はどんどん前をいくマシンに追いつき、そして追い抜きはじめました。トップを走るジェームス選手のタイムと7周目には並び、そしてそれ以降は大幅に上回るタイムで周回を重ね、ピットオープンの頃にはファステストラップをマークして、4番手まで浮上していました。
ギリギリまでドライバー交代を引っ張って、4番手のまま森に交代。完全に乾いた路面と温まったスリックタイヤのおかげもあって、ハイペースでさらに追い上げます。トップ2台は最初からスリックを装着していたマシンで、大きなリードを築いており、森は3位狙いでアタックを続けていました。その時、スクリーンのモニター上にオフィシャルからトップのマシンにジャンプスタートの判定が下り、ドライブスルー・ペナルティが課されたのです。これで実質的に3番手に浮上した森は、無線のトラブルもあって状況を把握できないまま、ただひたすらに前を行くマシンを追い続けました。
そしてさらに奇跡的な出来事が起こります。トップを走る車両に対し、ピット作業違反(停止義務時間違反)の判定が下され、5秒間のストップ&ゴーが課されたのです。これで実質的に2番手に浮上した森は、前のマシンとの差を1周1秒づつ縮めていました。マーク・ゴダード監督が計算すると、最終ラップには交錯する状況です。無線が届かぬ森に対し、サインボードで「UP」を表示。そしてまさに1時間が経過した時、最終ラップに突入する最終コーナーで森が前のマシンのインに飛び込み、パス。そのままトップでファイナルラップを最後まで走り切り、デビュー戦優勝のチェッカーを受けたのです。
歓喜のピットクルー、そして優勝を知らないままパークフェルメに戻った森は、1位のボードにマシンを誘導され、初めて勝利の事実に気づきました。TVカメラや報道陣に取り囲まれた森は、いまだ信じられない表情でインタビューに受け答え、ポディウムに向かいました。アジアン・ルマン・スプリントカップでのデビュー戦優勝、そしてLMP3レースでの日本人初優勝の瞬間でした。
翌日の第6戦ではスタートからポジションキープした森は、そのままエドガー選手にバトンを渡し、上位のマシンがピット作業中にトラブルを抱えてリタイアしたために、2位でゴール。優勝を飾ったジェームズ・ウィンスロウ選手がシリーズチャンピオンに輝きました。WINEURASIAにとって最高の最終戦となりました。
■森義治のコメント
「アジアン・ルマン・スプリントに急きょ参戦が決まり、不安と期待が入り混じった気持ちでセパンを訪れたのですが、まさに奇跡が起こった気分です。自分にとって初めてのLMP3で、デビュー戦初優勝、そしてチームに貢献できた2位入賞を果たせたなんて、まるで夢のような気分でした。今まで走ってきたGT3に比べて信じられないほど限界が高いマシンに慣れるのは大変でしたが、自分を信じてアクセルを踏み込みました。レースにここまで集中できたのも、新たな挑戦だったLMP3マシンのおかげです。ACOのアジア最高責任者も心から祝福してくれました。本当にチームやスポンサーの皆さんに感謝しています」