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角川映画メディアミックスの“本気”と“意地”ーー企画展『角川映画の40年』レポート

2016年08月18日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

角川映画の40年 撮影=水上賢治

 今で言うメディアミックスの広報戦略を大胆に仕掛けるなど、画期的な手法で大ヒット作を次々と生み出し、一大ブームを巻き起こした≪角川映画≫の40年にわたる軌跡を作品で振り返る≪角川映画祭≫が現在開催中。それに合わせ、京橋にある東京国立近代美術館フィルムセンターでは企画展≪角川映画の40年≫が開催されている。


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 これは角川映画に限ったことではないが、ある映画を回顧しようとしたとき、その遍歴を鑑みて代表作やポイントとなる作品を網羅して特集上映するのが王道。ただ、角川映画に関しては作品上映だけでは何かが足りない。そう感じた方は少なくないのではないだろうか?おそらく角川映画を少しでも通ってきた人間にとって、角川映画を振り返ったとき、真っ先に思い起こされるのは、大量にテレビで流されていた予告編や、映画館のみならず書店やレコードショップでも見かけられた主演女優のポスター、主演俳優がそのまま歌う映画主題歌や印象的なキャッチコピーに違いない。そう、角川映画は宣伝素材とパックで我々の中に確かにあった。おそらく、パブリシティが角川映画のブランド力やイメージを決定づけた。いわば、角川映画は作品と宣伝物が表裏一体の関係。作品とパブリシティが両輪となって角川映画が形成されているといえなくもない。実は、宣伝素材なくして角川映画は語れない。


 その当時の広告・宣伝物を見せることを考えたとき、展示を主とする企画展はまさにうってつけ。そういう意味で、今回、東京国立近代美術館フィルムセンターで開催となった企画展≪角川映画の40年≫は必然であり、角川映画を回顧するには欠かせなかったといっていいだろう。


 実際、会場に足を運ぶと、それは実感できる。通常、こういったタイプの企画展は、その映画の歴史を紐解き語るにふさわしい、関係者や会社の、いわば一般には出回らない、人目にあまり触れてこなかった資料で構成されることがほとんどだ。


 でも、この企画展はまったく違う。目に飛び込んでくるのは、ポスターや原作本、凝ったパンフレットや広告コピーといった世に出て一般の人々の目に触れてきたものが当時を物語るものとして数多く並ぶ。角川映画を通ってきたとりわけ40、50代にとっては、きっと何かしらの若かりし頃の記憶が呼び覚まされる。もっといえば、ちょっと自身がタイムスリップしたような錯覚に陥るに違いない。そこでまた気づかされるのだ。どれだけ当時の角川映画が仕掛けた広告戦略が斬新でセンセーショナルで鮮烈だったかと。


 この広告戦略については当時から、”商業主義”をはじめ、いろいろと批判があった。宣伝なのだからそういった側面がなかったといったら、確かにそれは嘘になる。ただ、こうして改めて角川映画が制作した宣伝物の数々を見直してみると、単に映画をヒットさせるためだけではなかったことが伝わってくる。広告コピー、プレス資料ひとつとっても、そこから見て取れるのは”本気度”だ。たとえば、角川三人娘、薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子の出演映画のプレスシートを並べたコーナーがあるのだが、これを見るとそれがわかる。その凝ったデザインとレイアウトのプレスから、彼らがどれだけ力を入れて映画を作っているかがなにか得たいの知れない熱量で伝わってくる。3人を自分たちの力で売り出して単なるアイドルではない一人前の女優に成長させようとしているかがわかる。そこからは、映画は映画会社が作るものといった時代に、あえて出版界から映画界へと乗り込んだ後発・新参者の角川がどれだけ映画に力を注いでいたのか? その映画への”本気度”と後発者ゆえの”意地”がひしひしと伝わってくるはず。その”本気”は誰も否定できない。


 パブリシティの側面で終始してきたが、今回の企画展の注目点はそれだけではない。実は、この企画展は、単に映画的価値のある貴重な資料に目を通す的なマニアックで堅い内容では決してない。むしろカジュアルでフランクに楽しめる。


 もちろん、「第1章 大旋風―角川映画の誕生」「第2章 “角川三人娘”登場―アイドル映画の時代」「第3章 アニメーションと超大作」「第4章 再生、そして現代へ」と章立てて、角川映画のたどってきた40年をしっかりと紹介している。角川映画の始まりである市川崑監督の1976年作品『犬神家の一族』の写真アルバム、主人公金田一耕助のトランクや帽子といった映画遺産といえる貴重な資料も豊富。『セーラー服と機関銃』のあの”カ・イ・カ・ン”シーンの演出プランが書き込まれた台本など、映画ファンにはたまらない品も展示されている。


 ただ、そういうことを抜きに、こういうと変な話だが、角川映画にさほどなじみがなくても楽しめる趣向のこらされたコーナーもいくつか用意されている。それは企画展の導入部、入り口にまずある。ここに用意されているのは、『犬神家の一族』の有名なあの湖のシーンに登場する、あの脚をかたどったキット。ここは写真撮影OK。ぜひ記念写真を。


 また、中ほどに設けられた一室には、薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子の大型ポスターがずらり横並びに。その前にイスが一脚用意されていると、座ると当時アイドル女優と呼ばれた彼女たちに囲まれる。いわばここは当時、彼女たちに魅了されたファンの自宅といった趣向のコーナー。イスに腰掛けると、1980年代が不思議と偲ばれる。


 そして、最後の最後に待っているのがミニシアターコーナー。ここでは『人間の証明』『セーラー服と機関銃 完璧版』といった角川映画を代表する作品の当時、大いに話題を呼んだ予告編が5編連続で常時上映されている。ほとんどの予告編は、そのとき限りの命。こういう機会でもないと見るチャンスはほとんどない。これぞ企画展示ならでは可能で、だからこそ実現できる試み。こちらもぜひ足を止めてほしい。


 また、今回企画展を手掛けた東京国立近代美術館フィルムセンター主任研究員の岡田秀則さんは、「角川映画を通ってきた人間からすると、ついこないだのことという印象がある。でも、実際は『犬神家の一族』から数えて40年。40年というのは立派な歴史で。しかも日本映画の文脈でいえば、いわゆる昔から続く大手の映画会社ではなく、そこにいわば殴り込みをかけてきた会社でもある。その会社が継続してきたわけで、もう日本映画の中で遺産として考えていい時代が来たと思います。開催が始まってまだ間もないですが、おかげさまで今までフィルムセンターにこれまできたことがない方にけっこうご来場いただいています。改めて角川映画が日本映画に確かな足跡を残してきたことを感じています」と語る。


 最後に、もう一点感じるのは、おそらく角川映画がなければ、手にしなかった原作も多いのではないかということだ。自身を振り返っても角川映画なくして横溝正史や森村誠一らの原作を手にしたかはなはだ心もとない。そういう意味で、角川映画は文学界、活字メディアに及ぼした影響も大。良いか悪いかは別にして、原作ものが多数を占める今の日本映画界の流れにも確実につながっている。


 そして、見れば見るほどに感じるのは、角川映画は広報戦略と切っても切り離せないこと。パブリシティ抜きに、その実像は見えてこないといってもいい。キャッチコピーをもじるわけではないが今回の角川映画の回顧もまた「(企画展の展示品を)読んでから(映画祭を)見るか、(映画祭を)見てから(企画展の展示品を)読むか」。そういう意味で、角川映画40周年の回顧は、今回の企画展からはじめるのも悪くない。いや、むしろ宣伝から入る方が角川映画らしいのかも。(水上賢治)