幅広い作風で男女問わず支持を受ける小説家、村山由佳さん。
その最新作『La Vie en Rose ラヴィアンローズ』(集英社刊)は、自身の新境地を拓くサスペンス小説であり、女性の静かな情念をまざまざと描いた意欲作。
夫婦関係や不倫、モラルハラスメントなど、現代に蔓延る問題と人間の欲望と闇を描ききった、最後までノンストップで読みきることができる物語です。
村山さんにこの衝撃のサスペンスについてお話をうかがってきました。インタビューの中編をお送りします!
・インタビュー前編はこちらから!
■「箱から取り出してもまだミイラになっていなかった」
――もう平気だと思っていたけれど、掘り起こしてみるとそうではなかった。
村山: 箱から取り出してみたら、まったくミイラになっていなかった。生のまま、みたいな感じです(笑)。
『ダブル・ファンタジー』や『放蕩記』も書きながらしんどさを感じていたのですが、この『ラヴィアンローズ』とは地下の水脈がつながっていると思います。
ただ、この『ラヴィアンローズ』は虚構のはずなんです。そもそも私の家の庭には何も埋まっていません(笑)。虚構の世界を書いたはずなのに、どうして私小説的なあの2作とつながるのだろうと。
――『放蕩記』は村山さんと村山さんのお母様の関係を元に書かれた小説でしたよね。
村山: そうですね。もちろんフィクションの部分はあるけれど、あの中に書いていることは、全て起こった出来事が下敷きになっていますというくらい自分に近かったんです。
この『ラヴィアンローズ』の、咲季子と咲季子を支配する夫という関係性は、『放蕩記』の中の主人公と母親の関係性とに似通っています。
『放蕩記』は母親の言葉で雁字搦めに縛られ、すべての行動を規定されている娘がいました。その行動を規定する人物が、『ラヴィアンローズ』では道彦という夫です。
――自分自身を掘り起こして、しんどさを感じながら小説を書くのは、精神的にも大変な作業ではないかと思います。途中で筆が止まることもあったのではないですか?
村山: ありましたけれど、突破しないといけない壁ですから、本当に追いつめられれば火事場の馬鹿力のようなパワーが出てきます。他の仕事だったら、しんどいとすぐに放り出してしまうんですけどね(苦笑)。自分に甘い性格なんです。
――小説に限っては最後まで書きぬく。
村山: はい。一度も途中でこの作品を書くのをやめようと思ったことはないです。座右の銘は「まあいっか」なんですが、小説に関してはそれはないですね。
■難航したのは「死後硬直していくシーン」
――『ラヴィアンローズ』の中で最も難航した部分はどこでしたか?
村山: 何回も逡巡したところは、穴を掘って道彦の死体を埋めるところですね。
ただ、「穴を掘って埋めた」というだけならば楽なんですけど、どのように硬直していくのか、どのように腐敗していくのか、リアルに書かなくては物語に説得力がなくなるのに、私自身は残念ながら実際に死後硬直が始まった遺体を二つ折りにしたことはないわけで(笑)。
今まで自分の手触りとして残っているのは、死んでしまったネコや犬がどんな風に硬くなっていって、それはどれだけ絶望的な硬さなのか。もしそれが愛する人ならばどうなのか、かつて自分を傷つけた男ならば…と重ねていって、想像していくしかないんです。
やり方によっては書かずに済ますことができたシーンもあったかもしれないけれど、逃げてはいけないと思って書いていました。
20数年、この仕事をしていると、それなりの技術は身に付きます。もし逃げても「あ、ここは避けているな」と思わせないこともできるわけで、それでも今回はすべての過程を咲季子と一緒に追体験し、それを言葉に翻訳して書かないと、意味がないと思っていました。
――村山さんにとって、咲季子にとっての薔薇の庭のような何があっても守る存在はありますか?
村山: 今、一緒に暮らしているネコたちですね。彼らの一生は私が責任を持って面倒を見ないといけないわけですから。
私がいなくなっても面倒を見る人がいないわけではないと思えることは一つの安心ではあるけれど、もし私が一人であれば、なんとか守りたいと思うでしょうね。
―― そういえば、村山さんのツイッターでもネコの写真をアップされていますね。
村山: 作家のアカウントをフォローしたはずなのに、ネコと食べ物しか出てこないと言われることもあります(笑)。
でも、そういう存在がたまたまネコだったということであって、私の献身を必要とする相手に関して、途中で投げ出すことは無理ですよね。実人生ではそういう情を男性にかけてしまうからややこしいことになってきたわけですが(笑)。
(後編は9月3日配信予定!)