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razokuが語る、結成20年史と理想のバンド像「俺たちにとっては歌も楽器も一緒だ」

2016年07月28日 16:31  リアルサウンド

リアルサウンド

razoku

 1996年に地元・藤沢で結成したrazoku。スリーピース・ロックバンドであり、フジロックや朝霧JAMなどの野外フェスにも多数出演している。自由自在かつダイナミックなサウンドやグルーブには、バンド結成20年の歴史やその中で幾度となく重ねてきたセッションの軌跡を感じるが、一方、朗々とした美しいメロディや越野竜太(Vo・G)の歌声は、色褪せることない瑞々しさを放っている。


 今年7月20日にリリースした『tsuki de aetara』は6年ぶりのオリジナルアルバムとなる。2010年から2012年にかけて2年ほどの活動休止期間を経て制作された同作は、かつてないほど叙情的で、優しさと懐かしさを併せ持ったひとつの物語のように展開される。言うまでもないが、20年という歴史はとても長い。その間に起こった音楽やバンドに対する向き合い方や時代、生活の変化が、この最新アルバムに大きな影響を与えているようだ。高校生の時に出会ったというバンド結成当初から最新作までに至る道のりを、越野と大角兼作(Dr ・Cho)に語ってもらった。(編集部)


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・「3人がやりたい音を鳴らして、俺が歌ったらrazokuの音楽になった」(越野)


ーー まず、バンド結成の経緯からお聞きしたいと思うんですが、みなさん高校の時に出会ってるんですよね?


大角兼作(以下、大角):そうですね。今日は来ていないベースの加藤健一っていうのがいるんですけど、彼と僕が同じ高校の音楽部で一緒にやっていて。そこに越野がライブを見に来てくれたのが最初の出会いです。


越野竜太(以下、越野):文化祭でライブやってるよって友達に誘われたんだよね。で、観に行って2人をナンパしたみたいな。学校の先生もいい人で、俺部外者なのにすげぇウエルカムな感じだったから、楽器たくさん触らしてくれたりしてね。やることもないのによく放課後に集まってた。


ーー当時はこういうバンドをやりたいっていうビジョンはありましたか?


越野:JUDY AND MARY。“JAM”バンドって、そこからきてるからさ(笑)。


ーーJUDY AND MARYが出てくるのは意外です。


越野:ジャムバンドがかっこいいと思ってそれでいこうかってなってるけど、本当はね、ずっとJUDY AND MARY目指してやってるからね。嘘みたいに思えちゃうかもしれないけど(笑)。


大角:ジャムバンドって言われることも多いけど、僕たちとしてはそんなに意識した覚えはなかったと思うんだよね。


越野:何も意識してないよね。俺たちにとっては歌も楽器も一緒だし、どっちが大切だとかはないから。3人がやりたい音を鳴らして、それに合わせて俺が歌ったらrazokuの音楽になったっていうだけで、ジャンルとかはないよ。


ーーたとえば湘南といえば、レゲエとかダブバンドとか独自の音楽カルチャーが発展している地域だと思うんですが、razokuにもその地域性は受け継がれてると感じますか?


越野:うん。でも、メロコアみたいなのやってるやつらもいるし、おじさんたちもいっぱいいるから。俺たちは結成20年だとか言ってるけど、この間藤沢の飲み屋で「俺たち35年だけどいまだに元気にやってるから(笑)」みたいなおじさんたちに会ったりして。そういう環境だから、シーンとかっていうよりも縦社会であり横社会であるっていう感じかな。人とのつながりが他のとこより強いかもね。湘南で俺たちが盛んにやってた時って、バンドでぐいぐいやってるのは俺たちしかいなかったよね。レゲエの人たちは横浜のほうに行ってたし。でも、俺たちの快楽的にやってる部分ーーたとえばソロパートが長いとか曲がどんどん変わってっちゃうとか、そういうのが今の世代に受け継がれているっぽい感じはする。


ーー1996年に結成して、今年で20周年になります。長い間一緒に音楽をやってきて、メンバー間のコミュニケーションに変化はありましたか?


越野:うーん、どうだろう。変わったと言えば、この20年でインターネットが普及したからね(笑)。90年代からだいぶ変わった。昔はチャリンコでメンバーの家の前まで行ったりしてたもんね。リハどうする? みたいな。今メールだもん(笑)。でも、一度活動休止みたいになった時期にメンバーに家族ができたりしてみんなの暮らしが変わってきたから、会える時が本当に貴重になってきちゃって。一緒にやれる時間を大切に使っていかないとね、っていう意識がお互いにあったりして。いい感じですよ(笑)。


大角:音楽に関しては、音以外で話し合ってこなかったですからね。言葉で何か説明したりっていうのはほとんどなかった。


越野:でも、そろそろ言葉が必要になってきたよね(笑)。ちょっと話そうかって。


大角:そうだね。ようやくね(笑)。


・「もっと広がった視野を自分たちも感じたいし、人と共有したい」(越野)


ーー2010年には一度活動を休止しているんですよね。


大角:その時こそ、まさに音楽だけでコミュニケーションをとってきたことに限界がきたっていうのもあったりして。


越野:音楽だけじゃ15年が限界だったね。


大角:でも、そこから再開するに至った時に、メンバーそれぞれの思いを知るためにも話し合いが必要だってことをお互いに意識し始めたんじゃないかなって僕は思っているんですけど。


ーー2012年に活動を復活した時は、何かきっかけがあったんですか?


越野:地元の震災復興イベントをしようというのがあって。ずっと一緒のクルーでイベントをやっていたんだけど、何かできないかっていうことで、今まで一緒にやっていたオーガナイザー達からも声をかけられ、「やりますよ!もちろんですよ!」って言って集まったんだよね。もう情でしか動かないからね(笑)。でも、復活っていうより、一回ライブをやったって感じで、その後はあまりスタジオも入らなかったし。あの頃バンドの中でメールリハっていうのが流行ったんだよ。メールで「イントロは何回か前の感じでいこう」とか(笑)。


ーー(笑)。では、その復興イベントのあとすぐに活動再開したわけではなかったんですね。


大角:そうですね。その1年後、2012年に活動を再開してからも、急にグッとバンドとして動き始めたっていうよりは、徐々にって感じですね。


越野:だいたい誰かのセレモニーとか、「それ断るのは野暮でしょ」みたいな頼み以外はやってなかったですね。こっちから動くっていうよりは、誘ってもらった時にありがたいなと思いながらやってた感じで。2010年まではrazokuしかやってなかったから、すごいシンプルだったのよ。週に4日間ライブして、3日間スタジオ入って。1日に2本ライブやる日もあったからね。でも、活動を休止していた時期にやっと社会に出たっていうか、周りのことも見えるようになって。その時に感じたことが今回のアルバムにはエッセンスとして入っていると思うんだよね。歌詞の部分も自分なりにみんなのこと思いながら書いたから。


ーー今回の『tsuki de aetara』が活動を再開してから最初のアルバムになります。


越野:2010年に『WONDERLAND』をリリースして、ちょっと冷静になった時に、あそこでもう少し踏ん張っておけば良かったのかなとか。あの時は無理だったけど、今だったら乗り越えられるよねみたいなことも6年経って感じることができて。ディレクターや仲間たちがずっと俺たちとコンタクト取り続けてくれたし、灯火を守ってくれてる人がいたっていうのがすごくデカくて。絶対切れないものがあるって実感したからこそ、なくなっちゃうのが嫌で。震災の時に、いつどこで何があるかわからないって強く思ったから、今生きているうちにやりたいなって思うことは形にして残しておきたいなって思って、そういうのが全部リンクしてアルバムを出そうとしてこの『tsuki de aetara』を作ったんだよね。


ーー自分たち以外にもバンドのことを見守ってくれてる人がいるって気付けたことは大きかったんじゃないですか?


越野:そうだね。今までは全部自分たちでなんとかしようみたいな感じだったから。誰にも操られたくないし、助けは必要なんだけど、それを拒むみたいな状態になってたから。でも一緒にやろうっていうことで、今回は絶大な信頼を持って、曲順とかも一緒に考えたりして。やっぱり自分たちだと作為的になっちゃったりするから、もっと広がった視野を自分たちも感じたいし、人と共有したい。それはこのアルバム作ったことで叶ったんじゃないかって思っていて。ドア閉まってるかもしれないけど、一応鍵は開いてますよっていうね(笑)。


ーーアルバムが完成して、ご自身ではどう感じてますか?


大角:毎回思うんですけど“今”が出ているとは思いますね。等身大だなっていう。前作の『WONDERLAND』に比べて、制作時間が限られていたっていうのもあるんですが、素の部分が自然に出てる感じがするんですよね。録り方も、前は何回も何回も録って構築していったんですけど、今回は曲によっては一発録りで、ライブと変わらないのもあるんですよ。「Night」がそうなんですけど。


越野:20年やってきて、10年目からは休止したりもしたけど辞めずにバンドやり続けてきて。20年やってきたバンドだから、「クリック聞いて作ってます」っていうよりも、ひとつのバンドとして100パーセントの純度で「これが俺らの音楽だよ」っていう部分を記録しておきたかったんだよね。ベーシックもほとんど1発録りだしね。だから、スタッフとか周りの心優しい人たちがたまに俺らに水をくれたりとか、枯葉があったらもいでくれたりしてくれて。野生なんだけど、わりかし可愛がられてる綺麗な野良猫みたいな感じになってると思うよ(笑)。


・「“月”って希望の地とか理想の地みたいなイメージをインスパイアされる」(大角)


ーー『tsuki de aetara』というのは、これまでのアルバム作品と比較しても、抒情的なタイトルになってますよね。なぜこのタイトルに?


越野:そもそも俺は、音楽は現実とか現状とか辛かったことを忘れさせてくれるものだと思うから。自分はそういうところに惹かれて音楽が大好きだったから、あえてこのアルバムでは思いっきりそっちに寄りたいなと。現実なんだけど、架空のような、夢のような話にしてしまうっていう。


大角:“月”って希望の地とか理想の地みたいなイメージをインスパイアされるじゃないですか。ザ・クラッシュのジョー・ストラマーの信条にも「月に手を伸ばせ」っていうのがありますけど。「月で会えたら」っていうのは、お互いより高みの場所で会えたらいいねっていうふうに受け取れると思うし。バンドをずっと続けて、僕らなりに成長してきた過程の中で、この「ツキデアエタラ」っていう曲は現時点での自分達を表現している部分があると思うんですよね。


ーー「Looser」から始まって「ツキデアエタラ」、「安心する場所」と、全体を通してひとつの物語のように展開されていく印象がありました。


越野:そうですね。基本的になぞなぞみたいにしたくて。音楽はいろんな答えがあっていいし、いろんな景色を思い浮かべてもらっていいと思うんですよね。それを今回のアルバムはもっと極端にやりたかった。だから<鼻をコツコツたたいて ピアノ>(「ピアノ」)なんて意味わかんないじゃん(笑)。でも、まあいいなと思って。本当は言いたいことがいっぱいあるんだけど、全部隠しちゃってる。でも隠しちゃってるんだけど、本当に言いたいことは言ってる。


ーー越野さんの歌や声質が、razokuっていうバンドの色を決定付けているところもありますよね。


越野:歌って一番ダイレクトに出るんだよね。人間が生きているから発している音だから、やっぱり歌は好きだよね(笑)。でもきっと全部一緒だよね。歌だってひとつの楽器だと思ってるから。そしたらもっと楽しいじゃん。邦楽とか洋楽っていうカテゴリーもいらないしさ。俺たちは、そういう提示をしたいとは思ってるよ。音楽はジャンル云々じゃないっていう。


大角:逆に言えば、楽器に対しても、歌と同じように扱えるかどうかってことなんじゃないかと思う。


越野:いいこと言う。そうだよね。


大角:僕たちは歌ものって言われることもありますけど、そもそも歌ものとインストを分ける必要はないっていうか。歌って人間の声だから、生ものだし大事に扱わなきゃいけない。でも、その大事にする気持ちを楽器の音に対しても思えなきゃいけないんじゃないかなと思うんですよね。


越野:歌があったらバッキングって解釈の演奏が多いと思うけど、俺たちが大事にしてる音楽っていうのは、みんなが活きていて、みんなが主張してるものだから。だから、声もそうだし、ドラムもベースもギターも一斉にわーって喋ってるっていうのが理想形。お互いに喧嘩もしないし、誰も潰さない。でも、それも意識してやってることではないから、まあ、なりゆきだよね(笑)。でも、そういうふうに作ったからこそ、今回のアルバムは聴く人が自分一人の時間に聴いてもらって、好きなようにいろんなところに飛んでってほしいのね。razokuっていうバンドの音楽でたくさん遊んでほしいなって思う。


(若田悠希)