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愛と欲望に忠実なヒロインに共感を覚えた理由ーー地下アイドル・姫乃たまが『花芯』を観る

2016年08月17日 11:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016「花芯」製作委員会

 近ごろ性交渉に消極的だった妻が、久し振りに女性上位で快感を貪った後、「愛があるから感じるわけじゃないのよ。試してみたんだから、本当よ」と呟きました。てっきり愛情が戻ってきたものだと思っていた夫は驚いて、「誰と試したんだ」と慌てて問いただします。たしかに妻が試した相手は近所に住むうだつの上がらない青年でしたが、それにしても夫は自分が試されたとは微塵も考えないのです。悲しいことです。


参考:村川絵梨「ラブシーンは女優をやる上でいつか辿る道」 映画『花芯』インタビュー


 終戦の翌年、昭和21年。親の決めた許嫁とはいえ、妻の愛が夫に向かないことは、信じがたい時代でした。さらに妻・園子の愛は、夫にとっても本人にとっても想像以上に複雑で、唐突で、制御不能だったのです。


 現代において『花芯』は、「なんだメンヘラビッチの話か」で一蹴することも可能な内容です。しかし、はたしてそれで良いのでしょうか。


 私はメンヘラと呼ばれる女の子達にどこか魅力を感じながら、自分自身がそういう振る舞いをすることはみっともないと思い、なんとか平静を保って生きています。しかし平静を保って生きるほどに、周囲の男性がメンヘラと揶揄しながらも、つい彼女達に惹かれてしまうのを見てはやるせなくなるのです。私の中にも、園子がいます。映画館を一緒に出た女性達の顔を見て、この人達もそうかもしれないと思いました。感情をむき出しにするまいという自制心を、この映画はかき乱してくるのです。
 
 ヒロインの古河園子は、許嫁の雨宮清彦と結婚し、夫に愛を感じられないまま一人息子の誠をもうけましたが、夫の転勤先の京都で夫の上司である越智泰範と出会い、生まれて初めての恋に落ちます。


 好きな人のために口紅をひき、自然と笑みがこぼれ、生まれ変わったように生き生きとし始めた彼女は、同時に恋を知る前の自分がいかに無知であり、生活が虚無なものであったかを知ります。そして越智に欲情し、未亡人と愛人関係にある越智が自分を特別な存在にしてくれないことに嫉妬し、初恋の前に為す術もなく、夫の前で平然と恋煩いをするのです。


 原作である同名小説の『花芯』は、瀬戸内寂聴が瀬戸内晴美として1957年に発表し、世相に反逆する、愛と欲望に忠実で熾烈なヒロインの生き様が多くの批評を浴びました。その後長く文壇的沈黙を余儀なくされた作品ですが、時代が変わり映画化できるようになった現在でも、愛欲に忠実なヒロインの姿は女性達の共感を強く誘います。


 女の複雑な愛を描く『花芯』では、それぞれ感情が異なる4つの性交が描かれています。愛していない夫とのセックス、快感のためだけに割り切ったセックス、愛する人と求め合うセックス、それから最高の官能を知ってしまった後のセックスです。


 この映画では、それぞれの性交が執拗なまでに追求され、主演の村川絵梨が細かく演じ分けています。気乗りしない時の視線の虚ろな彷徨い方、割り切っている時の大胆な女性上位の動き、愛する人との肌の合わせ方。夫役である林遣都のぎこちない腰の振り方にも、監督のこだわりが感じられます。


 惰性で夫と性交した後、「好きな人に抱かれたらどんなになっちゃうんだろう」と言わずにいられないほど、恋の熱に浮かされていた園子。しかし、長く焦がれていた官能を体験した後は、「わたし、覗いちゃいけない深淵を覗いてしまったんだわ」と、どうしたらよいかわからなくなってしまうのです。


 恋のない生活は、退屈で虚しいものです。しかし手に入れた後には、また別の虚しさが襲います。それでも女は花芯(中国語で子宮)に翻弄されることを、制御できません。たとえば私も自制心を失って、恋に落ちて、花芯の命じるまま生きて、果たしてその後いつ幸せになれるのでしょうか。私の子宮は何を求めて、どこへ向かいたいのでしょう。その恐怖から今日もなんとか平静を保って生きています。


 劇中でも館内でも流れ続けていたエリック・サティの「Gymnopédies」が、ゆったりと狂気を掻き立てるように、私の体の中でいつまでも響いているのです。(姫乃たま)