2016年09月01日 00:01 リアルサウンド
9月10日に公開される常盤貴子主演映画『だれかの木琴』に、永作博美や滝藤賢一ら著名人が絶賛コメントを寄せた。
参考:常盤貴子が池松壮亮への“執着”を募らせるーー『だれかの木琴』予告編公開へ
本作は、井上荒野による同名原作小説を、『絵の中のぼくの村』『わたしのグランパ』の東陽一監督が映画化したサスペンス。主婦の小夜子が、心の隙間に入ってきた美容師の海斗に、どうしようもなく心が囚われていく模様を描く。小夜子役の常盤貴子、海斗役の池松壮亮をはじめ、勝村政信、佐津川愛美らが出演する。
東監督の前作『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』で主演を務めた永作博美、同作に出演した滝藤賢一のほか、映画コメンテーターの有村昆、映画評論家の樋口尚文が、本作を一足先に鑑賞しての思いをそれぞれ綴っている。
■永作博美(女優)コメント
女は狂うモノだと言っていた。確かに女は危険だ。私もそう、時々危険だ。どうにかまともに過ごしていきたいものだ...まともって何だ? 狂うの領域が大分あやふやになってきた今日この頃、どうバランスをとっていったらいいだろう...と気が付けばブツブツと思い巡らしていました。やはり...危険だ..。
■滝藤賢一(俳優)コメント
「何もしなくていい。あなたのまま、ただそこに居てくれれば。」東監督に頂いた言葉は僕の宝物だ。一切の無駄を排除した東監督の演出の虜になり、もはや逃れられない。
■有村昆(映画コメンテーター)コメント
本作のテーマは「虚無感から生まれる何か」
夫は仕事に明け暮れ、娘は中学で忙しい。 念願のマイホームで一人取り残された主婦は、女? 母? 何者なのか? この虚無感を埋めるために、女を感じさせてくれる美容師のストーカーに走る。 しかし人間はイケナイことをするとなぜか輝く。
大事なことは、教科書に載っていないのだ。恋、嫉妬、執着、興味、憎悪渦巻く形のない何かを、本作はぶちまけている。今の日本が抱える家族像の縮図である。
■樋口尚文(映画評論家)コメント
何不自由ない主人公・小夜子が、(自分でも気づいていない心の渇きを癒すかのように)海斗とのふれあいに執心する。面白いのは、監督が小夜子を世に言うストーカーとしては描いておらず、彼女は分別をわきまえ冷静なのである。むしろ小夜子に抗議をする海斗のガールフレンドの方が、ストーカーめいた静かな彷徨よりずっと極端に見える。海斗役の池松壮亮の職人的に練られた演技もさすがで、それを眺める監督の満足が伝わってくる。
(リアルサウンド編集部)