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医療SFスリラー『セルフレス』で本領発揮! インド出身の俊英、ターセム・シン監督インタビュー

2016年09月02日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2015 Focus Features LLC, and Shedding Distribution, LLC.

 20代半ばに故郷インドから渡米。ミュージックビデオ、コマーシャルの世界で確固たる地位を築き、『ザ・セル』(2000年)、『落下の王国』(2006年)と、仮にストーリーは観た後すぐに忘れ去られたとしても、その驚愕の映像美を観客の脳裏に刻みつけてきたターセム・シン監督。近年はファンタジー系の作品でその持ち前の先鋭的なビジュアル・センスを発揮してきたターセムが、本作『セルフレス』で久々に現代の世界、そしてリアリズムの世界へと戻ってきた。


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 名優ベン・キングズレー演じる富豪の老人が、ある先端医療によって「俺ちゃん」ことライアン・レイノルズ演じるリア充男へと生まれ変わるこの奇想天外な物語を、「リアリズム」と呼ぶには語弊があるかもしれないが、ターセムは本作を得意のファンタジーとしてではなく、あくまでも現実世界の延長として描いている。そこで参照したのがロマン・ポランスキーの往年のスリラー作品だと聞けば、映画好きならワクワクせずにはいられないだろう。これまであまり明らかにされることのなかった映画的なバックグラウンドから、ハリウッドでインド人として活躍していることの意義まで、インタビューでの話題は多岐にわたった。(宇野維正)


■「ポランスキーの作品の感受性や感覚は、大きなインスピレーション」


——『セルフレス』、素晴らしかったです。いきなりこんなことを言ったら失礼かもしれませんが、個人的にはあなた監督作の中でベストと言える一作なんじゃないかと。現代を舞台にした作品は、映画だと長編デビュー作でもあった『ザ・セル』以来になると思いますが、もしかしたらあなたはファンタジーや歴史劇よりも現代劇の方が得意としているんじゃないかと思ってしまったのですが。


ターセム:君の意見に同意できるかは別として、それはそれで嬉しい感想だね(笑)。実際、今回の作品は作っていて本当に楽しかったんだ。もともと自分が持っているクリエイターとして持っているDNAは、どちらかと言うとファンタジー的な作品に惹かれる傾向があるんだけど、実際に制作をしている時は、こういう現代を舞台にした現実的な物語の方が楽しかったりもするものなんだよね。


——プロデューサーのラム・バーグマンは、あなたが本作を撮るにあたって、ロマン・ポランスキーの60年代、70年代のスリラーからヒントを得たという話をしていました。具体的に、ポランスキーのどの作品のどういうところからインスピレーションを得たのか教えてもらえますか?


ターセム:ポランスキーの作品における、ある種の感受性や感覚というものは、自分にとって大きなインスピレーションであり続けていた。それは、悪魔が登場する『ローズマリーの赤ちゃん』でも、リアルなサスペンス劇の『チャイナタウン』でも共通していて。例えば悪魔のようなファンタジックな題材を扱う時でも、ポランスキーはとても地に足が着いた、リアリティのあるアプローチをしていく。僕自身は、自分のインドという文化的なバックグラウンドもあって映画では派手な方向に振れる傾向があるんだけど、今回はあの頃のポランスキーの作品、特に『チャイナタウン』や『テナント/恐怖を借りた男』などのスリラー作品をベースに作品のプランを考えていったんだ。彼の作品に比べると、『セルフレス』にはよりモラルについての生真面目な問いかけがあるけれど、根本的には「セルフレス」もスリラーだから、彼のアプローチはとても参考になったね。


——あなたの作品はいつも誰にも似てないユニークなアイデアとビジュアル・イメージが印象的なので、ポランスキーに関する言及はちょっと意外でした。故郷のパンジャーブ州ジャランダルからアメリカに渡ったのは24歳の頃とのことですが、インドで、そしてアメリカに渡ってから、どのような映画体験をしてきて、どのような作品に傾倒してきたんですか?


ターセム:実は20代前半まで、僕にはあまり映画の知識はなかった。小さい頃にはイランにも住んでいたんだけど、そこでは自分の分からない言語の字幕が映画に付いていたから、なおさら多くの作品に出会う機会がなかったということもある。20代になってから、映画学校に行って初めていろんな映画監督の作品を観ることになって、一番自分の感覚と近かったのが、ポランスキーをはじめとするポーランド出身の作家たち、それからタルコフスキーのようなロシアの映画作家だったんだ。不思議なことに、東欧やロシアの映画作家の作品を観て、自分の母国であるインドのボリウッド、あるいはハリウッドの作品よりも、僕自身の映画言語に近い言語を話していると感じた。そういう意味では、自分の映画への目覚めはとても遅いと言えるだろうね。あと、観るのが好きな作品と、作ってみたいと思う作品というのが、これまでちょっとズレていたんだ。スリラー作品を観るのは昔から大好きなんだけど、今回の『セルフレス』が自分にとって初めてのスリラーだからね。もしかしたら、女性のどういうところを美しく感じるのかと、結婚相手に何を望むのかが違うということと、ちょっと近いのかもしれない(笑)。


■「今作で一番興味を持ったのは、技術的な面よりも、モラルの問題」


——プロデューサーのラム・バーグマンとは、今回どのような経緯で一緒に仕事をするようになったのか教えてください。バーグマンは今、『スター・ウォーズ』の新作でもプロデューサーとして仕事をしていますよね。


ターセム:今回の作品は、プロデューサーから自分に声を掛けてくれた企画という意味で、自分にはとても珍しいケースだった。いつもは、自分がやりたいものを見つけて、そこから企画を立ち上げてきたから。でも、実際にそういうやり方で仕事をしてみたら、それがすごくやりやすかったんだ(笑)。ラムは本当に自分のエゴがまったくない、常に企画を形にすることを一番に考えていくプロデューサーで、最初にこの作品で自分がやりたいと思っていることを話した時、しっかりと耳を傾けてくれて、一旦彼からゴーサインが出たら、そこからは完全に好きにやらせてくれた。新しい『スター・ウォーズ』での仕事も、彼が『LOOPER/ルーパー』を製作する時に抜擢したライアン・ジョンソン監督との信頼関係から自然に生まれたものだろうから、いつも通りに優秀な仕事ぶりを発揮しているんじゃないかな。


——あなたも、もしチャンスがあったら『スター・ウォーズ』のような伝説的なシリーズ、あるいは、例えばマーベルのスーパーヒーローもののような作品を撮ってみたいという気持ちはありますか? 


ターセム:えっと(苦笑)、そういうのは僕向きではないと思うんだ。『スター・ウォーズ』だとか、マーベルやDCの作品というのは、心底そのジャンルやその物語を愛していないと作っちゃいけないものだと思う。実際、そこでうまくやっている監督は、それだけの愛情を持ってやっている人ばかりだしね。僕は、彼らと同じ場所で競おうとは思わない。インド生まれの僕は子供の頃から『スター・ウォーズ』を観てきたわけではないし、その作品世界の“言語”を友だちと共有してきたこともないし、自分に向いていると一度も思ったことがないからね。やっぱり、そういう人間が嘘の熱意みたいなもので作っても、上手くいかないんじゃないかな。スーパーヒーローものも、はっきり言って僕にはどうしたらいいかさっぱりわからない(笑)。ああいう作品は、いろんなファンが期待しているものに、どう応えていくかっていうことが重要だと思うから。ただ、『スター・ウォーズ』やマーベルやDCではない、もっと一般的なシリーズものを監督することについては、常にオープンな気持ちでいるよ。


——あなたは、今作『セルフレス』の「頭脳の転送」というテーマを、SFとしてではなく、あくまでも現実世界の延長として描きたかったそうですね。その試みは見事に成功していると思うのですが、実際にこの「頭脳の転送」というテーマのどこに現実的な可能性を感じ、どこに現実世界では乗り越えられない不可能性を感じましたか?

ターセム:自分なりにいろいろリサーチをして、医学関連の資料を読み込んだりもしたんだけど、結論としては、そういったものが実現するとしても、あと100年くらいはかかるんじゃないかな。医学の進歩というものはいきなり起こるものではないからね。臓器を買うことで少し延命が出来るとか、そういうことはモラルの問題を別にして、今の世界でも起きていることだけど。なんらかの方法でコンピューターに自分の意識をダウンロードできたり、死後にそれを再び立ち上がらせたり、そういうことが少しずつ起きてきて、その延長上にこの作品で描いた世界はあるんだと思う。僕が今作『セルフレス』のテーマで一番興味を持ったのは、そういった技術的な面よりも、モラルの問題の方なんだ。時間が経てば、ほとんどのことは技術的には可能になると思うけど、そこに至るまできっといろんなモラルの問題と向き合わなければいけなくて、むしろその過渡期の部分に興味がある。だからこそ、今回登場しているマシンというのも、具体的にMRIみたいな実際にある機械に手を加えた程度のものにしていて、映画のスペクタクル的にどういうふうにのそ技術を見せるのかということについて、僕はあまり執着しなかったんだ。それよりもストーリーの方が大切だったし、きっといつかそういう技術ができたとしても、それはまったく我々が想像しているものとは違う方法になるんじゃないかと思ったからね。


——あなた自身、もし余命を告げられて、頭脳が転送できるとしたら、作中で描かれていたような膨大な費用の問題は別として、実際にやってみたいと思いますか? 


ターセム:自分の今の身体は非常によく機能しているから、その必要性をまったく感じないけれど、もし30年後の自分が病室でカテーテルのようなものにつながれてなんとか生命を維持しているだけだとしたら、そこでどんな判断をするかはわからないよね。もちろん、そこにはモラルの問題が大きく横たわっているわけだけど、人は追い詰められると、あえて『答えを知りたくない』という気持ちになることだってあり得る。本作の主人公も、なんとなくそこにネガティブな真実があるんじゃないかってことは最初から気づいていたけど、意識下でその答えに向き合わないようにしていたんじゃないかな。


■「非西欧圏の監督にもチャンスが増えてきているのかもしれないけど……」


——本作の監督はインド人、つまりあなたで、脚本家はバルセロナ出身のまだ若い才能溢れるスペイン人の兄弟で、今やそうした国境や人種を超えた才能が集結することがハリウッド映画においては当たり前のこととなっています。それは映画にとって理想的な場所のようにも思えるのですが、現在のハリウッドに問題点があるとしたら、それはどんなところだと考えますか?


ターセム:問題点……。うーん、まず大前提として、ハリウッドでの映画の仕事というのは、世界中の人々にとって憧れの仕事なんだよ。もしかしたら、そこに異論もあるかもしれないけれど、もし能力があって、そこにチャンスがあるなら、誰もが一度は飛び込みたいと思う場所だと自分は思うんだ。


——そうでしょうね。


ターセム:で、そういう仕事における競争というのは、非常に、本当に非常に激しいものなんだ。だから、ハリウッドがインターナショナルでボーダレスな場であるというのは、今に始まったことではないと思う。たとえば、あなたが住む日本で作られている映画のほとんどは、その土地の観客だけに見せたいと思って作られているわけだよね?


——そうですね、基本的には。


ターセム:それはインドのボリウッドでも一緒で、普通の映画だったら物語の途中でいきなり歌を歌い出して踊ったりはしないわけだ。でも、もともとハリウッドは世界に向けて映画を作っているのだから、そこに世界中の映画人が集まってくるのは必然で、そういったワールドシネマといった概念はフリッツ・ラングの時代からずっとある。21世紀に入ってから、自分のような非西欧圏の監督にもチャンスが増えてきているのかもしれないけど、それは0.01%の可能性が0.1%になっただけみたいなもので、基本的にはとても競争の厳しい世界だとしか自分には言いようがないな。テクノロジーの発展によって、世界がこれまでよりも小さい場所、狭い場所になってきたことで、いろんな国からハリウッドを目指す人は増えているんだろうけど、それは、それだけ競争が激しくなっているとも言えるしね。


——なるほど。あなたの最新作はテレビシリーズ『Emerald City』(NBC)になるわけですが、あなたのような才能ある映画人がどんどんテレビシリーズに参入している現在の状況は、今後もますます加速していくと思います。でも、そうなると映画界の未来が少々心配にもなってくるのですが、映画とテレビシリーズのパワーバランスと、それぞれの未来を、どのように考えていますか?


ターセム:確かに、よく言われているようにテレビシリーズの世界、特にアメリカのテレビシリーズの世界は、今、黄金期を迎えているね。文学に目を向ければよくわかるように、たとえばディケンズの『戦争と平和』をちゃんとしたかたちで映画化しようなんてことは、もともと通常の映画の尺では無理なことだった。世の中には、そういう物語がたくさんあって、さらに、新たにそういう物語を語りたいと思う人も潜在的にたくさんいて、多分、それが今のテレビシリーズの隆盛につながっているんじゃないかな。過去にも、自分が大好きな、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの『アレクサンダー広場』や、クシシュトフ・キェシロフスキの『デカローグ』といった、なかなか適切な“出口”がない状況でも果敢に長尺の物語を撮ってきた映画作家はいたわけで。今は、そうした“出口”がビジネスとしても成り立つようになったわけだから、題材によって“出口”が選べるという意味では、我々にとってはいい時代なのかもしれない。もちろん、好きなようになんでも撮れるわけではないけどね。まぁ、すべてのものごとは進化していくし、変わっていく。そこに良いとか悪いとかはなくて、ただ新しい才能や新しい物語が必要とされて、これまであった古いものと代わっていくだけだと僕は思っているよ。(宇野維正)