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山﨑賢人ら“S男子”と菅田将暉ら“M男子”、物語におけるそれぞれの役割と魅力

2016年07月06日 06:11  リアルサウンド

リアルサウンド

リアルサウンド映画部

 恋愛をテーマとした映画やドラマにおけるヒーローは昨今、SもしくはM、どちらかの傾向を持って描かれるケースが目立っている。


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 たとえば、『オオカミ少女と黒王子』における山﨑賢人や、『黒崎くんの言いなりになんてならない』の中島健人、『クローバー』の大倉忠義などは、現実ではありえないほどの圧倒的な“ドS”として描かれていた。一方で『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の高良健吾や『ラヴソング』の菅田将暉、『百瀬こっちを向いて』の向井理などは、どちらかというとM的な要素が強かった。それぞれどんなところが魅力となり、物語を彩っているのか、作品から探っていきたい。


 まずはS男子から。少女漫画では、少し不良っぽい男の子に主人公の女の子が惹かれるという構図は定番で、80年代では『ホットロード』(紡木たく著)の春山洋志、90年代では『天使なんかじゃない』(矢沢あい著)の須藤晃などが、いまにつながる“S男子像”を築き上げてきたのではないだろうか。彼らはともに、16歳前後の年齢ながらひとり暮らしをしているバイク好きの一匹狼タイプで、どこか寂しそうな影を持っているのだが、実は心優しい一面があり、主人公の女の子は彼らのそんなところに恋をする。主人公に対しては、軽く憎まれ口を叩いたり、ちょっと頭を小突いてみたりするところも共通している。


 このヒーロー像が拡大解釈されたのが、昨今の“S男子像”だろう。その後、テレビドラマにおいて近年、そのキャラクター像を完成させたのは、2004年に放送された『花より男子』のヒーロー・道明寺司を演じた松本潤ではないだろうか。セレブの息子として学園内で権力を振るう“F4”のリーダーである道明寺は、まさに“ドS”と呼ぶにふさわしい横暴な振る舞いが特徴で、井上真央演じる主人公・牧野つくしと対立しながらも仲を深めていくところに、物語の醍醐味があった。


 近年はS男子的な振る舞いの定番として、“壁ドン”や“顎クイ”といった用語も生まれているが、こうした所作は主人公とヒーローの間に、当初は対立的な関係があるからこそ描かれてきたものだろう。少々強引な振る舞いは、お互いが惹かれ合うものの、素直に向き合うことができないふたりが距離を縮める手段であり、そこに多くの女性読者は惹かれてきたはずだ。そうしたポイントを拡大し、映像化しているのが昨今の『オオカミ少女と黒王子』や『黒崎くんの言いなりになんてならない』といった映画作品で、両作についてはタイトルからも主人公とヒーローの対立が見て取れる。


 つまり、男女関係における衝突と緊張、そして絆を結ぶまでをドラマティックに描くのに適しているキャラクターが、ドS男子なのではないだろうか。山﨑賢人や中島健人といった、どちらかというと中性的な顔立ちの俳優がドS役となるのは、原作との兼ね合いもあるだろうが、むしろ少女漫画的なファンタジーを成立させるため、との意味合いもありそうだ。もしもドS男子があまりにもマッチョな男性だと、彼らの漫画的な振る舞いは成立しないのかもしれない。


 続いて、M男子に着目してみよう。先述した『いつ恋』や『ラヴソング』、『百瀬こっちを向いて』に登場するM的な男子たちは、なんだかんだで女性に振り回されるタイプで、物語自体はシリアスでリアリティ志向の場合が多い。S男子が登場する映像作品の多くは少女漫画原作であるのに対し、M男子が登場するのはオリジナル脚本であったり、場合によっては少年漫画が原作だったりするケースも目立つ。おそらく、原作者もS男子を描くのは女性で、M男子を描くのは男性である場合が多いのではないか。


 男性視聴者から見たときに共感しやすいのもたぶん、M男子の方だろう。『百瀬こっちを向いて』で向井理演じた相原ノボルは、主人公の百瀬陽に恋をするが振り向いてもらえない、消極的な男性として描かれており、原作小説の執筆者は中田永一こと乙一だった。作中では百瀬の言いなりになって苦労することも多いのだが、その“女性に振り回される”という視点自体が、ある意味では男性的である。もちろん、彼らに魅力を感じる女性視聴者も多いはずだが、S男子の振る舞いに対するそれとは異なっているだろう。恋心を抱くにせよ、彼らの不器用さや純粋さに母性をくすぐられるケースが多そうだ。


 映画やドラマにおけるS男子とM男子の魅力を比較すると、前者はとくに女性の理想を、後者はとくに男性の現実を描いた姿といえるのかもしれない。(松下博夫)