フェリペ・マッサの今シーズン限りでF1を去る決断は、結局のところ正しい判断だったのかもしれない。
2014年、ウイリアムズは古豪復活をかけて、フェラーリからフェリペ・マッサを獲得した。マッサはすぐに信頼を得て、チームにとって必要不可欠に存在となった。
2014年当時は、ウイリアムズとマッサはお互いが求め合う完璧な関係性であったと言える。ウイリアムズは競争力の低い状況で、トップチームの走行経験があるドライバーを引き抜く必要があった。マッサも、フェラーリ晩期に落ちた名声を取り戻さなければいけなかった。
事の始めは美しかった。マッサは2014年オーストリアGPでポールポジションを獲得し、移籍後2シーズンで5回表彰台に上がった。これらの快挙は、ウイリアムズが2年連続でコンストラクターズランキング3位獲得の原動力となる。
しかし今期は両者にとってより厳しいシーズンとなっている。ウイリアムズはFW38の効果的な開発に着手できず、ここ数年争っていたフェラーリ、レッドブルとのバトルではなく、フォース・インディアと復活を目指すマクラーレン・ホンダとの中位を争っている。そして、トップを走るメルセデスには挑戦すらできない状態となっている。
マッサは今年でキャリア晩年と言われる35歳になった。15年間もの月日をF1に捧げ、11回の優勝と16回のポール獲得をした彼でさえ、近年はトップチームでの走行がない上に、今年度はチャンスというチャンスすらない状態が続いている。
マッサの35歳という年齢は、モチベーションの維持に追われ、ベストを出すために自分を追い込むことが難しくなってきた年齢である。ましてや今年のウイリアムズは、チャンピオンという悲願を達成する現実的なチャンスが見えない状況下でもある。
疑いようがない事実としては、マッサは今でもトップクラスのF1ドライバーであるということだ。フェラーリで過ごした8年間は忘れがたいものであり、あと一歩でワールドチャンピオンを逃した2008年は記憶に新しい。
ウイリアムズのパフォーマンス・エンジニアリングのロブ・スメドレーは、マッサはまだ走れることと同時に、キャリアのピークが過ぎていることも言及していた。マッサは経験豊富であり、高い評価を得ているチームメイトのバルテリ・ボッタスともその経験を共有できるドライバーである。
しかし、ここがマッサにとって悩みの種であった。彼は今シーズン序盤6戦でボッタスよりもポイントを獲得しているが、その後は安定したレースパフォーマンスを出せずに苦戦を強いられた。ボッタスは予選ではマッサを完璧に凌駕しており、対マッサの勝率は12戦で10勝であった。
ウイリアムズは2017年度のドライバーラインアップについて事実を隠そうとはせず、テクニカルディレクターのパット・シモンズはトップドライバーを迎える準備をしていることを明かし、2009年のワールドチャンピオンであり、F1のキャリアをウイリアムズでスタートさせたジェンソン・バトンと話を進めている。
2人のドライバーをコントロールするには、両者が同じレベルであると良い。しかし、グループを円滑に進めたければ、同じクルマを使い、お互いを高め合うことのできるドライバーが必要になる。同レベルのドライバーを集めたければ、ポテンシャルを秘めた若手ドライバーを迎えつつ、進歩や改善に時間をかかることを覚悟しなければならない。もし、すでにチームに輝かしい経験を持つベテランドライバーがいて、その利点を生かす環境があれば、若手の進化は効率的に実行できる。
マッサはまだウイリアムズに、ドライバーとしての恩恵をいくつか残せるであろう。実際、他チームのパドックでは、16年目のF1キャリアを続けるための機会について打診があった。しかしながら、マッサ自身が他チームのレーシングスーツを着ることを拒み、シモンズの発言があったにも関わらず、ウイリアムズでのキャリア続行を望んだ。
しかし現実的な意見として、それは限界を迎えていた。メルセデス、レッドブル、フェラーリは来季のシートが埋まっており、マッサが今から彼らの元でグリッドに上がることはありえない話である。そしてバトンの代わりに空席となるであろうマクラーレン・ホンダは、ストフェル・バンドーンの起用が既定路線となっている。
ウイリアムズは変化を欲している。ライバルであるフォース・インディアはセルジオ・ペレスとニコ・ヒュルケンベルグの保持に徹し、トロロッソはレッドブルの若手ドライバーの起用、マノーはメルセデスの2人のようなドライバー人選を望んでいる。ハースは経験を持ち、マッサより5歳も若いロマン・グロージャンと共に急成長するための基盤を固める意向である。
ルノーはマッサの行き先としては充分、可能性があるチームと考えられた。世間の見解ではルノーは経験値が高く、チームの促進に一役買ってくれるドライバーを望んでいるとされていた。
しかしこの話は実現とならず、セルジオ・ペレスがルノーのトップターゲットとされている。少なくとも5年は要するであろうプロジェクトで、再建を大きな利益と考えるウイリアムズ、ルノーにとって、マッサは年齢的に十分な時間を共にできなかったようだ。
マッサが歩んできたF1という道に風が吹き込み、そして最大限の尊厳と共に、彼はその道から外れる選択をとった。マッサはどんなに彼に近い人間が現役続行を促したとしても、引退を「数カ月前から決めていた」と話した。
マッサは競争が激しいF1シートに居座る可能性はごくわずかだったと語り、顔を歪め、キャリアの下降期を過ごすよりも、顔が高く上がっている状態での引退を選択した。
イタリアGP直前の発表で、マッサは粋な計らいをした。10年前のこの時期は、フェラーリからミハエル・シューマッハーが最初の引退宣言をし、マッサ自身がフェラーリ残留を決め、その後のキャリアを彩るキッカケとなった出来事があった。彼の履歴書には載せられないが、ワールドチャンピオンへあと一歩の経験は、この宣言があったからである。
アスリートは本来、選手としてパフォーマンスが出せなくなり、チームから戦力外通告を受けた際に引退を考えるものである。しかし、トップクラスのアスリートになると、しばしば自身のタイミングでキャリアを終わらせたがる。その中でもベストなタイミングでの引退というのは数少ない事例であり、多くのアスリートに見られるのは、最初は最愛の人のような扱いをされても、ニーズがなくなると、最後は荒々しく手を振り切られるという場面である。
楽しいことはいつしか終わりがくる。マッサはこれを認識しており、自身が思う一番適切な時期にF1ドライバーとしてのキャリアを終えたのだった。