近年、モータースポーツ界において多くのドライバーやチームが愛用するギアブランドがある。それは、サッカーや陸上など他のスポーツでもおなじみのブランド、プーマだ。1990年代後半からモータースポーツに参入しメキメキとシェアを拡大。いまや日本を含め多くのチームが愛用しているが、そんなプーマ・モータースポーツのセールス部門の実質的なトップである、『レースウェア・シニアセールスマネージャー』を務めているブルーノ・ヴァリエンティが日本のモータースポーツマーケットのリサーチとスーパーGT第5戦富士を訪れるために来日したので、彼に話を聞くことができた。
■現場は23年間で390戦! F1の歴史を知る大ベテラン
イタリア人のブルーノは、1990年にモータースポーツギアの老舗であるスパルコで調査部門のマネージャーとして働きはじめた。1992年からはF1をはじめインディカーやWRC等、さまざまなトップカテゴリーでフルタイムで関わるようになった。
F1では92年以降、なんと携わったレースは23年間で390戦という大ベテラン。これまでも多くのドライバーやマネージャー、もちろんジャーナリストやフォトグラファーとも関わってきた。
「最近ドライバーの息子たちをグリッドで見るようになって、歳をとったことを実感しているよ(笑)。マックス・フェルスタッペンなんて最初に会ったときは、母親のお腹のなかだったんだからね!」と5カ国語を流暢に操るブルーノは笑う。
「23年の間にたくさんの友人を作り、たくさんの経験を積み、嬉しいことも辛いことも味わってきた。イモラに行くと、“あの週末”のことを思い出す。1994年にアイルトン・セナやロランド・ラッツェンバーガーが亡くなったときはとても悲しかった」
「でも楽しいこともたくさんあった。たまにパーティーに呼ばれたりもしたね。それに、私はこの仕事の特性上、多くの秘密を知る機会があった。たとえば新しいドライバーの話だったり、スポンサーの話だったり」
「ジョーダンと仕事をしていたとき、あのチームは頻繁にドライバーを交代させていたんだ。みんなペイドライバーだったからね。あるとき、私は3つのスポンサーロゴバッジと違うサイズのレーシングスーツを持ってサーキットにきたことがあったくらいだ(笑)。木曜日まで誰がレースを走るか分からなかったんだ。木曜の午後になって、ようやくチームは私に誰がドライブするかを告げてきて、スーツにバッジを付けることができたんだ」
■スパルコ×プーマから生まれた転機。フェラーリとのコラボ
そんなブルーノにとって、転機となったのは1998年。スパルコとプーマは、レーシングギアのパートナーシップを結んだ。いまもファッションアイテムとして愛好されているスピードキャットなどが生み出されたのもこのときだ。
その3年後、2社のパートナーシップは終了することになるが、レーシングラインを強化したかったプーマから、ブルーノはオファーを受ける。プーマの一員となったブルーノは、ミナルディ、ザウバーという2チームに供給を始めた。
「彼らにはサプライヤーがいなかったのでね。彼らが小さいチームだったため、融通がきき、求められるものも多くはないと思ったのも契約を交わした要因のひとつだよ」
ブルーノの功績によりF1界に定着しはじめたプーマは、さらに2004年にはビッグチームとの契約に成功する。それは現在もその関係が続く、フェラーリへの供給だ。プーマとフェラーリとのコラボは、ファッションアイテムとしても大きな成功を収めた。
「彼らはそれまでウェアなどの供給を受けていたフィラとは異なった関係を望んでいたんだ。チームウェアをはじめ、レーシングスーツなどあらゆるものの供給依頼を受け、2005年から供給を開始し、このパートナーシップはもう11年になる」
「この良い関係をこれからも続けていきたいね。最高峰のカテゴリーにレーシングウェアを供給することで、技術開発のベンチマークになる。それに、もちろんこの契約は大きなビジネスになったよ。世界の誰もがフェラーリを知っているからね。私のおばあちゃんでさえ知ってるんだよ(笑)」
F1ファンなら知ってのとおり、現在はフェラーリはもちろん、メルセデスAMG、レッドブルと主要チームにレーシングスーツ、シューズ、チームウェア等さまざまなアイテムを供給。また、自動車メーカーともBMWをはじめ、コラボアイテムも登場している。また、世界各国にその愛用チームは増えており、日本でもトムス、インパル、KTR等の名門チームがプーマ製のギアを使用している。
次回は、ブルーノが語るレーシングギアと“速さ”の因果関係についてお届けしよう。