『コンビニ人間』(文藝春秋刊)で第155回芥川賞を受賞した村田沙耶香さん。
かねてよりテレビの対談番組で「いまでも週3日、コンビニでバイトをしている」と語っていたが、本作の主人公・古倉恵子は36歳の未婚女性であったり、依存的なまでにコンビニバイト中心の生活を送っていたりと、作者自身のプロフィールとも重なるところが多い。
会見では「コンビニは自分の聖域なので、小説にすることはないと思ったが、なぜか書いてみようと思いました。コンビニに対する愛情を作品にできたことは良かった」と語っていた村田さん。
本作のどんなシーンにその「コンビニ愛」を見て取れるのか?
■『コンビニ人間』のあらすじ
本題に入る前に、まずは本作のあらすじをさらっておこう。
本作の主人公・恵子は、「小鳥が死んでいるのを見つけ、周りの子どもたちが悲しむなか、ひとり平然と『焼き鳥にしよう』と言い出して周囲を困惑させた」というエピソードに象徴されるように、何かとズレた言動を繰り返す子どもだった。
そんな恵子は成長するにつれ、「普通」であろうと努めるようになり、必要なこと以外の言葉は口にせず、自分から行動しないようになっていく。
だが大学1年のある日、家の近所にオープンしたコンビニ店「スマイルマート日色町駅前店」で働き始め、恵子は生まれて初めて自分の居場所を見つける。
笑顔の作り方や、接客用の声の出し方等、あらゆることがマニュアル化され、一切のグレーゾーンがないコンビニという世界は、彼女にとって、これ以上ないほど居心地の良いものだったのだ。
恵子は「マニュアルの外では、どうすればいいのかさっぱり分からないから」と、大学卒業後も就職することなく、週に5日コンビニバイトに通う生活を続け、いつしか「36歳、恋愛経験なしの未婚、コンビニバイト歴18年」という経歴の持ち主になっていた。
■延々5ページにわたって続く「コンビニの音」の描写
では、本題の「コンビニ愛」について見ていこう。
本作の冒頭、村田さんのそれは雪崩を打ったかのように押し寄せてくる。
コンビニエンスストアは、音で満ちている。客が入ってくるチャイムの音に、店内を流れる有線放送で新商品を宣伝するアイドルの声。店員の掛け声に、バーコードをスキャンする音。かごに物を入れる音、パンの袋が握られる音に、店内を歩き回るヒールの音。全てが混ざり合い、「コンビニの音」になって、私の鼓膜にずっと触れている。
(本書3ページより引用)
さらにこのあとも、売り場のペットボトルが一つ売れ、代わりに奥にあるペットボトルがローラーで流れてくるときに鳴る「カラカラ」という音、タバコや新聞を買おうとしている客がポケットのなかで小銭を鳴らしているときの「チャリ」という微かな音など、延々5ページにわたって「コンビニの音」を描写する。
一つひとつの音は、取るに足らないものばかり。
だが、コンビニ店員がどのように耳を使っているのか「これでもか」と重ねてくるこの描写に狂気すら感じるのは筆者だけだろうか。そして、その狂気に、村田さんの「コンビニ愛」を感じることができるのだ。
■「イケてない」陳列を見た恵子がとった行動を通して見えてくる、作者のコンビニ愛
また、村田さんの「コンビニ愛」が極限にまで高まりを見せる、いわば本書のクライマックスといいたくなる場面がある。
ネタばれになってしまうので細かい経緯は触れないが、物語の終盤、主人公の恵子が客として入ったコンビニで残念な陳列棚を目にして、いても立ってもいられなくなるシーンだ。
やや長くなるが引用しよう。
はっとしてオープンケースを見ると、「今日からパスタ全品30円引き!」というポスターが貼ってあった。それなのにパスタが焼きそばやお好み焼きと混ざって置いてあり、ちっとも目立っていない。
これは大変だと、私はパスタを冷麺の隣の目立つ場所へ移動させた。
(中略)今度はチョコレート売り場が目に入った。慌てて携帯を取り出し今日の日付を見る。今日は火曜日、新商品の日だ。コンビニ店員にとって一週間で一番大切なこの日のことを、どうして忘れていたのだろう。
私はチョコレートの新商品が、一番下の棚に一列しか並んでいないのを見て、悲鳴をあげそうだった。(中略)私は手早く売場を直し、大して売れるものではないのに幅をとっている菓子を一列にして、新商品を一番上の段に三段にして並べ、他の菓子につけっぱなしになっていた「新商品!」というPOPをつけた。
(本書145-146ページより引用)
筆者はコンビニでアルバイトをしたことがないので、普通のコンビニ店員が客としてコンビニを訪れたときに、その店内を見ただけで、ここまでひっ迫して危機感を覚え、行動してしまうかどうかは分からない。
しかし、妙にリアリティを感じてしまうのは、村田さん自身が店員としてではなく客としてコンビニへ入った際、似たような感覚を味わったことがあるかのような描写になっているからではないか。
コンビニ店内のあらゆる情報を的確にキャッチしていくさまは、まさにコンビニを知り尽くしていないとできないこと。だからこそ筆者は、そうした一つ一つのシーンから、村田さんがコンビニで働いているときの姿を連想せずにはいられなかった。
この『コンビニ人間』から伝わってくる「コンビニ愛」は、まさに狂気ともいえるものだろう。しかしながら、筆者も含めた自分たち自身も、それぞれの仕事や職場に対して似たような愛を抱いているように感じるのだ。
自分はここまで自分がいる空間を緻密に描けるだろうか。少し試してみようと思った。
(新刊JP編集部)