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『週刊女性』人気連載の題字を引き受けた永六輔さんの条件

2016年07月19日 11:20  週刊女性PRIME

週刊女性PRIME

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最期は眠るようだったという。7月7日、永六輔さんが静かに旅立った。 「'10年にパーキンソン病と前立腺がんが判明しました。闘病しながら仕事を続けて、一時は回復したんですが、今年2月に腰の手術を受けてラジオを休演。療養中に体力が低下して肺炎が悪化しました。自宅で家族に見守られながら穏やかに息を引き取ったそうです」(スポーツ紙記者) 永さんはテレビ草創期に放送作家としてデビュー。台本を担当したNHKのバラエティー番組『夢であいましょう』には、黒柳徹子や渥美清さんが出演していた。作詞家としても、『上を向いて歩こう』や『こんにちは赤ちゃん』など多くのヒット曲を生み出した。'94年には、著書『大往生』が200万部を超える大ベストセラーになっている。 「マルチな才能で何をやっても一流でしたが、本人が一番好きだったのはラジオでしょう。テレビとは徐々に距離を置くようになり、'67年にTBSラジオで『永六輔の誰かとどこかで』がスタート。以来ずっとラジオパーソナリティーを務めてきました。思うように言葉を発することができなくなっても、声を聞くだけで聴取者は安心したんです」(ラジオ局関係者) 永さんは『週刊女性』とも深い関わりがある。人気連載『人間ドキュメント』の題字はその手によるものだ。 「多忙を極めているのはわかっていたので難しいかと思ったんですが、受けてくださることに。何種類かの半紙をお渡しすると2日後に連絡があり、6パターンの題字をいただきました。事務所の方の話では、ひと晩で書き上げたそうです」(当時の担当デスク) 引き受ける際には、ひとつだけ条件を提示したという。 「必ず縦書きで使用すること。日本語は元来縦書きで読むものだから。横にデザインするなら、この仕事は受けません」 尺貫法を守るよう呼びかけるなど、日本の伝統文化を愛した永さんらしい逸話だ。 訃報を受けて、60年来の親交がある黒柳徹子もコメントを発表した。1度もケンカをしたことがないという彼女は、亡くなる数日前にお見舞いに行き、「永さん!」と声をかけると目を開けて笑ってくれたのだと話す。「ひとりになって、私との結婚の話も出ました」というエピソードも明かした。 「奥さんの昌子さんが亡くなって気落ちしていたのは事実です。でも、これは永さん流の冗談ですね。“野坂昭如、加藤武と3人でお金を貯めていて、最後に生き残った人が全部使うことになっている”なんて話していたこともありますが、これも洒落です。そういう笑い話が大好きなんですよ」(テレビ誌ライター)