トップへ

桑田佳祐、ネット初登場! 新曲と音楽を大いに語る「狙ってたらヒット曲ってやっぱりできない」(インタビュアー:萩原健太)

2016年07月08日 17:01  リアルサウンド

リアルサウンド

左から:萩原健太、桑田佳祐(写真=岸田哲平)

 ソロシングル『ヨシ子さん』を先頃リリースした桑田佳祐が、ネットメディアで初めてインタビューに応じた。聞き手を務めたのは、学生時代から交流のある音楽評論家の萩原健太氏。桑田佳祐らしい”遊び心”が発揮された新曲「ヨシ子さん」の音楽的背景に始まり、ヒット曲をめぐる考察、さらにはボブ・ディランなど年長世代のミュージシャンへの思いまで、率直な語り口の意義深いインタビュー内容となった。(編集部)


(関連:『Mステ』生披露で分かった! 桑田佳祐の新曲「ヨシ子さん」はなぜおもしろく新鮮なのか?


■「困ったときは“歌謡曲だ”って答える」


萩原健太(以下、萩原):ニューシングルの「ヨシ子さん」、いいね。基本、あれは打ち込みでしょ? あの手の“ドッツ ドドッチ ドッツ ドドッチ”っていうリズムって、最近ヒップホップでよく聴くけど。意識して……はいないか(笑)。


桑田佳祐(以下、桑田):うん、してない(笑)。


萩原:そう思った。でも、あれ、ドレイクとか向こうのヒップホップの連中が最近よく使っているリズムなんだよね。それを桑田佳祐という人が自分の曲に取り入れたら、そこに磁場のようにいろんなものを引きつけちゃって、妙に無国籍なものが出来上がったな、と。それが面白かった。クセになるというか。


桑田:今回は片山(敦夫)くんっていうキーボーディストと、マニュピレーターのかわちょう(角谷仁宣)っていう人とやっていて。それで、スタジオで通常的な作業をやっていて何となく飽き飽きしたときに、“実はこんな曲あるんだけど”ってやり始めたら、これによって突然片山くんに火が点きまして(笑)。僕はわりと傍観者のように背後から見ていたんだけど、こりゃ意外と面白えなと思い始めたんですよ。ちょっとB級的というかチープなんだけど、いろんな可能性があるなと。


萩原:歌詞には最近主流のEDMのこととかをちょっと揶揄するような感じもあるけれど、あれは後から思いついたものなの?


桑田:レコーディング作業っていうのは、ときたまマジメに考えすぎて自滅する場合もあるから。詰めすぎた後に疲れて、何となく力が抜けてね。“別のことをやろうか”というときに、たまたま出来上がった無意識の副産物みたいな感じだね。


萩原:この曲の歌詞を聴きながら思ったんだけど。桑田佳祐という人は、70年代の終わりくらいに出てきたじゃない? 僕はその前に幸運にも、アマチュア時代にステージを観たり、一緒に演奏させてもらったりしていた時期があって。で、そのころに桑田佳祐という人が提示していた、日本語をとてつもなくグルーヴさせる感覚――。


桑田:あの頃はほとんど歌ってなかったからね、言葉なんて(笑)。


萩原:ちゃんとした単語が<ベイビー>と<Oh>しかなかった(笑)。でも、特に初期のサザンオールスターズは、日本語というものをいかにロック的にグルーヴさせればいいか、という面白い実験というか、アプローチをしていたじゃない。


桑田:まあね。


萩原:で、今はそういう方法論を誰もがわりと身につけちゃってる時代ではあると思う。そんななか、桑田佳祐も最近はちょっと芸風が変わってきて、日本語の響きも大事にして、意味も伝わってほしい、みたいな曲も増えてきたでしょ。


桑田:そりゃ、そうでしょうね。アマチュア時代と同じというわけにはいかないからね。


萩原:ところが、そんなところへ「ヨシ子さん」って曲が出てきて、桑田佳祐という存在を初めて知ったときに覚えた興奮みたいなものが蘇ってきたのね。最初に聴いたときは、サビまで何を歌っているかわからなかったくらいで(笑)。


桑田:はっはっは(笑)。歌うためには歌詞が必要だ、と考えるのが普通だけど、昔は“響き”があればサウンドになる……と思っていた。
 我々の学生時代ってそうじゃない? 音楽に意味をまぶして、誰に対しても責任を取る必要もないから、それで良かったし。そういう衝動、発作みたいなものが、たまに今となっては懐かしくもあって。
 昔はボキャブラリーも少なかったし、“オッペケペー”じゃないけど、反射的に無責任な言葉を入れていたからね。言われてみれば、「ヨシ子さん」もそういう感じだ。


萩原:でも、意味がないかといえばそんなことはなくて。今の時代のいろんな文化みたいなものに対して“それがナンボのもんじゃい!”って言いながら、ボブ・ディランやデヴィッド・ボウイに言及して、自分が多感な時代に受け止めてきた往年の文化を誇りに思っていることを高らかに歌って。でも、そう言いながら打ち込みやってるじゃん、みたいな(笑)。そういうところが、すごく桑田佳祐っぽいと思った。


桑田:ナンボのもんじゃい、なんて思ってないよ(笑)。


萩原:ビデオクリップもすさまじい。いろんなもの何でも入れちゃいましたみたいなね。原色っぽいような、無国籍っぽいような。


桑田:知り合いのカメラマンの人で、中国だとかタイだとかの山岳民族の方たちの写真がすごく好きな人がいて、その人の作品にも影響を受けたんですよ。イースト・ミーツ・イーストじゃないんだけど、僕らは日本という、文化の吹き溜まりみたいなところにいるわけだから、先祖をたどればインドネシアだとか、フィリピンだとか、タイの山奥だとか、ああいうところに繋がっていくんだろうな、という思いがあって。
 例えば“卒塔婆”のことを“ストゥーパ”と言ったり、盆踊りとか、お墓だとか法事だとか、アジアの端から端までの起源の同一性をよく意識するわけだ。つまりそういうことが楽しめるようになってきたのかな。


萩原:アメリカのトランプ旋風だとか、イギリスのEU離脱の話なんかも含めて、“この国だけで成り立たせろ!”“移民・異文化を流入させることをやめろ!”みたいな、妙な動きが世界的にあったりするじゃない。そういうなかでこういうごちゃ混ぜのものを普通に作ってもらえると、ちょっとホッとするね。


桑田:音楽をやっているとね、例えば“エンヤートット エンヤートット”っていうリズムが、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に入っているという話がとても感動的だったり、文化の塀の上を歩いていて、ちょっとこっち側に転ぶと、たまたま異文化にたどり着く、という感覚があるじゃない?
 そういうことも念頭に置いて、今回はいろんな言葉を駆使して若いスタッフからも普段ボクが知らないようなボキャブラリーを事情聴取したんだよね(笑)。お互いにいろんなワードを出して、<“ナガオカ針”しか記憶にねえよ>みたいな世代間ギャップみたいなものを歌いながら、世代や人種を超えて共通するようなものを探っていった。


萩原:DNA的なね。


桑田:うん。この頃は、メディアや情報的にも俺なんか疎くなっていく中で、そういう肌感覚みたいなものだけを探していたような気がする。


萩原:この前、テレビ番組で“「ヨシ子さん」について話してください”と言われて、困ったの。“ジャンルは何ですかね?”とか聞かれて。結局そのときは思いつかなかったんだけど。でも、帰る道すがら思ったのは、つまり“これは歌謡曲なんだよな”と。貪欲に、いろんな要素を世界各地から取り入れちゃう強さというのは、われわれが誇るべき音楽として体の中にしみついている歌謡曲の感覚だなぁと。


桑田:確かに、僕も困ったときは“歌謡曲だ”って答えるようになってる。昔、アン・ルイスさんに言われたことがあって。“ロックか、歌謡曲か”みたいなジャンル分けの論争もあったときに、アンちゃんが“日本語で歌っているものは、全部歌謡曲だと思ってやってる”と。それで、全てが俺の中で腑に落ちたというか(笑)。


萩原:歌謡曲という言葉が意味するところが“流行歌”と同じだとすると、要するに日本のポップミュージックのことだもんね。「ヨシ子さん」の初回盤に、WOWOWの開局25周年記念特別番組で披露した、「東京」のフルバンドバージョンが入っていたけど、あの番組で、過去の歌謡曲をたくさん歌っていたでしょ。それを観て思った。やっぱり桑田佳祐という人がハマる曲とハマらない曲がすごくハッキリしてるなって。


桑田:あ、本当?


萩原:歌謡曲と言っても幅は広いわけで、そのなかで、“あ、桑田佳祐のDNAになっているのはこういうタイプの曲なんだ”って。例えばちあきなおみとか、藤圭子とか。あとはクールファイブね。違うのは、フランク永井とか。


桑田:フランクさんは、仰る通り一筋縄でいかないものがあった(笑)。洋楽・邦楽ともに、自分に染み付いているのは67年から73年くらいまでしかないから(笑)。
 小学校5~6年から高3くらいまでが最も色濃くて、ただ歌謡曲の歴史から言っても、そこに藤圭子も、いしだあゆみも、ちあきなおみも、尾崎紀世彦も……最高の逸材がみんなそこにいてさ。だから世代的にすごく運がいいと思うんだけど。
 洋楽もだいたいそんな感じで、「マサチューセツ」(1968年/ビージーズ)から始まって、『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』(1973年/エルトン・ジョン)までで俺の場合終わっているんだね(笑)。


萩原:大学入ったらもう何もない、みたいな(笑)。自分で音楽をやるようになっちゃったから?


桑田:そうなんですよ。そうやって昔を振り返ると、この30年くらいはとても空虚な思いで、手探りしながら自分の音楽の制作に向き合うだけだったからね。


萩原:(笑)。


■「理屈通りにはいかないよね、音楽と大衆の心は(笑)」


萩原:活動休止前、日産スタジアムのライブに行ったとき、お客さんの盛り上がりとか見ながら、“ああ、俺が抱いているサザンへの思いは、もうぜんぜん違うんだなあ”って思ったのね。初期の魅力にこだわりすぎていて、もはや現実的じゃないんだな、と。つまりサザンオールスターズ、桑田佳祐が背負っている期待とか思いとかは、初期からは想像ができないくらいデカいものになっていて。もちろん、それにガッカリしたわけじゃなく、完全に別ものなんだとあのライブで思い知らされたというか。だからこそ、今回「ヨシ子さん」に初期の手触りみたいなものがちらっと見えただけで、こんなによろこんじゃうわけ(笑)。


桑田:回帰しようとか、そういう気持ちがあったわけじゃないんだけどね。デビュー当時、 “人のマネじゃん!”って言われても全然恥ずかしくなかったというか、責任感も無いし、とても身勝手だったデビュー前のアマチュアの頃の話ね。たぶん、あの頃の衝動みたいなものを目指すっていうのは、今はもう、ムリだと思うよ。
 初期の『熱い胸さわぎ』(78年)ってアルバムとか、それから若いころにやってたツアーのやり方とか、ライブのやり方とか。前も後ろもわからず七転八倒してたよな。あの頃の真似事はもうイイよ(笑)。
 でも、なかなか今は便利になってね。そういう意味では、この頃小ズルくなっているのかもしれないけどね(笑)。


萩原:でも、若いころにはできなかった表現ができるようになっているのも事実だろうし。例えばボブ・ディランがフランク・シナトラのレパートリーばっかり歌ったアルバムを出したり、あるいはポール・マッカートニーがダイアナ・クラールのピアノ・トリオを従えて、スタンダードナンバーばっかり歌ったアルバムを出したり。他人の曲を自分の表現にしている。あれは若いときには絶対にできなかったことのような気もするし。歌謡曲を歌いまくった番組も、ここまでやってきたからこそできたところがあるでしょ? 


桑田:そりゃそうだよね。でも、我々がデビューした当時、38年前は、70過ぎてから、カバーを歌って売れている人っていなかったなぁ。


萩原:ディランなんかにしてみると、自分が60年代に作った曲なんかもうトラッドになっちゃっているようなところがあって、その曲を歌ってもカバーみたいなもの(笑)。そこまで行ったら誰の曲を歌っても一緒だというか。僕は桑田佳祐に、どうせならそこまで行っちゃってほしいな、と思うんだよね。もういいだろうと。随分いい曲残しているしさ。


桑田:でも、相変わらず欲望みたいなものがあって、いまだにもっと売れたいとか、変わったことをやりたいとか、褒められたいとか、そういうものがまだアタシの中にニョキニョキとくぐもっていてね。
 ディランやポールみたいになれりゃいいんだけれど、今のところ全然ダメで、くよくよしたり、ブレ続けてますね。


萩原:桑田佳祐という人は、日本で一番、桑田佳祐を過小評価しているような気がする。誇っていいところがいっぱいあるのに。ところで、今回の初回盤に東日本大震災の被災地・女川のFMで生放送した時の音源が入っていて、それ聴きながら思い出したんだけど。震災のときもいち早く、支援するための曲(チーム・アミューズ!!「Let's try again」)を作ったりしてたじゃない。すごく大切なことだったと思うんだけど、一方で、ちょうど同じ時期にテレビCMで「月光の聖者達(ミスター・ムーンライト)」がよくかかっていて。あの曲は別に震災のことを考えて作った曲じゃないのに、当時、どれだけ多くの人の心に響いたか、と思うんだよ。<現在がどんなにやるせなくても 明日は今日より素晴らしい>という歌詞も含めてね。そんなふうに、作る側がどんな思いを曲に託そうと、受け止める側は一人ひとり、それぞれスペシャルなものとして勝手に受け止めちゃうんだから、桑田ももっとざっくりやっていい気がするなぁ。


桑田:そんな事言われても困るよ(笑)。その時その時で、オレは精一杯なんだからさ。まああんまり丁寧にやり過ぎて、そーっと置くとつまらないものになったりするね。
 だから、言っていることはすごく分かる。昔からあなた、デビューする前からそういうことをオレに言うんだけど、その“ざっくり”っていうことをね、出来るだけ心がけようとは思うけどね。
 音楽をやっていて、よく“狙ってヒット曲は書けるか?”なんて言うけれど、狙ってたらヒット曲ってやっぱりできなくて。人の心の琴線に触れるものはさりげない偶然とか、単なる思いつきから発生するでしょ。なかなか、理屈通りにはいかないよね、音楽と大衆の心は(笑)。


■「押し付けがましくない道徳も大事だと思う」


桑田:リスナーの心理ってやっぱり、微妙に読めないですね。
 最近は特に、どういうツールで聴いているのかも分からないから。車の中でBluetoothで、とかさ。


萩原:サブスクリプションなんて分かんないんだもんね。


桑田:うん。あなたは詳しいでしょうけど、僕は相変わらず、このスタジオでけっこう旧態依然とやっている部分もあるんですよ。だから、こうやってたまにね、萩原に分析してもらうと、ムカムカするけど面白いなって思いますけどね(笑)。


萩原:そういえば、SNSで今、ロックに政治を持ち込むな、みたいなことが話題になってたりするんだよ。


桑田:でも、ボブ・ディランが「風に吹かれて」を作ったのがあの人ハタチのときで、あれが果たして政治にコミットしているものなのかしら?


萩原:そうね。あの曲ができたとき、フォーク周り、グリニッジ・ビレッジあたりのフォークの愛好家たちからは、ダメだって言われたんだよね。なぜなら、曖昧だから。いわゆる“フィンガー・ポインティング・ソング”という、誰か具体名を挙げて指弾をするようなプロテスト・ソングではなく、あの曲のなかにはボンヤリとした問いが9つ並んでいるだけでしょ。で、最終的にその答えはすべて風に吹かれているだけだと。でも、その曖昧さゆえに、時代を超えた。


桑田:へえ、そうなの。行間が読めないヤツが世の中には昔からいて苦労するんだよ。押し付けがましくない道徳も大事だと思うし、僕はそれで育ったからね。
 何でもかんでも新聞やネットの見出しに書いてある強い言葉をぶち込むより、ディランみたいにヒラヒラした行間みたいなものをロックに乗せるということは、俳句や川柳じゃないけど、頭にというより、ちゃんと腑に落ちるよね。


萩原:愛を語ることも、実はそういうことだったりするじゃない。その人の生活を語るとか、その人の思いを語るということには、どうしたって政治を含めたもろもろが重なってくるわけで、そういうところからにじみ出してくるものがあるでしょ。だから、今作の歌詞からもにじみ出てくるものがあるよ。「百万本の赤い薔薇」もすっげえ面白いと思った。平山みきさんに歌わせたい。


桑田:またキミはそういうことを言う(笑)。


萩原:70年代ディスコ歌謡みたいな感じもあるし。あの時代の自由さを思い出させてくれるようなものっていうかね。歌詞に女性の名前を簡単に歌い込んじゃう、歌謡曲ならではのノウハウも踏襲してるし。そうだ、「大河の一滴」では古い時代の渋谷が歌われていたけど、あれなんかある意味、歌謡曲に欠かせない“ご当地ソング”だ。


桑田:「百万本の赤い薔薇」はね、『ユアタイム~あなたの時間~』という番組から依頼されて、それで嬉しくて、“一緒にこの番組の乗組員をやっていきます!”という宣言の意味で、キャスターの市川紗椰ちゃんの<紗椰>という名前を入れたんですよ。
 スタッフからは“名前は漢字にしないで、アルファベットでSAYAにした方が……”という話もあったけれど、俺は“それは絶対違う”って。“名前はローマ字にしておいて、何かあったら別のものに使っちゃうよ”みたいな逃げ腰な気持ちじゃダメだと思ったわけ。


萩原:退路を絶ったわけだ。


桑田:(笑)。でも、彼女にとってはそれが重かった気もするし、調子のいいオジサンが、“君の名前使って、曲書いちゃったよ”みたいなイヤらしい感じがして、逆に困らせたんじゃないかと思って。でも単なる、スケベ心とかじゃないということを、ちゃんと言っておきたいね(笑)。


萩原:そういう弱気なところも変わらない(笑)。大丈夫だよ、いい曲だし。それだけの決意を込めた曲だと思って、もう一度聴き直してみましょう。