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高瀬司(Merca)のアニメ時評宣言 第9回 『マクロスΔ』とアイドルアニメとの三角関係

2016年07月16日 19:52  アニメ!アニメ!

アニメ!アニメ!

イラスト:mot
■ 高瀬司(たかせ・つかさ)
サブカルチャー批評ZINE『Merca』主宰。ほか『ユリイカ』(青土社)での批評や、各種アニメ・マンガ・イラスト媒体、「Drawing with Wacom」でのインタビューやライティング、「SUGOI JAPAN」(読売新聞社)アニメ部門セレクターなど。
Merca公式ブログ:http://animerca.blog117.fc2.com/

■ 『マクロスΔ』とアイドルアニメとの三角関係

物語評論家のさやわかは『僕たちとアイドルの時代』(星海社、2015年)で、インタビュー資料や音楽チャートを紐解きながら「AKB商法とはなんだったのか」を歴史的に分析することを通じて、日本のアイドル史/カルチャー史(ひいては現代日本における倫理)を論じている。

いまさら説明する必要もないだろうが、ここで議論の軸とされているAKBグループとは、狭義には秋元康プロデュースのもと「会いに行けるアイドル」をコンセプトに2005年12月に結成され、秋葉原はAKB48劇場での活動で強力な地盤を固めたうえで、2009年よりマスメディアへと本格進出しハック・席捲した女性アイドルグループ/プロジェクトのことであり、広義には1980年代半ばの『夕やけニャンニャン』/「おニャン子クラブ」、1990年代後半からゼロ年代初頭の『ASAYAN』/「モーニング娘。」といった、TVというマスメディアを利用した「リアリティショー」からより一歩踏みこんだ、インターネット時代の「(ネットと両輪となり駆動する)現場のリアリティショー」を牽引していく、「メディアアイドルからライブアイドルの時代へ」を代表するシステムの名称と言えるだろう。

そして「AKB商法」とは、狭義にはAKBグループに代表される、音楽CDの複数枚購入を煽るようなビジネスモデルを揶揄する言葉であり、広義には「アイドル同士の熾烈な人気争いの全面化、スキャンダルすらドラマティックに読み替えるリアリティショー、CDを売るための貪欲な仕掛け、そしてそれらをアイドル自身に半ば強いて、ゲームのように細かなルールによって管理すること」(さやわか、202頁)を背景とする現代アイドル文化への倫理的反発とまとめることができる。

さやわかはこうしたAKBグループに対する反応から、現代の日本文化をめぐる諸問題との相似形を探り当てていくわけだが、それと同様に、ライブアイドルブームを背景とした2010年代におけるアイドルアニメブームをめぐっても、AKBグループを起点に考えていくことができるだろう【注1】。
本稿は、AKBグループから見えてくる現代のアイドルアニメをめぐっての簡単なエッセイとなる。

▼注1:さやわかは『Merca β01』(2015年5月)所収の座談会(さやわか×坂上秋成×村上裕一×高瀬司)においても、AKBグループとアイドルアニメとの連環を論じていた。「まず八〇年代に『コンプティーク』誌上でTRPG『ロードス島戦記』が連載されて大ヒットし、その流れから誌上でのゲーム企画がプレイバイメールとして開始されます。〔…〕ところが一九九二年に『マル勝PCエンジン』というゲーム雑誌が『女神スタジアム』という企画をはじめます。これもプレイバイメールなのですが、最大の特徴は誌上で紹介されるたくさんの女の子キャラクターからお気に入りのものを読者に投票してもらい、その人気を競わせるような内容になっていたことです。〔…〕この流れのなかから「多数の女の子から誰かを選ぶ」というコンテンツが生まれて、『シスタープリンセス』や『HAPPY★LESSON』『双恋』などのヒット作を経て、『ラブライブ!』まで行きつくというわけです。またその過程でこの形式を参照した『ネギま!』やAKB48も生まれている」(第2版37頁)。

■ AKBグループから『ラブライブ!』シリーズへ

『アイドルマスター』シリーズ、『うたの☆プリンスさまっ♪』シリーズ、『アイカツ』シリーズ、『プリティーリズム』/『プリパラ』シリーズ(『KING OF PRISM by PrettyRhythm』)、そして『ラブライブ!』シリーズ、あるいは『マクロス』シリーズ――これらが一例に過ぎないほど、2010年代はアイドルアニメが隆盛を極めている。
そしてそれらが、ゼロ年代末から2010年代前半にかけてのカルチャーシーンで中心的役割を果たした「AKBグループ」の爆発的な人気を背景にしていることは容易に見て取れる。

アイドルアニメは歴史的に、実在のアイドルと密な関係を取り結んできた。ジャンルとしての最初期の作品を見ても、マンガ原作ではあるが『さすらいの太陽』(1971年)は藤圭子、『ピンク・レディー物語 栄光の天使たち』(1978年-1979年)はそのタイトルどおりピンク・レディー、また『超時空要塞マクロス』(1982年)のリン・ミンメイも、当時絶大な人気を誇っていた松田聖子や中森明菜がモデルと言われる【注2】。

▼注2:アイドルアニメの歴史的系譜に関しては、泉信行が『アニメルカ vol.4』(2011年)所収の「魔法少女アニメの過去と未来――『魔法少女まどか☆マギカ』が描けなかった少女たち」で、魔法少女アニメからコーデ系キッズアニメ、そしてアイドルアニメへという連続性を詳細に論じている。

またもちろん、現代のアイドル文化においては、AKBグループ以外にも、「モーニング娘。」「Perfume」「ももいろクローバーZ」「BABYMETAL」といった、アニメとも相互の影響関係を認められるだろう無視できないアイドルグループは少なくない。
事実、アニメの主題歌も数多く手がけ、サブカル色の強い演出で知られる「ももいろクローバーZ」をはじめ、たとえば『プリティーリズム』シリーズはK-POPアイドルとのコラボレーションプロジェクトであったし、現在放映中の『プリパラ』3rdシーズン「神アイドル編」(第90話-)における、真中のんが1人で3アカ(かのん、ぴのん、じゅのん)を使ったユニット「TRIANGLE」は、その曲調やホログラムというガジェットからPerfumeをモデルにしていることが見て取れる。

しかしそれでもなお、AKBグループの存在感は特権的と言わざるをえない。
昨今の例で言うなら、話題を呼んだ応援上映につづいて2016年6月からはライド型アトラクション(4DX)上映もスタートした『KING OF PRISM by PrettyRhythm』における「PRISM KING CUP 次世代プリズムスタァ選抜総選挙」のような参加型投票イベントは、言うまでもなく「AKB選抜総選挙」の盛り上がりを受けた企画であるはずだし、『アイカツ!』シリーズの初代スペシャルコラボパートナーを板野友美、二代目を島崎遥香と連続してAKBグループのメンバーが務めていたことは、TVCMのほか女児の後ろに並びながら筐体上のポップなどで目にしてきた者も多いはずだ。

なかでも、最も直接的にAKBグループを下敷きにしているのが(後述する『AKB0048』シリーズと)『ラブライブ!』シリーズである。
先に挙げた「センター争奪総選挙」や、秋葉原という土地性、1stシングルPVの衣装もAKBの赤いタータンチェックを思い起こさせもすれば、劇場版での秋葉原でのライブ「SUNNY DAY SONG」の演出から「恋するフォーチュンクッキー」のPVを連想させられたとの声も少なくないだろう。楽曲面においても、AKB48はキングレコードへの移籍第一弾シングル「大声ダイヤモンド」(2008年10月)以降、アイドルソングによくある擬似恋愛視点も含んだラブソングが大きく後退し、一人称を「僕」とした、自分たちのいま・ここの状況を自己言及的に反映させたリリックが全面化するが、μ'sも1stシングル「僕らのLIVE 君とのLIFE」、TVアニメ第1期OP「僕らは今のなかで」、TVアニメ第2期OP「それは僕たちの奇跡」、劇場版テーマソング「僕たちはひとつの光」、あるいは「ススメ→トゥモロウ」「START:DASH!!」「No brand girls」「ユメノトビラ」「Wonderful Rush」「KiRa-KiRa Sensation!」「MOMENT RING」「ミはμ'sicのミ」「SUNNY DAY SONG」……といった主要な楽曲郡において明確に同様の傾向が見出だせるだろう。その意味で、メジャーデビューからその目標を達成するまでの6年間、AKB48公式ブログのタイトルが「AKB48~TOKYO DOME までの軌跡」だったことを思い出せば、声優ユニットのμ'sが東京ドーム公演をもって最後のワンマンライブとしたことも、劇場版との連動以上のものとして読めるだろうし、そもそもアイドル活動を「スクールアイドル」という部活動として、作中の大会「ラブライブ!」を「アイドルの甲子園」として描き出した点も、秋元康がたびたびAKBグループを「高校野球」に例えてきたのだから、アイドルものとして正しく現代的な形式であったと言える。

こうした影響関係の指摘をあまり見ないのは、当たり前過ぎるがゆえにいまさら指摘されないためか、あるいは類似性の指摘がなぜかネガティブな言明と短絡されることがあるため避けられがちなためかはわからないが――ちょうど『ラブライブ!』と『ラブライブ!サンシャイン!!』の序盤が一見したところ類似した要素に満ちていると同時に、その魅力に潜りこむにつれまったく異なる輝きを見せはじめるように――『ラブライブ!』シリーズを理解するためには確認しておいたほうがよい前提だろう。

■ ピカッと光ったら

しかし、本エッセイのテーマはAKBグループでも『ラブライブ!』でもない。
これらを参照項として考えたいのは、2016年4月より放映中の河森正治×サテライトが手がける『マクロスΔ』と、その今後の展開である。

いま「今後の展開」と書いたところで先に断っておきたいが、当然のことながら、フィクションに対する物語展開の予想とは(本質的には現実に対するそれについても同様だが)、その当否という審級において価値が判断されるものではない。だからわれわれは、自らの予想が当たった際には喜々としてその事実を喧伝しこそすれ、自分以外が予想行為という蛮行に興じることに対しては冷淡な態度を貫いてきた。

なのでこれからつづく文字群は、あくまでたちの悪い遊戯として眺めてもらいたいのだが、『マクロスΔ』へと連なる『マクロス』シリーズにおいては常に、歌≒アイドル(と可変戦闘機によるバトルと三角関係)が欠かせないモチーフとしてあった。先に挙げた『超時空要塞マクロス』のリン・ミンメイも(いまとなっては当たり前になり過ぎたことで逆にわかりづらい概念だが)バーチャルアイドルの起源の一つとされているし、『マクロスプラス』(1994年-1995年)におけるコンピュータ制御のバーチャロイド「シャロン・アップル」は、AIとされながらも実際は感情情報をプロデューサーがコントロールしていたという構造も相俟って、しばしばVOCALOID「初音ミク」の先駆としても言及されてきたアイドルキャラクターだ(加えて、本作において近未来のテクノロジーとしてSF的に描かれたAIやVRが一巡し、ともに2010年代中盤、ディープラーニングやVRゲームとしてより具体的なかたちで同時代的な注目を浴びている点は別途注目に値するだろう)。
こうしたフィルモグラフィを持つ河森が、「AKB」グループをモチーフとしたアイドルSFアニメ『AKB0048』シリーズ(2012年・2013年)を監督したのは文脈的に正統なことであったはずだが、それと同時に、AKBがファンのために戦うというこの作品設定からは、どうしてもある不穏さを感じ取ってしまう。

というのもここから真っ先に思い出されたのが、ほぼ同時期に公開されたAKB48のドキュメンタリー映画第2作『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』(2012年1月)であったからだ。このフィルムは「2011年」「3月11日 東日本大震災」というテロップから開始され、「3.11」に関するメンバーへのインタビュー映像および「誰かのために」プロジェクトという被災地を訪問するチャリティー企画と、AKB48の通常の(劇的な)活動を交互に描くという構成になっている。なかでも特筆すべきは、2011年7月に開催された「AKB48 よっしゃぁ~ いくぞぉ~!in 西武ドーム」の舞台裏だろう。大島優子が「戦争です、裏は」と、高橋みなみが「歯止めが効かなくなってる」と語るそこでは、AKBグループのメンバーが熱中症や過呼吸で次々と倒れていくという壮絶な光景を、制御不能なシステムの暴走の表象として、東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウン/メルトスルーと重ね合わせるという読みを強烈に引き寄せる構造が示されていた。

『マクロスΔ』は、河森が総監督を務めた作品としては、『AKB0048』シリーズの次回作であり、その流れを踏まえたうえで3.11以後に企画が具体的に始動した初のアニメでもあるだろう。
そしてまた、本作をめぐってはもう一作、アイドルものの参照作品が思い浮かぶ。

それというのも、「GMT47」という「AKB48」を下敷きにしたアイドルグループ(や秋元康のパロディ)まで大々的に登場する、アイドルもののTVドラマ『あまちゃん』(2013年)である。『マクロスΔ』のヒロインであるフレイア・ヴィオンが方言キャラであるのは、『あまちゃん』の岩手弁ヒロインである天野アキを思わせるし、イントネーションが東北弁ではないとはいえ、出身地がりんごの産地というところからも(「赤ずきんちゃん」というキャラクターイメージとともに)青森=東北地方というつながりがかたちづくられている。
そしてもちろん、『あまちゃん』と言えば第133話において3.11が物語上の主要な事件として描かれていただろう。

これらの文脈を踏まえて観ると、『マクロスΔ』の第1クールEDとしてフレイヤが歌っていた楽曲「ルンがピカッと光ったら」が引っかりはしないだろうか。もちろんこれは、『マクロスF』(2008年)のヒロインであるランカ・リーの「キラッ☆」に連なるかわいらしさの表現であることは間違いないが、しかし(国際政治的な同期性を考慮するまでもなく)やはり、「覚悟するんよ!」というセリフにつづく「ピカッ」という言葉は、日本においてはあまりに強烈に響く。

AKB、3.11、マクロスが描く三角形。繰り返すがこれはもちろん遊戯であり、何らかのかたちで的中を見せたところで、筆者の先見性を擬装する材料くらいにしかならないものだ。しかし最後に、河森はすでに、環境問題を主題的に扱ったTVアニメ『地球少女アルジュナ』(2001年)という原作・監督作の第1話で原子力発電所の事故を描いていたという事実はつけ加えておきたい。