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『死霊館 エンフィールド事件』はホラーの枠を超える傑作だーー天才監督ジェイムズ・ワンの演出手腕

2016年07月17日 15:51  リアルサウンド

リアルサウンド

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 アメリカ映画界で「ホラーマスター」の異名をとるジェイムズ・ワン。近年では『ワイルド・スピード SKY MISSION』を記録的メガヒットに導き、DCコミック原作映画『アクアマン』を手がける、エンターテインメント分野において確固たる地位を築いている映画監督だが、そのなかでも彼がとりわけ才能を発揮するのは、やはりホラー分野においてだろう。密室スリラー『ソウ』の監督や同シリーズの製作で脚光を浴び、映画監督としてはまだ若手の部類に入るが、『インシディアス』シリーズや『死霊館』などで他を寄せ付けないほどの凄まじい演出力と、圧倒的な風格すら発揮しているワン監督は、天才と呼べる数少ない映画監督の一人だ。


参考:“不倫”と“殺人事件”に潜むハリウッド的娯楽性ーー『パーフェクト・ルーム』が受け継ぐサスペンスの系譜


 彼をいまの位置に押し上げた代表的作品として、やはり傑作ホラー『インシディアス』を挙げなければならない。ライティングや編集を駆使することによって、同じ屋内セットを使いながら、生きる者の世界と死者の世界の違いを見事に表現した創造力や手腕はただごとではない。日本的な陰湿的恐怖表現によってこれまで世界のホラー映画界を席巻していた「Jホラー」が落ち着きを見せ、ホラー映画の表現が停滞していた時期に、血しぶきなど従来のアメリカ的なスプラッター表現に頼ることもせず、本格的なサスペンス演出と前衛表現を組み合わせた、この一作によって彼は一気に、現代のホラー映画の代表的存在として躍り出たといえるだろう。ワン監督自身が黒沢清監督のファンだと語るように、彼は日本的な怖さの感覚をも正確に理解した上で、個人の才能によってそれを乗り越え先に進んだのである。


 清水崇監督の傑作『呪怨』を観れば分かるとおり、観客を何度も驚かし怖がらせるホラー作品に必要なのは、何より潤沢なアイディアである。次々に新味のある描写を、ひとつの作品の中で連打していかなければ飽きられてしまう。そのなかでジェイムズ・ワン監督の打ち出す演出は、ありふれたホラー映画とは質と量が段違いで、やることなすことほぼ全てが面白いのだ。ホラーというかたちを借りて、新しい映像表現の世界が次々に更新されていく様子は、サスペンスというジャンルで手腕を発揮し映画界の頂点に立ったアルフレッド・ヒッチコック監督作品をも想起させ、ジャンルとしての良し悪しの枠をすでに超えていると思わされる。


 『インシディアス』と双璧を成す『死霊館』も、同様に新しい試みがいくつも発揮されている作品だ。家族を危険にさらす凶悪な怪奇現象を解決しようとする内容も同様だが、異なるのは、こちらは実在の心霊研究家夫妻が主人公のモデルになっており、彼らが調査した、実際に起きたという超常現象を物語の基にしているという点である。ここで重視されているのが美術のリアリティだ。エンドクレジットで紹介される実際の資料写真を見ると、家屋のセットをはじめとして、家具や調度品などもかなり忠実に再現されていることが分かる。ワン監督によると、高い説得力を持たせることで恐怖感を醸成させるのだという。その意味で『死霊館』は、ワン監督による『インシディアス』二作よりは幾分抑えられた演出で、クラシカルな雰囲気をも感じさせる。


 本作『死霊館 エンフィールド事件』も、実際に70年代に起きたふたつの事件を基にしている。ひとつは、長男が就寝中の自分の家族をライフルで次々に射殺したといういわく付きの家に、新たに引っ越してきた家族が超常現象に見舞われるというアメリカの騒動である。これは、1979年にスチュアート・ローゼンバーグ監督が『悪魔の棲む家』として映画化しているが、そこで演出されている印象的な銃撃場面や、壁に打ち付けられた逆十字のモチーフなどは、本作にも流用され応用されている。


 そして、本作のメインとして扱われているもうひとつの事件は、邦題ともなっている「エンフィールド事件」という、イギリスで起きた有名なポルターガイスト現象である。当時の警察の捜査やメディアの取材など衆人環視の状況においても、家具が勝手に動いたり異常な音が聴こえるなどの現象が確認されており、数々の超常現象のなかで信憑性が高いものだと伝えられている。それだけに本作は、霊的な存在が前作よりも張り切って、はるかに派手に暴れてくれるのだ。そのため恐怖映画としての仕掛けも満載なのである。


 今回の演出でとくに追及されているのが「反復表現」だ。霊的な能力を持つ研究家夫妻の妻・ロレインが鏡を見ると、そこには自分の姿と、その後ろに不気味な人物が映っているのが見える。おそるおそる振り返ると、そこには誰もいない。これだけならよくある恐怖演出だが、彼女はそこからまたもう一度、鏡を確認するのである。観客は登場人物の行動によって、これから起きるショックに備えて極度に緊張するが、そこで何も無いことを確認すると、つかの間の瞬間だけ弛緩する。そこで、ごく短い間に緊張、弛緩を何度も体験させることで、観客の心理を翻弄するのだ。


 もうひとつは「暗闇の利用」と「フォーカスの駆使」である。居間の暖炉や部屋の隅など、画面の一部分を真っ黒にする、またはピントを合わせず映像をボカすことによって、そこに異界的な空間を作り出す。本作では、画面の大部分をボカしたまま長回しを行うという実験的手法を用いて、緊張感が持続する驚くべきシーンを作り上げている。観客の想像力を利用し「見えないものを見せる」ことに成功しているのである。


 それら演出の多くは、古くからある撮影テクニックを応用したものだが、それだけに本作は、「映画」独特の画面の美しさや、格調の高さをじっくりと味わえるものになっている。それでいて、いままでにない斬新な表現が次から次へと出し惜しみせず溢れてくるのだ。それらのシーンが怖いのはもちろんだが、何よりも表現自体が映画としてものすごく面白い。だから、「次に何が来る?何が来る?」と、わくわくしながら作品を楽しむことができるのだ。それは、映画が好きで本当に良かったと感じる幸福な時間である。


 娯楽性が高く、ときに一部で差別されることもあるホラー・ジャンルにおいて、新しい表現を駆使し、映画の本質に迫ったここまでの境地にたどり着くことができる。この事実は、映画を愛する観客だけではなく、多くのジャンル映画製作者や、それ以外の多くのクリエイターにも希望を与えるのではないだろうか。(小野寺系(k.onodera))