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『橋の下世界音楽祭』主催者・TURTLE ISLANDが語る、海外と日本のフェスの違い

2016年08月08日 18:31  リアルサウンド

リアルサウンド

TURTLE ISLAND

 新作アルバム『洒落頭』を2016年5月に発売したTURTLE ISLAND(タートルアイランド)。コンスタントに作品をリリースし続けるほか、2013年のフジロック、2014年のイギリス グラストンベリー・フェスティバルでメインステージを務めるなど、多数のフェス出演経験がある。各国のあらゆる楽器による民族音楽的アプローチを用いてレベルミュージックを体現する、日本でも珍しいスタイルのバンドだ。


 一方で彼らは、フリーフェス『橋の下世界音楽祭』を5年間続けるイベント主催者としての顔を持つ。この音楽祭は、太陽光発電で出店店舗やステージの電源まで全ての電力を賄う、入場投げ銭式の祭りである。


 今回、TURTLE ISLANDの中心人物である愛樹(謡方、テビョンソ)、別ユニットALKD0などでも共に活動する竹舞(太鼓、唄)、彼らの作品をリリースするレーベルmicroActionの根木龍一氏にインタビューを行い、海外と日本のフェスの違いや橋の下世界音楽祭、新作アルバムについての話を訊いた。(ISHIYA)


(関連:ハードコアパンクバンド・DEATH SIDE、熱狂のNY公演をボーカルISHIYAがセルフレポート


■「成功と自由を音楽で祝う祭典に、国賓として参加」(愛樹)


ーータートルアイランドは橋の下世界音楽祭(以下、橋の下)を主催してるけど、ほかにはどんなフェスに出てきたの?


愛樹:大きいのだとフジロック以外にも、ライジングサンとか。あとは橋の下くらいの規模のフェスによく出てました。ヨーロッパツアーをしたときに出演したのも全部フェスでしたね。海外で珍しいところでは、アフリカのモロッコの国王が主催してる首都のラバトで開催しているMAWAZINEというフェスがあって成功と自由を音楽で祝う祭典に、一応国賓で行ったんですよ(笑)。知り合いの人が面白がって、モロッコのブッキングマネージャーにタートルのDVDを見せてプロモーションしたら、むこうのブッキングの人が気に入ってくれて。そのフェスは、モロッコ国王が年に1回首都のラバトで開催するサンクスギビング的なもので、フジロックのメイン級のステージが10カ所ぐらいあるんです。アフリカの北島三郎みたいな人も出てて、同じ日にエルトン・ジョンとサンタナとB・Bキングも出演してました(笑)


根木:アンジェリーク・キジョーっていうアフリカの和田アキ子みたいな、オリンピックの開会式とかで歌ってる人もいてね。


愛樹:ホテルも10何階建てのレモン型の吹き抜けになってるホテルで、天井が全部ステンドグラスで「なんじゃこりゃ!」ってみんなで驚きました。


竹舞:モロッコの5つ星ホテル。


愛樹:2mぐらいあるカッコいい黒人が白いシャツ着てて、そこら中でインタビューやら記者会見やらやってる中、俺たちだけみんなリュック背負ってビーチサンダルで「あれ?」みたいな(笑)。俺たちだけフードコートから全然離れないし(笑)。


根木:太郎(竜巻太郎/タートルアイランドDr.)がそのホテルのエレベーターの中にドラムセット組んで、扉が開いたらドラムを叩くというのをやろうとしたら、当たり前だけど「本当に申し訳ございませんがやめてください」って止められたね(笑)。


愛樹:空港もVIPからノーチェックで出て、ベンツのバスに乗って、バスの前後をパトカーが護衛してくれるような環境でした。


ーー凄いね!


愛樹:あと、アフリカのフェスは、観客をステージに上げるノリなんですよ。4万人ぐらいいる中でステージに俺と根木ちゃんが上げられて、俺らも一応ノるんだけど、同じ曲で同じリズムを取ってみんなと同じことやってるのに、どう考えても俺たち2人だけなぜか違うんです。現地の人たちは、やっぱりみんなカッコいいんですよね。そこからそのままひとりずつジャンベの前に出されることになってきて、「ヤバイぞ!」って思ってたらついに「カモン」って呼ばれて、とっさに思いついたのがドリフのヒゲダンス。ヒゲダンスで4万人がドッと沸いて(笑)。それで帰り道に旧市街を通ったら、そこら中でヒゲダンスやってるくらい流行っちゃった(笑)。


ーーじゃあ、最初に行った海外フェスは?


竹舞:一番最初にタートルが行ったのは、スペインのバスクのフェス。


愛樹:バスクのガステッツァみたいな感じなんだけど、パンクスはもちろん、いろんな人がいましたね。


根木:バスク行ってモロッコ行って、中国~NY~中国~EU TOUR~台湾に行きましたね。


竹舞:中国はHANNGAI(fromモンゴル)がやってるHANNGAIフェス。そのあとヨーロッパのフェスツアーのときにグラストンベリーに出て。それが2年前の2014年ですね。


■「自分らが求めてるものは単に大きさでは無い」(愛樹)


ーーグラストンベリーって世界でもかなり有名なフェスだよね。


竹舞:そうなんですよね。話があるまで知らなかった(笑)。


愛樹:でもタートルのメンバー半分ぐらい、はじめは自治区の厄年会とか区の掃除があるからグラストンベリー行けないって言ってたよね。厄年会は特に大事で、ヨーロッパなんか関係無いって(笑)。グラストンベリーのメインステージには、スティービー・ワンダーやローリングストーンズもかつて同じステージに立っていると言うのに。


ーーそもそもなぜグラストンベリーに出ることになったの?


根木:ポルトガル、ドイツ、オランダが先に決まってて、ついでにもう1カ所UKでブッキングできたらいいねって話をしていたときに、ジョージ(Gt)とSMASH U.Kが仲良くて、プロモーション映像をグラストンベリーに送ったら、メインステージのブッキングマネージャーの目に止まりそのまま出演が決まりました。


ーー2013年にはフジロックにも出てますよね。


根木:スマッシュ(フジロック主催者)の人と知り合いで、それまでもプロモーションはしてたんですけど、タートルが『空空神々』というアルバムを出したタイミングでいよいよ声をかけてもらって、前夜祭とメインの2ステージでやらせてもらうことになりました。


ーーフジロックに出たときはどんな感じ?


愛樹:盛り上がんなかったですね(笑)。


竹舞:自分たちがね(笑)。


愛樹:ライブってそのイベントの主旨や呼ばれた経緯、自分たちの思いも含めていろいろなものが作用することでできるじゃないですか。フジロックがどうこうと言うより、デカイから凄いと言う事ではなくて、だから、やってる人の顔が見えたり、主旨が見えるローカルなフリーフェスティバルのような方が盛り上がったりしますよね。自分でも「不思議だなぁ」と思うけど。


ーーフジロックと海外のフェスとの違いはある? 例えばグラストンベリーとの違いとか。


愛樹:グラストンベリーは兎に角、規模がデカイですね。


根木:だってグラストンベリーはデコレーションでジャンボジェットが地面に刺さってたりするんですよ!


愛樹:もう凄すぎてワケわかんない(笑)。


根木:4階建ての建物が建ってて、そこの頂上に車が刺さってたりとか、本気でふざけてる。


竹舞:私たちはHELLステージっていう地獄ステージで。


根木:ライブ中ずーっと火が吹いてた(笑)。


ーーグラストンベリーは盛り上がった?


愛樹:グラストンベリーも2ステージだったんですよ。メインステージと、夜のHELLステージ。HELLステージは比較的その中でも小さいステージで、盛り上がりましたね(笑)。大きいステージが苦手なんですかね? 大きさだけでは燃える要素がないというか……。補足すると、実際なんでも大きいのって凄い!ってなりがちだけど、よくよく考えると例えば大きなステージとかって、実際音とかも遠くなるし、生の良さみたいなものは単純に物理的に半減しますよね。だから、きっと自分らが求めてるものは単に大きさでは無いんだなと感じました。人が沢山観にきてくれたらそれはもちろん盛り上がりはしますが。
で、話戻しますと、朝一番のトップバッターでのライブは何万人も入る会場で、そんなに満タンでないにしろ、それでも結構な人がいて。それがほとんどパンクスたち、それも年配のオールドパンクスみたいな人たちで、タートルアイランドのことを知ってるみたいで嬉しかったな。


ーー海外と日本のフェスの明確な違いみたいなのはある?


愛樹:例えばグラストンベリーみたいなフェスティバルって、ヨーロッパの人たちにとっては俺らが祭りでワクワクするのと同じ感覚だと思うんですけど、それを完全に日本に輸入するのは少し違和感があって。そもそも日本のものじゃないというか。楽しいんだけど、なんか無理矢理感があるというか。それが海外に行って元祖のFESとか観たらなんか自然で。日本で海外のものそのまま入れても一瞬は「わー!」ってなるけど、やっぱりなんか落ち着かないと言うか、背伸び感が……(笑)とは思いましたね。


ーーほかに海外フェスにはどんなものがあった?


愛樹:グラストンベリーのあとにオランダ、ポルトガル、ドイツに行ったんですけど、そっちのフェスの方がさらに凄くて。規模はグラストンベリーほどじゃないけど、いや、規模と言うか形態や思考が違う。都市型というか、街の中を丘の上、街、森林公園、みたいにエリアで分けてフェスをやるんです。ドイツのRudolstadtというフェスはベルリンの壁が崩壊してから20数年間やってるフェスで、街の人たちがつくってる。真面目な感じの人たち、パンクスみたいなアウトローっぽい人たちがみんな一緒にフェスのために働いてるんですよ。なかでも、キッズコーナーが面白かったです。海賊船みたいな「これ、どっから持ってきたんだ?」というものとか、でっかい釜の風呂とかがあったり。あと、一週間ぐらいやってるフェスの開催中に、建設途中の建物を子どもたちがのこぎりを持って作ってました。怪我をガンガンしながらも、自分たちで作る。そういう経験をさせていたのが面白かった。


■「必要なこととして生まれた『お祭り』」(愛樹)


ーー海外のフェスやフジロックを経験して、橋の下に生かされたことは?


愛樹:まず、俺たちは震災のこと、原発のことを思って。それを思ったときに、それを問題として軌道修正しようと考えてたら「何十年もかかって軌道がズレてきたことを修正していくなら、自分たちの文化ーー踊り方や歩き方、ライフスタイルそこから見つめ直していかなきゃと。思い出さなきゃならない」と考えましたね。例えば阿波踊りを観たときに、なんでかよくわかんないけど涙が出たり自然に盛り上がったりするのかとか。海外のものでも消化され自分のものになったものは、盛り上がりでも大きく違うと感じています。


ーー日本人だからかどうかわかんないけど、橋の下に行ったら“これは絶対に楽しい”っていうのが肌でわかるよね。


竹舞:本当に自分たちの心が動かされるフェスを追求すると、橋の下みたいなフェスになるんです。私たちも一番突き動かされる。やっぱり地元で、地元の人たちとやってるっていうのは大きいのかもね。


愛樹:興行としてのフェスティバルか、地元で仲間たちとつくるお祭りなのかっていうのは、同じような「フェスティバル」って名前をつけたとしても、全く別ものだっていうのはある。あくまでも俺たちは、興行とかイベントを企画としてやってるのではなくて、今まで暮らしてきていろんなことが起こった上で、必要なこととして生まれた「お祭り」だから。ずっと前から祭りをやりたかったけど、震災をきっかけに何かしたいと思ったとき、いま俺たちが愛知でデモをやるのはリアルな感じがしなかった。「だったら俺らはなにをやるのかな」って考えたとき、お祭りだった。「いろんな人が来て心と魂を浄化する」みたいな、そういうポジションだと思っています。


ーー橋の下は今後も続けていくの?


愛樹:もう、一生やろうと思ってます。地元で昔からあるお祭りってあるじゃないですか? 自分たちなりに、ああいうものと同じような神事だと思ってるので。でもあんまり思想を全面に掲げないようにはなるべく心がけてます。もちろん思想はありますが、それは根底にあれば勝手に表れてくるだろうし。それよりも自分たちを浄化するようなものにしたい。ライブって小さな祭りじゃないですか。ハードコアとかパンクって特に。1回1回やるときにホワイトアウトしてみたいな……ああいう感覚しか信用してないし、きっとそういったものをずっと求めてるんだと。根源はGIGにある。そういうことをお祭りとしてやりたいなと。


ーータートルアイランドの動きもそうだよね。橋の下がタートルアイランドがやっていると考えると、すごく“そうだよな”ってなる。


愛樹:そうですね(笑)。


ーーそれにしても、投げ銭であんなにデカい祭りになっているのは凄いよ。


愛樹:街でたまに会ったやつとかに「実はあのとき金が無くて投げ銭払えなかったんで、いま払います」とか、関係ないときに払ってくれたりすることもあって、うれしいです。


ーーそれを心意気として感じられる人間が橋の下に来るんだろうね。子どもがゴミを拾ってくると「ぬ」っていう橋の下だけのお金がもらえるシステムもいいよね。あれ見てたら大人はゴミを捨てなくなる。


竹舞:その循環はありますよね。フェスが終わったあとのゴミがひどかったりするあの感覚がどうしても私たちにはわからないし「そこはできないんだね?」って思ってしまう。


愛樹:橋の下は祭りなんだけど3日間の生活だから。本当はもうちょっといろいろやりたいんだけど。


ーーマッサージ屋があったり、朝にはヨガをやってたり、朝までやってる飲み屋があったりもするね。


竹舞:その人たちがやれることを、その場でやってるという。


愛樹:みんながゴミを持ち帰る、それだけが答えではないし正解でもないんだけど、あるひとつの選択肢として実践してみたいというか。アナーキズムじゃないけど、こういう社会の中で生きてて本当にアナーキーっていうのはなかなか難しいじゃないですか。でも、なるべくそれに近い社会の中に在りながら「自立した自分たちの」っていうものを、ああいう祭りの中で実践してみたいっていうのはあります。橋の下は太陽光発電を使用してるんですけど、出店してる店舗も年々自家発電が増えてきて。発電機はうるさいから禁止にしたんです。静かな環境なので。それでバッテリー貸し出したりしてもやってたんですけど、結構みんな自分でマイバッテリー持ってきたりとかやり始めて。あれも段々そのうちパンクスが「廃バッテリー屋」とかやり始めて、バッテリー売ったりとかするんじゃないかな(笑)。


ーー江戸時代みたいになんでも商売になって職人になっていくみたいな感じだね。あぶれる人間がいないっていう。


愛樹:そういうのが本当の意味で豊かっていうことだと思う。


ーー誰もが存在していられるというね。


愛樹:そこですよね。


竹舞:今年は特に次が見えた感じですね。いままでやってきて、4年目で冷静に土台をつくってきたことがなんとなくわかってきて。愛樹君が各部署に今回はこうしたいってことを伝えると、そこでもう自立してできるようになったのが、5年目の今年でした。もちろんびっくりすることもたくさんありましたけど。電気の線を張ったあとに、そこを通れないようなでっかい山車ができちゃったり(笑)。


愛樹:設計書がないからジャムセッションとかインプロみたいな感じ(笑)。それが面白いっすよね。


竹舞:みんなで考えるのが橋の下の面白いところですね。


ーーだから上手く行くんだね。みんなが合わせようとするから。


愛樹:うまくいかせるしかないって思いですね。生き延びるしかないってのと同じです。


ーー最後に、5月26日に出た新作『洒落頭』についても訊いていい? 


竹舞:今回はTURTLE ISLANDの中でも「パンク歌舞伎」をやったときのメンバーで録ったんですけど、ベースには篠ちゃん(T字路s / Cool Wise Man)に参加してもらいました。


ーーライブ録音の曲はパンク歌舞伎のライブだけど、パンク歌舞伎はどのぐらいやってるの?


愛樹:3年やって2年休んで、この前4回目やって。使命感だけで毎年やるみたいにはならないよう。今年はどうだ?やれそうか?やりますか!と、なったらやるみたいな感じで。


ーーパンク歌舞伎をやろうと思ったきっかけは?


愛樹:いま70歳の原智彦さんっていう役者でパンク歌舞伎の主催の人がいるんですけど、その人がもともとロック歌舞伎スーパー一座っていうのを、30年ぐらい名古屋の大須演芸場でやってて。それが終わる解散前最後の演目をたまたま観に行って。そしたらメチャメチャ面白くて。


ーー歌舞伎をやりながらの音楽は、ロックなんだ。


愛樹:そうですね。元ボ・ガンボスのどんとが、ローザルクセンブルクの頃に原さんと一緒にやってて。77年くらいの時代にロンドンで1カ月間、自分で箱を勝手におさえて、勝手に行って、勝手に宣伝して、勝手にやったら、結構客が来て。アムステルダムとかでもやってたみたいです。


根木:80年代のロンドンのパンク雑誌に結構出てるらしいです。


愛樹:原さんは本当はやめようと思ってたみたいだけど、舞台終わりに俺らのCD渡したら、次に会ったときに「あれ、聞いたぞ! やめようと思ったけど、やっぱりやろうか」って。それで、ロック歌舞伎から「パンク歌舞伎にしよう」みたいなことを言い出して、俺らが演奏を担当することになりました。曲はもともとある曲を使ったり、稽古しながらそれを見たりして、そのストーリーと自分たちにいま起こってることと、原さんが思ってることと、そういうのを全体的に引き寄せ考えながら、半年ぐらいかけて曲を作りました。


竹舞:今まで私たちがやってた演奏と違って、このセリフのときにこの音を出すとか、何かに合わせて演奏するっていうのを初めてやって。もう5年ぐらい経ちますけど。


ーー新しいアルバムに関して言いたいことは?


竹舞:音源はいつもね、足跡というか。


愛樹:俺、本当はCD作るの嫌なんすよ。めっちゃ嫌なんすよ。みんなが作りたいって言うのと活動費の経済的理由で一応やるけど(笑)。


根木:愛樹は最初にタートルで一緒に始めたときとか、「根木ちゃん。死ぬまでずっと一緒にやってくけど、あんまりプロモーションしないで」って(笑)。


愛樹:フジロックにプロモーションしたのを知ったときも俺めっちゃ怒って「そういうのやらないでほしい」って(笑)。今回は芝居の中で作ったんだけど、なるべく芝居をやるときも芝居のために曲を作るみたいなことはやりたくなかった。芝居をやりながら、自分たちの日常で起こっていることを摺り合わせて、その間のギリギリの落としどころを見つける、という感じでいつもやってます。それを感じてもらえる作品になってると思います。