2016年07月18日 13:01 リアルサウンド
80年代半ばのV系黎明期より、誰よりも近い距離でシーンのアーティストを見つめてきた音楽評論家・市川哲史による書籍『逆襲の〈ヴィジュアル系〉-ヤンキーからオタクに受け継がれたもの-』が、8月5日に発売される。X JAPAN、LUNA SEA、GLAY、PIERROT、Acid Black Cherry……日本独自の音楽カルチャー〈V系〉を築いてきた彼らの《伝説》を振り返りながら、ヤンキー文化からオタク文化へと受け継がれたその《美意識》の正体に迫った一冊だ。
(関連:市川哲史が明かす『LUNATIC FEST.』の隠された物語 <V系万博>2日間を“呑み”の視点で振り返る)
ゴールデンボンバー・鬼龍院翔の録り下ろしロング・インタビューほか、狂乱のルナフェス・レポ、YOSHIKI伝説、次世代V系ライターとのネオV系考察、hideに捧ぐ著者入魂のエッセイなどなど、痛快な文体と愛情溢れる眼差しで書き切った584頁は、まさに市川哲史の集大成といえる。
編集を手がけたリアルサウンドでは、本書の発売に先駆けて鬼龍院翔のインタビューの一部を抜粋して掲載。市川哲史が〈V系の最終進化系〉と評したゴールデンボンバーは、どのように生まれたのか。そのルーツとなる、中学生時代の音楽体験に迫る。(編集部)
■キリショー少年の〈いとしのGacktさま〉
市川:これは世辞でも皮肉でも嫌味でもなんでもなく、12年のゴールデンボンバー“女々しくて”の大ブレイクが、誰もが忘れかけていたV系の記憶を世間に想い出させたと思うんですわ。これは金爆のすばらしい功績だな、と。
鬼龍院:よくも悪くも(照笑)。ウチはV系があっての、それを崩すことを面白可笑しく見せてい るというバンドなので、やっぱりV系の本当の流れからしたら失礼な因子ではあるんですけども。
市川:うわ、もはや失礼紙一重の徹底的な謙遜ですなぁ。
鬼龍院:いえいえ。僕は元々、本当に好きでMALICE MIZERさんからV系に入って、ずっとGacktさんを神と崇めていて。DIR EN GREYさんも好きですし、とにかく普通にどっぷりハマった中学時代を過ごしてきたので、V系というものが好きなんですよね。
市川:中学時代にマリスにハマったということは――。
鬼龍院:98年に僕は中2という感じで、“月下の夜想曲”でTVに出始めたMALICE MIZERさんを観て、衝撃を受けました。それ以前に何かの音楽にハマっていたというわけでもなかったので、 僕にとっての音楽とは〈V系というもの〉であり、MALICE MIZERだったんですよ。
市川:うわぁ。絶対的なインプリンティングの対象がマリスとは。よりにもよって、またえらく賑やかで濃いものを(苦笑)。
鬼龍院:そうですね。しかも中2ってもう、ハマる速度が物凄いじゃないですか。だからその世界に僕は染められてしまい。そこからV系というジャンルを知って、他の方々の音楽も、MALICE MIZERさんほどクラシカライズしたバンドさんはなかなかいなかったんですけども、DIR EN GREYさんとか他の方々の音楽も聴きました。僕の中学は、給食の時間に“残 -ZAN-”が流れてたので――。
市川:わはは。どんな学校なんだ。
鬼龍院:ディルさんがシングル3枚同時リリースでメジャー・デビューした時ですから、“残 -ZAN-”も“ゆらめき”も“アクロの丘”も流れていて、それでもうクラスの皆――男子も女子も 結構好きという人多かったんですよ。MALICE MIZERさんよりも多かったと思います、ウチの中学。
市川:少年少女の間ではV系が市民権をしっかり獲得していた最後の時代だ、90年代末は。
鬼龍院:もう人気ありましたね、DIR EN GREYさん。
市川:そもそも MALICE MIZERのどこが、いたいけな中2の鬼龍院少年をわし掴みにしたんですか。
鬼龍院:僕は音楽ですね。もちろんそういう多感な時期ですから、普通にポップスを聴いてはいたんですけれども――マリスさんの普通のポップスのアンサンブルとは違う、クラシックの要素としてのアンサンブルが僕にはすごく新鮮だったんです。しかもエレキギターとかがギャン! と鳴っ てるわけでもないし。だから結局、「何だ、これは?」って思ってのめり込んだんですよね。
市川:ああ、あの妙にキッチュなオーケストレイションが癖になる〈バロック歌謡〉にね。
鬼龍院:そうです。そこに歌が載っているというのが、僕はきっと衝撃的だったんですよね。
市川:でもってディルでしょ? あの〈殺伐エンタテインメント〉的な世界観ですか、鬼龍院少年が惹かれたのは。
鬼龍院:バンドのサウンドもゴールデンボンバーで作ってるくらいだから好きですけども、僕はやっぱりポップスが好きで。だからDIR EN GREYさんも、唄物としてもとてもいいメロディだなと感じたので――。僕はV系という世界を知ってしまいましたけど、やっぱり音楽性の高さでハマったんだなと思うんですよね。
市川:V系って基本的に、どんな世界観だろうがスタイルだろうがメロディだけは歌謡曲以上に ポップなんだけども、やはりそれが大きな魅力だったんですかね。
鬼龍院:ええ、かっこいいなと思います。でも激しい音もかっこいいなと憧れの対象になりましたし。それですぐにエレキギターもやっぱり買ったりして。
市川:あ、バンド少年になりましたか、中2で一気にもう。
鬼龍院:なりました。初めて買ったバンドスコアがMALICE MIZERさんのアルバムのなんですよ。でも全然再現できないんですよ、アレ。
市川:……そうだろうなぁ。
鬼龍院:ギター・パートがない曲が沢山あって、何もできない(哀笑)。
■「あと10年早く活動していたら、止めちゃっていた」
市川:すぐバンドは組めたんですか?
鬼龍院:いえ。中学時代は全くそういうのなくて、「高校に入ったら軽音楽部というものがあるらしい」と知り、高校に入ってすぐ軽音楽部に入ってすぐバンドを組みました。でも、とても「MALICE MIZERがやりたい」なんて言える空気じゃないというか。皆ギター、ベース、ドラム、ヴォーカルがやりたくて入って来てるのに、シンセサイザーが2人必要なコピーバンドなんて、そんなもの誰も組めないから。まず初めはJUDY AND MARYさんのコピーをやってました。
市川:手堅い(失笑)。ということは、高校の軽音楽部とかだとV系のコピーしてるような同好の士は、そんなにいなかったのかしら。
鬼龍院:いなかったですね。やっぱりV系が好きな男子が最低でも4人集まらなきゃ組めないというのが、やっぱりネックですよね。
市川:ということは、00年代直前だった中学時代の方がV系人気は高かったんですかね。
鬼龍院:そうですね。DIR EN GREYさんとPENICILLINさんという感じでしたかね、あの時期は。高校時代に入ったらV系はそんなに――その頃はもうGacktさんがソロになっていて、言うなればGacktさんがV系のトップを走っていた。あとラルクアンシエルさんやGLAYさんは――何だろうな、V系ってやっぱりクラスとかで「V系大好き」とは言いづらいものが、絶対どこかあると思うんですけど。でも、GLAYさんラルクさんは流行りまくっていたから、全くそういうのなかったですよね。
市川:歴史的に振り返っても90年代は、XだLUNA SEAだラルクだGLAYだと商業的成功を掴んだV系が、完全にシーンの主流派になりました。セールスも動員も天井知らずで、皆が愉しめる流行りのロック・エンタテインメントとしても成立した。でもLUNA SEAやXといったビッグネームの活動休止で、世間的には下火になったと皆認知しちゃったよね。けれども、それこそ鬼龍院少年以降の世代の人たちにとっては実は全然そんなことなくて、マリスやディルなどの登場で改めて、 V系を満喫していけたと。でもあの時点で、V系のシフトチェンジは明らかに始まってた気がするの。まずそれまでのヤンキー的なノリとメンタリズムが――。
鬼龍院:そうですね。族みたいな感じが(真顔笑)。
市川:ゴスなんだかヤンキーなんだか、境界線が微妙なヴィジュアルや価値観に溢れてたじゃないですか、オールドスクールの時代は。
鬼龍院:髪の立て方とかそうですよね。
市川:鬼龍院少年はそうしたヴィジュアル面というか、ファッション的な風体にはあまり惹かれなかったのかしら。
鬼龍院:僕はいわゆる《V系四天王》以降なんですよね、世代的にハマったものが。だからやっぱMALICE MIZERさん、La'cryma Christi さん――GLAY さん、ラルクさんはもちろんといった感じですね。
市川:もはやヤンキー体質の「ヤ」の字もない面々(苦笑)。
鬼龍院:そうなんですよ。市川さんに以前インタヴューしていただいた時も、ヤンキー文化に絡め たお話があったと思うんですけど、やっぱり僕があと10年早くV系バンドの活動していたら、やっぱりヤンキーの世界観についていけなくて止めちゃっていたと思うんですよ。ヤンキー文化が失くなった現在だからこそ、僕はやってこれたなーと思うんですよね。
市川:00年代のどこかの瞬間から、V系はオタク的サブカルチャーへと変容するんだけども、たしかに金爆はその恩恵を最大限受けてるかもしれない。でも〈変身/コスプレ願望〉だけはヤンキーとオタクの共通項だから、対極的な両者が揃ってハマれる唯一の文化がV系というのはすごく納得できるなぁ。ちなみに鬼龍院少年のヴィジュアルは、どんな感じだったんですか。やっぱりV系的な恰好に対する憧れはあったんですかね。
鬼龍院:見た目はやっぱり「真似したい」という願望はすごいあるけど、中学時代はそれをやる場所がもうとにかくないし。高校時代は――後半あたりでは化粧はせずともちょっと派手な、新宿マルイワンで買ったh.NAOTOさんとかの、ちょっと「それっぽい」ぐらいな服を着てヴォーカルをやったりする、というのはありましたね。
市川:それはあくまでもライヴの衣裳じゃない? 普段着はどうですか。
鬼龍院:普段着で「破けた服を」とか、そういうのはもうなかったですね。だからV系的な恰好願望があるにしても、Gackt さんの服と同じものとか似たものとか、V系というよりかはちょっともう幾分爽やかななものを。
市川:あの男の恰好は爽やかなのか?(失笑)。
鬼龍院:較べると、という感じですかね(困惑笑)。でも高校の登下校の時にGacktさんが履いていたのに近い、なんか尖った革靴とか履いていましたよ、僕。
市川:わははは。とにかく Gackt が師なんですなぁ。
鬼龍院:そうなんですよね(嬉笑)。
■「思春期の僕がずーっと見てきたのはあの人」
市川:その師と、いまでは実際にお付き合いできているとは、冥利に尽きますな。
鬼龍院:もう本当にお世話になっております。お世話になってはいるけども本当にイメージが崩れ なさ過ぎるというか、近寄れば近寄るほどあの人はGacktであるというのがすごいところだなと。
市川:もはや日本一のGacktウォッチャーと化しております。
鬼龍院:(喜色満面笑)いちばん近いファンでもあるような気がします。
市川:その立場はファンとして、非常に観察しがいがあるのではないかと。
鬼龍院:でも僕がファン目線でいるのはちょっと失礼かなとも思うので、やっぱりその辺はしっかりしなきゃなと。思春期の僕がずーっと見てきたのはあの人なんで、僕を形成しているものや僕の人格があの人なんで。
市川:……きみ怖いよ。ちなみに観察結果はどうなんですか、あの男の。
鬼龍院:先程言ったようにあの人はやっぱり、近寄れば近寄るほど〈内面こそが、よりGacktである〉というのが僕にとって衝撃でした。プライベートでお逢いするまでは、幾分パフォーマンスで装っているというか、構築している部分もあると思っていたんですね――だって「そんなはずはあるわけない」というエピソードばかりじゃないですか(奮笑)。だから、「近寄ったらイメージは崩れてしまう」というのがアーティストの世の常であると僕は思っていたんで、「プライベートでご飯とか行くのもどうなんだろう」「ファンとしてどうなんだろう」ってすごく不安だったんです。「ファンでいたいから、お誘いも断わろうか」とまで思ったんですけど、いざ近寄ったらもう、本当に家に剣は飾ってあるし鎧とかあるし!(笑)。話を聞けば聞くほど、表に出ている話はむしろ控えめなんじゃないかなと――そんなイメージです。
市川:やっぱ似てるなぁ。実はYOSHIKIがかつて住んでた、ビバリーヒルズの丘の上に建つ一軒家も変でさ。玄関もリビングもガラス張りで外から丸見えで、しかも正面には自分の巨大写真パネルと日本刀が飾られてるの。ロスは物騒だから「不用心じゃん」と言ったら、「大丈夫大丈夫、この刀でぶった斬るから」だって。
鬼龍院:……(耐笑)。
市川:表と裏のサイズが寸分違わないのは、YOSHIKIとGacktぐらいだと思うよ。