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監督と助監督、それぞれの仕事 菊地健雄インタビュー「映画人である前に、社会人として」

2016年08月31日 16:01  リアルサウンド

リアルサウンド

菊地健雄監督

 瀬々敬久、黒沢清、熊切和嘉、石井裕也、大森立嗣、古澤健……第一線で活躍する映画監督の助監督としてキャリアを積み、昨年スマッシュヒットを記録した『ディアーディアー』で初監督を務めた菊地健雄監督。なぜ彼は、多くの映画監督から信頼されるのか。リアルサウンド映画部では、WEB番組『マチビト~神楽坂とお酒のハナシ~』(Youtubeで配信中)を手がけ、監督2作目を製作中の菊地監督へインタビューを実施。「映画を仕事とすること」をテーマに、これまでのキャリアを振り返りながら、盟友・染谷将太の魅力や映画への情熱について、たっぷりと語ってもらった。


参考:シカに運命を狂わされた三兄妹の行き着く先は? 足利発『ディアーディアー』の魅力


■突然の“セカンド”抜擢
--初監督作『ディアーディアー』のチラシには、錚々たる映画監督たちから菊地監督への愛ある激励のコメントが届けられていました。まず、この映画界へ足を踏み入れた経緯から聞かせていただけますか。


菊地健雄(以下、菊地):大学を出て、そのまま就職するのはどうかなと思っている頃に、映画美学校のチラシを見たんです。現在ほど、映画に関する学校が多くなかった当時、バイトしながら通うことのできる点もよかったですし、黒沢清さんや高橋洋さん、万田邦敏さん、諏訪敦彦さん、佐藤真さんなど好きな監督の方々が講師陣だったというのもあって、大学卒業後に入学しました。映画で食べていこうと考えたのはそこからですかね。


--その後、助監督としてキャリアを積んでいくわけですが、最初のきっかけは何だったのでしょうか。


菊地:きっかけは美学校フィクションコース高等科の瀬々敬久さんの実習でした。監督、カメラマン、録音など各パートにプロの方がきて、その下に助手として生徒が付くというものだったのですが、学校内でも「菊地は助監督だろ」という雰囲気がその頃から出来上がっていたんです。結局、このときはスクリプターとして参加したんですが、後に瀬々さんから、「お前は助監督の適性があるからやらないか」と『サンクチュアリ』(2006年公開・撮影は2003年)の現場に声をかけていただきました。ただ、助監督を経験しないで監督になる人も多い中で、改めて厳しい現場に入って怒られたり大変な思いをするのは嫌だなと思って、当時はそこまで乗り気ではなかったんですよ。それでも、瀬々さんの作品が大好きだったこともあり、プロの現場を見てみようという軽い気持ちで入ったんですね。そしたら、いきなりセカンドの助監督を任されて。


--それはかなり異例のことだったんですか。


菊地:普通は順番として、演出部は雑務から始める“見習い”からなんです。見習い→フォース→サード→セカンド→チーフという順番で“昇格”していく。決して規模の大きい作品ではなかったですが、それでもほぼ素人の僕がセカンドを任されるのは割と異例のことで。瀬々さんは、お前ならできると言ってくれたんですけど、蓋を開けてみたらそれまでやってきたことがまったく通用しない。瀬々さんにもすごく怒られましたし、チーフ助監督の松岡邦彦さんからもほぼ毎日のように説教を受けました。本当にしんどかったですねえ。でも、この現場がきっかけで次々と助監督の話が舞い込んできました。映画の現場の仕事の回り方って、結局人の繋がりなんですね。特に助監督は大作から低予算まで人が足りていないので、ピンク映画や自主系映画の現場にスタッフがきて“人買い”のように斡旋されていくというか(笑)。


--その頃はもう助監督で食べていくことができる状態だったんですか。


菊地:ギリギリであったことは間違いないですけど、バイトをしなくてもいいだけのギャラはいただけていました。出発はいきなりのセカンド助監督でしたが、その後やはり助監督の仕事はちゃんと積み重ねていかないと身に付かないと思い、サードからやりなおし、幸運にも仕事が切れずに続きました。


--実際、そのような状況の中でオフらしいオフはあったんですか。


菊地:それも巡りあわせですね。作品と作品の合間で2週間やひと月くらいオフがあるときもあれば、次の作品と重なるような形でスケジュールが進むこともありましたし。ひとつの作品が終わって、別の作品を手伝いに行って、その撮影が終わると今度は同じスタッフでまた違う撮影が始まる。


--まるで昔の撮影所システムみたいな状態だったんですね。


菊地:僕は本当にラッキーだったんだと思います。次々と仕事に恵まれる人もいれば、そうでない場合もある。最初に入った現場で繋がりができないと次が続かなかったり……。この業界は入口が見えにくいんですよね。撮影所システムが崩壊してからは、映画の現場はほとんどフリーランスの集まりなわけですから。ただ、だからこそ入口さえ見つけてしまえば、現場は人が常に足りていない状況なので、仕事自体は見つけやすいですね。


■師匠・瀬々敬久監督
--助監督で一番辛かった思い出を差し支えない範囲でお聞きしたいのですが。


菊地:いやもう辛い思い出ばかりで選べないですね(笑)。でも、強いて挙げると、チーフ助監督になりたての頃に『アブラクサスの祭り』(10年/監督:加藤直輝)の現場で、天気読みをことごとく外したことがあって。それでその現場では「裏目の菊地」という不名誉なアダ名で呼ばれてました。天気ばかりは自分のせいでないと自分に言い聞かせるしかないのですが、それでも自ら組んだスケジュールが崩壊していく様をただ途方に暮れて見ているしかなく、もう頭が真っ白になって煙草を吸うしかできなかったことですかね。現場も大変でしたが、毎日スケジュールを組み直さなければならなかったのでベッドに辿り着けなかった思い出があります。


--こうしてお話をしていても菊地さんの人柄のよさがよく分かります。助監督として多くの監督に求められる理由をご自身ではどう考えていますか。


菊地:瀬々さんに「何で自分を助監督に誘ったんですか」って聞いたことがあるんですけど、「お前は単純に“座持ち”するから」と。あとは「お前がいると現場が和む」とも言ってくれて。


--今日が初対面ですけど、確かにそれは分かる気がします(笑)。


菊地:正直、そんなことが理由だったのかとガッカリしたんですけど、十数年助監督をやって昨年監督作を撮れたのもその部分が大きかったのかなと今は思います。僕より優秀な助監督が他にも沢山いるなかで、この性格と“映画を作りたい”という強い思いだけで生き残ってこれました。まあ、なにより志をもった人が集まって、ああでもないこうでもないと頭を悩ませながら何かを一緒に作っていくというのが昔から好きなんですよ。


--様々な個性の監督の下で仕事をされてきて、それぞれに尊敬すべき点があったと思うのですが、やはり最初に付いた瀬々監督は特別な存在ですか。


菊地:やはり師匠といえるのは瀬々さんになりますね。瀬々さんから何を教わったかと思い返したとき、演出のやり方や映画の捉え方を学んだというのも当然あると思いますが、一番鍛えられたのは映画人である以前に社会人として、人として、どうあるべきかという点なんです。映画を作ることは、アート的側面や表現活動とも言えますが、一方で、他人のお金で仕事として作るという側面もあります。そして、その映画にお金を払って見てくれる観客がいて、はじめて成立する訳ですよね。そうやって様々な部分で関わってくれた人たちに誠意を示すには、社会人としての礼儀がまずあるべきなんだと。助監督としての仕事というよりも、いかに自分が関わっていく人たちそれぞれときちんとコミュニケーションを取らなくてはいけないか、その点に関して強く叱責も受けましたし、指導してもらいました。そのおかげで今の自分があると思います。


--瀬々監督の作品(特に初期)だけを見ている人からしたら意外なイメージかもしれませんね。


菊地:僕も瀬々さんと知り合うまでは、どんな酷い監督がこんな映画を作っているんだろうと思っていたんですよ(笑)。他にも例えば、熊切和嘉さんも『鬼畜大宴会』とかすごい映画を撮ってましたけど、本人と会った時はイメージしていた人間像とまったく違って。やっぱり、活躍している監督方は、社会人としてしっかりしているし、人間的にもチャーミングなんです。だからこそ、しんどい思いをしても、良いカットが撮れたときの監督の笑顔が見たくて、また仕事をしてしまうんです。瀬々さんがよく言うのは「所詮、人間同士が作るもの。映画はひとりじゃできない。だからこそ、きっちり守らないといけないルールがある」と。この言葉は『ディアーディアー』を撮ったときも大事にしていました。


■助監督から監督へ
--撮影所がシステムとして機能していた時代は、助監督を数本務めたのちに監督を任せてもらえるという仕組みがあったわけですが、フリーの今は中々難しい部分もあるかと思います。昨年、『ディアーディアー』で監督デビューを果たしたわけですが、今後の活動としてはどのようにお考えになられているのでしょうか。


菊地:本音を言えば、助監督を卒業したいという思いはあります。助監督として多くの作品に携わりましたが、監督をやってみないと分からないことがいっぱいありました。助監督の仕事というのは準備から入って撮影まで、という形がほとんどで、シナリオの打合せや編集の仕上げ、完成後のプロモーションなどは関与しないことが多いんです。監督として作品を作り続けることで鍛えられていく部分があるというものがあるはずなので、監督業一本に絞るべきだとは思っているんですが。ただね……、単純に生活していくための仕事もしなくてはいけないし、助監督としてお世話になった監督方が新作を撮るとなれば協力したいとも思ってしまう。難しいところですねえ。でも、撮影所の時代は、一度監督になった人は助監督に戻らないというのが当たり前だったんですけど、今はフリーなのでその辺りの横断が自由で、どちらもできるという環境ではありますね。業界的にも助監督が枯渇しているというのもあります。


--監督専念となりたくてもそうはできない現実もあると。


菊地:監督としてやっていくのか、生活のために助監督でやっていくのか、その選択肢をつきつけられている方は多くいると思います。そもそも、“助監督”から監督へ、というのは日本独特なんですよ。アメリカやフランスでは、助監督(アシスタント・ディレクター)は、プロデューサー志望の人が多いと聞きます。スケジュールを組んだり、撮影の事前準備をしたりというのは、予算とも直結することなので、プロデューサーを目指すのは確かに合理的なんです。海外では監督(ディレクター)になるというよりも、プロデューサーの方が作品を動かせるというのも大きな理由の一つのようですが。


■盟友・染谷将太
--『ディアーディアー』には染谷将太さんが出演されていますが、逆オファーだったという話を他のインタビュー記事で拝見しました。一緒に映画を観に行ったりするなど、とても仲がいいとお聞きしたのですが、二人の関係性を教えていただけますか。


菊地:まだ駆け出し助監督の頃、『地獄小僧』(05年/監督:安里麻里)で染谷くんと出会いました。彼がまだ12歳の頃でしたが、オーディションなどで見かける度に存在感があって、一緒に仕事をしてみると他の子役とは違う雰囲気を持っていましたね。でも、この頃は小学生でしたから、まさか後に友情が芽生えるとは思ってもみませんでした(笑)。


--“友人”となったのはいつ頃だったんですか。


菊地:決定的だったのは『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』(10年/監督:瀬田なつき)の頃ですね。そこに至るまで手伝いにいった現場などでよく話すようになって、すでに仲良くなってはいたんですけど、二人だけで出かけるっていうのはこの頃からだったかなあ。まだ未成年だったので、連れ回すわけにはいかなかったんですけど、映画を観たり、ご飯を食べに行ったりという感じで。趣味が合ったんですよね。彼は早熟というか、僕が面白いと思う映画も面白がってくれましたし、音楽や写真の趣味もあって。


--数年後、子役で出会った少年の奥さん(『マチビト~神楽坂』で菊地凛子が主演)を撮るようになるとは思いもよりませんよね。


菊地:仲良くなった頃は、大きな映画で主演を務めるような役者になるとは思ってもいませんでしたからね。思ってもいない、という言い方は違うか。びっくりはしているんですけど、ポテンシャルがあるのは分かっていたので、そうだよねという感じかな。子役の頃から面白い奴だったし、芝居も人を惹きつけるものを持っていましたから。ただ、そのスピードはこちらの予想以上の早さでしたね。


--メジャー映画とインディペンデント映画を横断的に活動できる役者という意味でも、染谷さんが日本映画界に与えている影響は大きいですよね。


菊地:染谷くんは高校の頃から自主映画も作っていたし、現場ではスタッフと仲良くなるタイプですからね。演じることが彼の天職だとは思いますけど、裏方にもなれる器量もあります。すでに監督作を撮っていますけど、いい役者はいい監督になると思うので、ジョン・カサベテスやクリント・イーストウッドのようになるかもしれない。子供の頃から見ているので不思議な感じもありますけど、映画を作る仲間の一人であり、友人でもあるという存在ですね。


■誰が観ても面白い映画を
--現在の日本映画界は大作とインディペンデントの二極化が進み、映画製作の現場は厳しいものもあるかと思います。映画を仕事にすることを菊地監督はどう考えていらっしゃいますか。


菊地:確かに映画製作の現状は厳しい部分もあります。今の日本の映画界って、失敗することが許されない雰囲気がすごくあると思うんです。失敗したらもう撮れなくなるんじゃないかという危機感がどの監督にもある。でも、僕が助監督として付いてきた監督たちを見ると、撮れる人は“失敗”しても、しぶとく撮ってるんですよね。野球のバッターと一緒で、映画監督にも10割バッターはいないと思うんです。最初からその気持ちでいるというわけではありませんが、失敗してもまたやり直せばいいと腹を括ってるところはありますね。映画を仕事にすることは、ある側面から見たらこの上もなく大変だと言えるかもしれませんが、僕個人としてはやはり非常に面白いですし、やりがいがありますね。


--監督としての仕事を菊地監督はどのようにとらえていらっしゃいますか。


菊地:監督って実は具体的な仕事が見えづらいですよね。多くの場合、映像を撮るのはキャメラマンで、音を録るのは録音部で、演じてくれるのは役者さんで、撮影した映像は編集部さんが繋いでくれる。監督は単に“選択”をしてまとめているにしか過ぎないような気がします。要するに「よーい、スタート」と「カット」の声を掛けてOKかNGか判断するというか。でも、スタッフが一緒でも監督と脚本が違えば映画のテイストは大きく異なる。例えば、瀬田なつきさんと僕のスタッフはほとんど一緒なんですが、完成した映画はまったく似ているところがないですからね(笑)。当然といえば当然なんですが、それが映画の面白いところでもあるなあと思います。


--これから菊地監督が目ざす映画はどんな映画でしょうか。


菊地:僕自身が映画ファンの一人なので、予算の大小に関わらず誰が観ても面白い映画を作りたいなと思っています。色々なジャンルにも挑戦していきたいですね。メジャーなもの、マイナーなもの、そのどちらであっても、観た人がいろんなことを語ることができる映画が増えていけばいい。例えば、最近だと『シン・ゴジラ』は、作り手も観客も色々と語れる、まさにそういう作品ですけど、意外とありそうでないんですよね。そういった映画を映画人は考えなくてはいけないですし、僕も作っていきたいと思っています。どういう想いをもってその映画を作ったかということよりも、どう観客が受け止めてくれるかということが一番大事なことなのだと思います。(石井達也)