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角松敏生は今も「未来」を見据えているーー35周年ライブを20歳のライターが詳細レポート

2016年07月23日 18:21  リアルサウンド

リアルサウンド

角松敏生

 1981年のデビューから35年、2016年は角松敏生のキャリアにおいて重要な一年となるだろう。今年3月にはデビューアルバム『SEA BREEZE』のリミックスアルバム『SEA BREEZE 2016』を発表。当時の力量不足によるボーカルテイクに心残りを持っていたという作品を丁寧に再構築、改めてボーカルを吹き込んだ。常に楽曲のアップデートを繰り返してきた角松らしい試みだ。


(関連:角松敏生が35年前のデビュー作を“リニューアル”した理由は? 『SEA BREEZE 2016』を検証


 95年生まれの私は、角松のキャリアの大部分をリアルタイムで知らないが、彼を後追いしようとする若いリスナーは、まず最初にいわゆるシティポップのトップアーティストとしての角松敏生を知ることになる。80年代前半、彼は当時USで流行していたAORやフュージョンなどを消化し、日本語ポップスに落とし込んだ。その作品の纏う黒さと洗練されたサウンド、リゾートや都会を舞台とした詞は、今の若手シティポップ勢に親しんだ耳にも新鮮に響く。


 当時の角松サウンドは同シーンの他のアーティストと聴き比べても、良い意味で違和感がある。それは彼がかなり早い段階で取り入れていた、同時代の海外のブギーファンクやエレクトロファンクなどで使われていた独特なシンセサウンド、また、ラップ・スクラッチ等の日本ではまだ一般的ではなかった技法によるものだろう。Awesome City Club、Shiggy Jr.らに顕著だが、現在の若手シーンで散見されるブギーサウンドの先駆者であり、彼らの活躍の下地を作ったのが他でもない角松だ。彼の試みは現在まで脈々と受け継がれており、それゆえ今聴いても古さが全く感じられない。


 角松はその後もプロデューサー、シンガーソングライターとして成熟した作品を発表していくが、その中でも沖縄音楽やアイヌ音楽を取り入れ新しい表現手段を模索するなど、彼の実験的な姿勢は今日に至るまで一貫している。


 そして、先日7月2日、横浜アリーナにて彼の35周年記念ライブ『TOSHIKI KADOMATSU 35th Anniversary Live~逢えて良かった~』が開催された。リニューアル後の横浜アリーナのこけら落としでもあった本公演。客層は主に青春時代にリアルタイムで角松を聴いていたであろう世代で、家族連れの姿も目立つ。


 この日のライブでは、ドラム3台、キーボード3台、角松を含めたギター3人にベース、パーカッション、管楽器、コーラスを加えた大所帯バンドで構成されていた。照明の落とされた会場に「これからもずっと」のイントロが流れ始め、角松らしき人物がステージに登場するがなんとそれはダミー、会場中央の特設リフターに本人が登場し、観衆を沸かせた。その後「Startin’」「Realize」「CINDERELLA」続けて、「OFF SHORE」「LUCKY LADY FEEL SO GOOD」とミドルテンポのファンクチューンを披露し、徐々に会場の温度を上げていく。6曲を歌い終えたところで「既に押し始めています(笑)。マラソンのようなライブになると思いますが、皆さんはランナーを沿道で見守る観衆になったつもりで応援していただければと思います」と会場の笑いを誘った。


 そして、本公演が満員御礼となったことに触れ「多くの要素が考えられますが、大きな理由のひとつは、やはりの『SEA BREEZE 2016』のリリースがあったからだと思います。この周年、今夜その『SEA BREEZE』を、ほぼレコードアレンジのまま、曲順通りにライブで再現したいと思います。それを演奏するにあたって必要不可欠なミュージシャンをご紹介します」と、なんと葉巻をくわえた村上”PONTA”秀一がゲストドラマーとして登場し、デビュー曲「YOKOHAMA Twillight Time」を含む『SEA BREEZE』全8曲を完全再現。日本のトップドラマーの一人である村上”PONTA”秀一を招き、通常のライブでは考えられないドラム3台という編成を実現してしまうのは、角松のリズムへの強いこだわりによるものだろう。ブラックミュージック由来の彼のダンサンブルな楽曲群は、リズムに厚みを持たせることにより生かされる。音源では味わえない生身のグルーヴ感は、『SEA BREEZE』がどんなアレンジにも耐えうる強度を持った楽曲群からなる名盤であることを教えてくれた。


 休憩を挟んで幕を開けたACT-2では、演奏を最小限に抑えコーラス隊の歌声をフィーチャーした「RAIN MAN」、20分にも渡るフュージョン組曲「The Moment of 4.6 Billion Years」を自身が編集したという映像と共に披露、続けて「RAMP IN」「DESIRE」バラード2曲を歌った。バラードを聴くと顕著に感じられたのが、年齢を重ねても歌声が一向に衰える気配がないことだ。デビュー時からの奥行きのある歌声は、歳を重ねるにつれてその艶を増していく感じがした。


 途中MCで「ポンタさんと言えば、80年台後半にギターをフューチャーしたインストゥルメンタルシリーズを制作しました。今日は久々に、あの楽曲を、若いドラマー二人(玉田豊夢、山本真央樹)と演奏したいと思います」と、アルバム『SEA IS A LADY』から「OSHI-TAO-SHITAI」を演奏。ドラマー3人のソロ回しに加え、各パートのソロも存分に披露され、観客からは拍手が起こった。


 その後、ゲストの吉沢梨絵、コーラスで参加しているMAY’Sの片桐舞子、千秋、凡子、都志見久美子らとそれぞれデュエット曲を熱唱。バラードからポップスと様々だったが、一人一人タイプの違う彼女達の魅力を引き出そうと丁寧に歌う角松の姿には、シンガーとしての矜持を感じさせられる。続いて『THE MOMENT』リリースツアーで出会ったという全国各地のシンガー達で編成された98人のクワイヤーが登場。迫力のあるコーラスをバックに「Get Back to the Love」を披露した。


 この時点で開演から4時間以上が経過していたが、角松にも観客にも疲れは見えない。「ここから最後の上り坂」と語ると、「After 5 Crash」「RUSH HOUR」「Tokyo Tower」「Girl in the Box」と、往年のアーバンファンクを続けてプレイ。大所帯だからこその音の厚みとグルーヴ感はディスコ調の楽曲群に見事にハマり、この日一番の盛り上がりを見せて本編を終えた。


 アンコールでは、長万部太郎名義で作詞作曲を手掛けた「ILE AIYE~WAになっておどろう」や、ファンが紙飛行機を飛ばすことが恒例となっている「Take You To The Sky High」など、ライブでの定番曲を惜しみなく披露。その後のダブルアンコールに応えて再び会場中央のリフターに立ち、アコースティックギターを手に、夏の代表曲の一つ「No End Summer」を歌い上げ、「また5年後!」と言い残してステージを去った。


 シンガー、ミュージシャンとしての力量は音源からだけでも読み取ることができるが、実際にライブを観て思い知らされたのは、エンターテイナーとしての彼の実力であった。前述の登場時のパフォーマンスはもちろん、MC中のファンの声にも軽妙に応えるなど、ファンサービスにも気を回す。そしていざ演奏が始まると、慣れた様子で、微妙なジェスチャーでバックバンドを自在に操る。あの堂々とした余裕の佇まいは、決して一朝一夕で身につくものではなく、35年間の数多のステージが彼に与えたものだろう。


 さらに特筆すべきことは、6時間強に渡る長時間のライブに関わらず、途中で締まりがなくなることが全くなかったということだ。というのは、ライブの構成が非常に巧みで、セットリスト自体に絶妙な押しと引きがある。ファンの求める曲とアーティストの好む曲は必ずしも一致しないが、角松はファンの要求に応えつつ、自分の聴いてほしい曲を聴かせる流れを作るのが非常に上手かった。強い思い入れのある曲を持たない私にとってもそれは非常に心地良いもので、周年ライブの度に多くのファンが駆けつけるのも納得だった。


 40周年となる5年後にまたこの会場でライブを行うことも示唆した、今年56歳の角松敏生。時代によって様々な音楽を自らの中に取り込んできた彼は、クリエイターとしての作品へのこだわりはよく知られているが、その音楽への姿勢を若いミュージシャン達に伝えたいとも語っている。その入り口の一つとして『SEA BREEZE 2016』のリリースがあったと考えることもできるだろう。その思いと共鳴するかのように、ここ数年東京インディーズシーンを中心に進む70~80年代シティポップの再評価があった。そこに参照元を求めるアーティストも数多く登場しており、その評価も得た角松は、ここへ来てより広い層を捉えることに成功している。


 2016年、角松はただ過去の清算をしているのではない。彼は常に現在の自分と向き合っており、同時に未来/次世代の音楽シーンをも見据え、その上で活動している。そんな彼の思想が体現された、今後を楽しみにさせてくれるライブだった。(渡邊魁)