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音楽フェスの未来はどこに向かう? 今年のRIJFとTIFからレジーが考察

2016年08月23日 15:51  リアルサウンド

リアルサウンド

画像はイメージです。

・THE YELLOW MONKEYが「リベンジ」で見せた王者の風格


 今年で17回目の開催、すっかり夏の風物として定着したROCK IN JAPAN FESTIVAL(以下RIJF)。今回も2014年、2015年と同様の週末2回にまたがる開催となったこのイベントのチケットは全日程がソールドアウトし、総動員数は27万人とさらなる拡大を見せた。初回から毎年参加しているこのイベントに、今年は後半の2日間(8月13日、8月14日)で参加した。


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 後半日程の目玉は、何と言ってもTHE YELLOW MONKEY(以下イエモン)の再集結後初めてとなるロックフェスへの出演である。2000年に開催された初回のRIJFに出演したイエモンは、台風が接近するひたち海浜公園において大雨の中でライブを披露。その後予定されていたAJICOと中村一義のステージが悪天候のため中止になってしまったことで、結果的にこの年の「トリ」を務めることとなった。当時あの場にいた自分は18歳、大学1年生。まさか40歳が見えてきている今のタイミングになって、またひたちなかでイエモンを見るとは……という感慨深い気持ちで当日を迎えた。今年イエモンが登場したのは8月13日、奇しくも16年前と同じ日付である(余談だが、2000年のRIJFにおけるイエモンのステージの映像はいまだにインターネット上に残っている。オーディエンスの反応や服装などから「フェス創生期」の雰囲気がわかる貴重な史料である)。


 16年前のステージでは当時の最新アルバム『8』の収録曲を主体としたセットリストだったが、この日イエモンが見せたのは問答無用のヒットメドレー。「代表曲をやる」という旨のMCからは妙な自意識から解放されたサービス精神だけでなく、解散後にイエモンと出会ったような若い世代のオーディエンスも根こそぎ持っていってやろうという気合と覚悟が感じられた。「楽園」「SPARK」「LOVE LOVE SHOW」、そして16年前と同じ「バラ色の日々」「パール」の流れ……特定の世代にとって「気がつかぬ間に歌詞とメロディが身体に刻み込まれている」とでも言うべき楽曲が次々と演奏されていくステージは(自分自身そこまでイエモンに入れ込んでいたわけではないのに、大半の曲の歌詞がすらすら出てきて驚いた)、J-POPというものが文化全体の中心に鎮座していた時代の華やかさに満ち溢れていた。


 こう書くと、この日のライブが「単なる懐メロカラオケ大会」だったと誤解する向きもあるかもしれない。そういう側面があったことは決して否定しないが、久々のフェスの舞台でイエモンは若手のロックバンドとは全く異なる感触の音楽体験を提供してくれたように思える。「どこから見てもロックスター」とも言うべき妖艶な雰囲気はこの日出演していたどのアクトにも見られなかったものであり、後半で導入された特効もそんな雰囲気にぴったりはまっていた。また、新曲の「ALRIGHT」がキャッチーかつ雄大なメロディと再結成への思いを綴った歌詞でオーディエンスを魅了し、BPMを過剰に上げたり言葉を詰め込んだりしなくても「いいメロディとタイトなビートと想像力をかきたてる歌詞があれば聴き手を十分に高揚させることができる」という当たり前の原理を立証してみせた。さらに、このバンドの凄みの一つでもある「生命」や「人間の存在」について深く問いかけるような重たい曲もセットリストに組み込まれており、「球根」「JAM」が発するシリアスなムードが享楽的になりがちなフェスの空気を一変させた。


 吉井和哉はMCにおいて16年前のパフォーマンスを引合いに出しながら「このステージでリベンジがしたかった」と語っていた。「邦楽主体のロックフェス」という新しい文化の始まり、かつ大雨という最悪のコンディションの中でのステージということで、2000年のRIJFはバンドにとっても印象深い出来事だったのだろう。そしてこの日のイエモンは、「リベンジ」という言葉では語りつくせない「日本のロックの王者」としての姿を見せつけた。再集結後最初のテレビ出演となった7月の『THE MUSIC DAY 夏のはじまり。』(日本テレビ)において吉井は「日本人が聴く日本で生まれたバンドの集大成」という表現を使っていたが、その言葉に恥じない素晴らしいロックンロールショーだった。


・「快適なフェス」において異彩を放ったKen Yokoyamaのパンクロッカーとしての姿


 イエモンと同様にRIJF初期の空気を感じさせるステージを展開したのが、14日のSOUND OF FORESTに出演した中村一義である。2000年の大トリを務める予定だったはずが前述のとおり悪天候で中止となり翌年の大トリでそのリベンジを果たした、というのがRIJFスタート時の最も大きなドラマだった。そして、2001年のステージのラストに初めて披露された「キャノンボール」が、この日の中村一義のライブにおいても最後の曲として演奏された。


 15年前にGRASS STAGEの大トリをこなしたアクトが、決して超満員ではない中規模のステージで演奏している。ライブそのものが素晴らしかったがゆえに余計に寂しさを感じさせるこの状況は、RIJFの15年間の変貌を非常にわかりやすく表している。初期のRIJFでは中村一義だけでなく、ラッパ我リヤ、KING BROTHERS、PE’Zなど、お茶の間とは距離のあるアーティストがGRASS STAGEに多数登場していた。ステージ数が増え、またロックフェスという娯楽が一般化していく過程で、アーティストの定量的なパワー(セールスや動員など)と出演ステージの間には比較的シンプルな相関が見られるようになっていった。


 エッジの効いたアーティストが複数のステージに点在し、規模の大きいステージにはわかりやすいアクトが集中する。そんな形でRIJFが音楽的に「間口の広い」フェスになっていく過程で同時に獲得していったのが、「フェスとしての快適さ」である。当初からトイレの多さにこだわるなどインフラ面への配慮はあったが、毎年のように行われる動線のブラッシュアップなど、会場の至るところに「参加者にストレスを感じさせないための工夫」が導入されている(今年から新たな設置された「まつかぜルート」もとても気持ちの良い空間だった)。また、時代の趨勢に合わせて、「フォトスポット」についても今年はさらに拡充されていた。定番となった「ROCK」というオブジェの前で写真を撮るために長蛇の列ができている状況からは、このフェスが「SNSとともにフェスを楽しむ層」のニーズにがっちり応えていることがよくわかる。


 「快適なフェス」を維持するには参加者の安全性の確保も必要になってくるが、そのためにRIJFでは「ダイブなどの危険行為の禁止」が徹底されている。そんなルールを飲みこんだうえで、本来はダイブが飛び交う光景を主戦場としているにも関わらず今年のRIJFのステージに立つことを決めたのがKen Yokoyamaである。今回の出演にあたって自身のコラム(Pizza Of Death Records『横山健の別に危なくないコラム』Vol.94 http://www.pizzaofdeath.com/column/ken/2016/06/vol94.html)で真意の説明がなされていたが、よりロックンロール・パンクロックを広めたいというスタンスからの行動は昨年の「ミュージックステーション」への出演の延長線上にあるものと解釈できる。丁寧な曲紹介や「子供にロックをやらせたい親御さんは、他の軟弱なバンドなんか見せないで俺らみたいになれって言え」といった趣旨のMCからは彼の切実な思いが感じられたし、また演奏においても一曲目の「Punk Rock Dream」でのステージ上の空気がガラッと変わる感じや「STAY GOLD」でたくさんのオーディエンスがフロントエリアに駆け出していく様子は鳥肌ものだった。


 ただ、個人的な感想として、この日のステージから何とも言えない窮屈な印象を受けたのもまた事実である。アウェー感が渦巻く環境の中で「ルールを守って」「水分補給はしっかり」といった「優等生的」なMCを挟みながらライブを進める様子を目の当たりにするのは(本人が意識的にやっていることとはいえ)とても苦しかったし、「広く伝えること」と「そのために失わざるを得ないこと」の収支バランスがとれているようには見えなかった。


 昨年のRIJFに関する原稿(リアルサウンド『ROCK IN JAPAN FES.はなぜ拡大し続ける? 「ロック」概念の変化を通してレジーが考察』 http://realsound.jp/2015/08/post-4284.html)を書いた際に「ロックフェスの歴史は、普段のライブとは異なる環境の中で苦闘するミュージシャンの歴史でもある。」という表現を使ったが、今年のKen Yokoyamaのステージはまさにこの状況を体現するかのような壮絶なものだった。フェスに関わる全ての人たちは、アーティスト、オーディエンス、運営、立場を問わずそれぞれが「魅力的な空間をともに作り上げる」ための関係性であってほしい。いつものRIJFでは感じないような感覚が、自分の中に去来した。


・「アイドルフェス」が歩んでいく道


 「ROCK IN JAPAN は毎年活気に満ちている。しかし必ずしもロックファンが集っているわけではないと思う。逆に言うと、そこに可能性があるのではないだろうか?アイドルを観に来た人達、ポップバンドを観に来た人達にロックがアピールできる場なのだ。「小さくなってきたロックを広める場」なのだ。」


 前述のコラムにおいてKen YokoyamaはRIJFについての認識をこう語っているが、実際のところこのフェスにおいてアイドルというものの占める割合は実はあまり大きくない。4日間のうち、ここで触れられているようなアイドルとカウントできそうなグループはBABYMETAL、チームしゃちほこ、でんぱ組.inc、℃-uteの4組。2013年、2014年に積極的にアイドルを登用したことで「RIJFにはアイドルも出る」というイメージが一部に流布されている感じがあるが、「アイドルを見たい人」がこのフェスにわざわざ足を運ぶメリットは現状ではあまりない。


 数年前に「アイドル」と「ロックフェス」がいかに交わるかというテーマが話題になったこともあったが、2016年時点で「アイドル」は「ロックフェス」とは異なるフェスの場を作り上げている。今年で7回目を迎えるTOKYO IDOL FESTIVAL(以下TIF)は75000人を超える動員数を記録。実施日数は異なるものの、「4大フェス」と言われる日本の大型フェスのうちの1つであるRISING SUN ROCK FESTIVALと同等の規模にまで成長した。


 今年のTIFについては「沸くための装置となった」というような参加者の実感が各所で語られ、最終日の夜のSMILE GARDENにおいてオーディエンスがサイリウムを投げまくる映像も話題となった。このあたりの話についてはTIFにも参加していたアイドル現場に詳しいガリバー氏が「1日200ステージ以上進行しているステージの中で、沸ける事が重要視され・荒れるステージなんて1割も無いのに、まるでそれが象徴のように語られるのは無理がありすぎる」と指摘しており(ガリバーTwitter2016年8月15日投稿 https://twitter.com/gulliverdj/status/765209887869501441)、針小棒大に取り扱われている部分もあるかもしれない。ただ、「みんなで乗れる・盛り上がれることが大事」といった価値観が一気に浸透していったロックフェスのあり方を補助線として引くと、アイドルフェスが「とにかく沸くことが大事」という方向性に今後さらに振れていくというのは決して荒唐無稽な話ではない。


 日本のロックフェスの歴史は1997年に開催された初回のFUJI ROCK FESTIVAL(以下フジロック)から数えて約20年だが、アイドルフェスの歴史は長く見積もってもその半分にも満たない。「アイドル戦国時代」を経て世間に定着しつつある状況で考えると、せいぜいまだ2、3年。これから歴史が作られていくタイミングである。ロックフェスの歴史を振り返ると、97年のフジロック、2000年のRIJFと早々に「途中中止」という試練があり、そこで芽生えた参加者の意識の高さ(服装はしっかり準備する、地域の人に迷惑をかけない、フェスは自分たちが作るもの、など)が共有されたコンテクストとして存在している。アイドルフェスという文化において現段階ではそういった「行動規範として語り継ぐべき共通体験」というようなものはおそらくまだないし、大きく取り沙汰されてしまうような逸脱した「沸き方」がTIFの一部ステージで見受けられるのにもそういった背景があるのかもしれない。


 今年のTIFでは一部のアクトのために早朝から整理券が配布されたりSMILE GARDEN周辺に目隠し用の幕が設置されたりと、「自由と信用」を核にした運営(それはもしかしたら「ずぼらさ」の裏返しだったのかもしれないが)が終わろうとしている兆しがいくつか見られた。この先のTIFが「快適さを維持するためのルール作り」が前面に押し出されたものになっていくのか、それともこれまでの牧歌的なムードを残していこうとするのか。今後もTIFがショーケースの場として魅力的であり続けられるかどうかは、アイドル文化の未来においてとても重要である。「アイドルフェス」が「ロックフェス」と同じような歴史を積み重ねていくのか、それとも独自の道を歩むのか、参加者として楽しみながら今後の動向を注視していきたい。(文=レジー)