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似ているようで似ていない!? 『ターザン:REBORN』と『ジャングル・ブック』を比較

2016年08月01日 13:11  リアルサウンド

リアルサウンド

『ターザン:REBORN』(c)2016 Edgar Rice Burroughs, Inc. and Warner Bros. Ent. All Rights Reserved

 人は開放的な気分が高まると雄叫びを上げずにいられない。ヤッホーとかヒャッハーといった声を上げて、意識を意味や論理からできるだけ遠ざけようとする。その向かう先は、海か、山か、森か、はたまたジャングルか。


参考:スカーレット・ヨハンソンがヘビ役に挑戦 『ジャングル・ブック』特別映像で役作りを語る


 きっとどれだけテクノロジーが進歩し、社会が未来化の一途を遂げようとも、いやその勢いが増せば増すほど、その反作用として人々はジャングルを目指すのだろう。今夏の日本で『ターザン:REBORN』と『ジャングル・ブック』が奇しくもほぼ同じタイミングで公開を迎えるのも、そう言った潜在的なニーズの高まりゆえと言えるのかもしれない。


 それにしても、テレビではこのところ『ターザン:REBORN』に加えて、『ジャングル・ブック』のCMまで投入され始めた。これをジャングルの飽和状態と呼ぶ。仮にワンシーンを見せられてもどっちがどっちなのか判別のつかないケースも多いのではないか。せっかく両者それぞれの魅力を持った作品なのに……。そこでこの機会に、両作の特徴、内容、見どころについて改めて整理しておきたい。


■少年の健気さに、涙と笑顔が同時にこみ上げる


 ディズニー作品『ジャングル・ブック』は、野生動物に育てられた少年の冒険劇だ。登場する俳優はほぼ一人で、あとはCGで描かれた魅力溢れる動物たちが彩り、そこにハリウッドを代表する名優たち(ベン・キングズレー、ビル・マーレイ、クリストファー・ウォーケンなど)が声という魂を吹き込む。そして名匠ジョン・ファヴローが監督を務めているだけに、『アイアンマン』のスピード感と『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』の親密なる語り口を兼ね備えた名作として多くの家族連れを魅了する作品に仕上がっている。


 幼少期に原作を読んだことのある人も多いだろう。そもそもラドヤード・キップリングが本作を出版したのは1894年のこと。ノーベル文学賞を受賞したことでも知られるキップリングは、昨年公開された『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』でも思わぬところで著作の一文が引用された(気になる方は、英国首相と対峙するシーンを見返してみて)。植民地時代のインドに生まれ、少年時代に英国に移り住んだ彼は、自らのアイデンティティについて悩んだ時期も長かったという。『ジャングル・ブック』の主人公モーグリも自分のアイデンティティに悩む少年だが、それはキップリングの人生そのものと解釈することもできるだろう。


■文明人ターザン、密林へ帰る、という驚きの発想


 『ジャングル・ブック』が原作モノとして忠実に描かれているのに対し、ワーナー作品『ターザン:REBORN』はとても興味深い構成を見せる。もともと「ターザン」は1912年にアメリカの作家エドガー・ライス・バローズによって刊行開始された人気シリーズだが、今回の映画に関しては完全オリジナル・ストーリー。物語が巻き起こるのも、かつてジャングルで育った主人公ジョン・クレイトン卿が10年間に及ぶ文明社会の暮らしを経た後の世界。ベルギーのレオポルド二世によるコンゴ支配の実態を探るべく、英国政府の密命を帯びたクレイトン=ターザンが相棒(サミュエル・L・ジャクソン)と共に、かつての密林へ舞い戻っていく。


 ターザンというフィクショナルな主人公を実写映像として成立させるべく、主演のアレクサンダー・スカルスガルドが施した肉体改造は凄まじいものがある。それに映画ファンとしてはおしゃべり大好きなサミュエルや、やっぱり悪役のクリストフ・ヴァルツ、それからマーゴット・ロビーという生身の俳優たちのアンサンブルが脇を固めるのも嬉しいところ。ちなみに動物がしゃべることはない。


 都会暮らしに浸かっていた主人公がかつての野性味を取り戻すという、まさに現代人たちのメンタリティにも共通しそうなテーマをはらんでいる点も面白い。また、映画好きならば、ストーリー/脚本家のクレジットに“クレイグ・ブリュワー”という名を見つけてハッとするかもしれない。そう、あの傑作『ハッスル&フロウ』や『ブラック・スネーク・モーン』で「音楽がほとばしる瞬間」を活写してきた彼が、ここでは「人間の野生味がほとばしる瞬間」について描こうとしているのだ。実は本作、もともとブリュワー自身が監督を務める方向で進んでいたが、方向性の違いによって降板。イェーツ監督にバトンタッチしたという経緯がある。そんな背景も踏まえた上で見るとまた楽しみ方や奥行きが増すかもしれない。


 ちなみに、原作、脚本ともに米国人が織りなした本作を、『ハリー・ポッター』シリーズで知られる英国人監督デヴィッド・イェーツが描き、さらに英国のリーブスデン・スタジオにて撮影が行われたという点も特筆すべきだ。英国人作家の原作を米国人スタッフが映画化した『ジャングル・ブック』と極めて対照的と言えるだろう。


■連続物としての楽しみ方も可能!?


 全く異なるストーリー。登場人物。それはよくわかっている。けれど、これら二作を一週間ほどの間隔を空けてそれぞれ試写した筆者の脳内では、面白いことに様々なシーンでデジャブが巻き起こった。それどころかこれまで抱いたことのない不可思議な感覚が呼び覚まされていくのを覚えた。


 というのも、どちらの主人公もジャングルで生まれ、片や少年の成長物語、片や成人となった男の冒険譚。これらの内容が両者の人生の“描かれなかった部分”をうまく補完しあったせいだろうか、上映中は『ターザン:REBORN』と『ジャングル・ブック』がまるでひと続きの物語のように感じられたのだ。つまり、少年モーグリが成長して、成年ターザンとなって、再びジャングルへ戻るといったような具合に。


 こんな見方が許されるのか、それとも邪道なのかはわからないが、 ただし、もともとエドガー・ライス・バローズが「ターザン」を執筆した際、その着想の源泉のひとつにキップリングの「ジャングル・ブック」の存在があったという。とすると、同じ遺伝子を有したこれらの映画を緩やかな連続物として勝手に脳内処理してしまうのも、100歩譲って“あり”なのかもしれない。


 そういった意味では、この夏、二つの作品をどちらも鑑賞すると、トータル3時間36分に及ぶ壮大なジャングル絵巻を満喫できることとなる。どちらが先でも後でも構わない。一方はファミリーアドベンチャー、もう一方は大人向けのアクションムービーとして、ぜひ客席で自分の内なるネイチャーな部分を覚醒させ、日頃の感覚がリフレッシュされていくのを感じてほしい。きっと劇場を出た時、ワケも分からず走り出したくなること請け合いだ。(牛津厚信)