兄弟姉妹がいることが、経済的なリスクに――。自立できない「きょうだい」の存在が負担になることが最近よく話題になっている。7月21日の「みんなのニュース ワンダー」(関西テレビ)でも、無職の弟の面倒を見る兄の苦労と不安が紹介されていた。
50歳会社員の隆さん(仮名)には、無職の弟(45歳)がいる。弟は大学を中退してから実家を出ているが、引きこもり状態が続いていた。当然収入はゼロで、母親から月13万円の生活費援助を受け暮らしていた。(文:みゆくらけん)
「ええな、嫁も子どももおって」と反発する弟
隆さんは「いつまでも援助してたら、アイツのためにならんと思うで」と言ったが、母親は「私が助けてやらんと」と援助を継続。そんな生活が20年以上経ったある日、母親が脳梗塞で倒れてしまう。
すでに当たり前化していた引きこもり生活。弟には援助打ち切りという突然の出来事に対応する覚悟はなく、結局は隆さんが弟の面倒を見ることになった。
「いつまでこんな暮らし続ける気や?」「ちゃんと仕事探してるんか?」と隆さんが詰め寄っても、現実から目を背ける弟。母親の病院にすら顔を出さず、「俺はアニキと同じこと、でけへん」と下を向く。我慢の限界に達した隆さんは、ついにブチ切れてしまう。
「でけへんて何や? オマエが何もやらんから、全部俺がやってんねん!? なんで俺がオマエの面倒見なあかんねん! 俺には嫁も子どももおるんやぞ!」
隆さんがキレたのはしょうがない。奥さんからも「いつまで弟を援助する生活を続けるの?」と文句を言われ続け、実際に家計も圧迫され、ストレスは相当溜まっていた。しかし弟から返ってきたのは、こんな言葉だったという。
「ええな、嫁も子どももおって。俺にはそんなもん、なーんもないわ」
「どうしても無理なら、生活保護の申請を」
あァ、この言葉……。きょうだいじゃなかったら、血がつながっていなかったら「んなもん知るか!」で終わるのかもしれない。しかし仲良く遊んだ過去の記憶が頭によぎり、思わず不憫に感じてしまうのだ。
では、実際にきょうだいを助ける「義務」はあるのか。民法(877条1項)では「直系血族および兄弟姉妹は互いに扶養をする義務がある」とある。スタジオメンバーの小川弘恵弁護士は「義務は原則あるが、夫婦間のような強い扶養義務はない」とし、こう説明した。
「自分の社会的地位とか、職業に応じてふさわしい生活をした上で、余力があればその範囲で助けてあげてください、というのがきょうだいにおける扶養義務の程度」
番組では心配なきょうだいがいる人へのアドバイスとして、「目を背けず生活面・金銭面のリスクを明らかにする」「親がいるうちに早めのコミュニケーションを取っておく」「本人が自立できるよう、自治体などの相談窓口やNPOのサポートを利用する」といったことを紹介していた。
さらに、小川弁護士は「どうしても無理ということになったら、生活保護の申請をするということもありえます。扶養義務者がいるということは、生活保護の受ける要件ではありません。1人で抱え込まないことが大事」と付け加えた。
カンニング竹山「うちだったら放っておかれる」
これを黙って聞いていたカンニングの竹山隆範は、苛立った様子で違和感を口にした。
「分かりますけどね。さっきのVTRの方(隆さん)の例でいうと、個人的には納得いかない。お母さんも悪いし、弟が一番悪いんだけど、もっとやり方あったでしょって」
竹山のいうように、甘やかした環境を続けたことが本人にとって良くなかったというケースもありそうだ。「うちの兄弟だったら放っておかれる」と竹山はいうが、実際に放っておかれることで、初めて「目が覚めた」「危機感を持った」「行動するしかなかった」ということもありそうだ。
きょうだいがリスクになる背景には、不安定な雇用状況や非婚化に加え、子どもの少なさもある。昔は4人、5人きょうだいは当たり前。誰かがリスクになっても、負担を皆で少しずつ分けあえた。しかし今は「きょうだい1人」の負担があまりに大きい。
ついつい自分の分身のような気になって同情しがちだが、その「可哀想」と思う気持ちこそが厄介。互いの首を絞めて共倒れしてしまわぬよう、サポートは無理なく、できる範囲で、というのが肝心である。
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