僕は生まれ育った土地に愛着を持ちすぎている人が苦手だ。なんというか、土地に縛られている哀れな人のように思えるときがある。
中でも、東京で生まれ育ったことに強いアイデンティティーを持っている人が苦手だ。こういう人たちには何度も「田舎者だ」と馬鹿にされた経験があるからだ。だからクライアントから再三に渡って上京を要請されても、応じていない。(文:松本ミゾレ)
「人が多すぎてお互いにストレスを抱えあうなんてアホらしい!」
先日、「はてな匿名ダイアリー」を閲覧していると、興味深い投稿を目にした。「地方出身民は地方へ帰れ」という投稿だ。筆者は東京の人口集中にウンザリしているようで、「せめて3親等内が地方出身の奴は出身地方へ帰ってくれ~」と主張する。
「東京は混みすぎて交通機関は死んでるし、新しいスポットが東京にできるとウンヶ月待ち。人が多すぎてお互いにストレスを抱えあうなんてアホらしい!」
地方出身者が東京で「地方創生」に関係する仕事をしていると、「何じゃそりゃ!」と思うとし、
「地元に、自身のルーツに愛着はないのか? 私は地元に愛着があるので、地元の東京が破綻しないように、無駄に東京出てきただけの地方民は地元に帰って欲しいと思っています」
と力説している。うん、なかなか東京愛に溢れた人物のようだ。ただ、郷土を愛する気持ちはいいと思うんだけど、この手の人はなぜ排他的になってしまうのだろう。
地方出身者は欧州でいう移民、難民と同じような認識なのか
ただ、排他的だけど、こういう考えに賛同できる人もいると思われる。折しも先日、イギリスが国民投票でEUから離脱することになった。あの国では以前からEU内外からの難民や移民が国民を悩ませていた。
離脱を決定付けた理由の一つに、この難民に対する国民感情はあったという見方がある。大抵どこの国でも保守層は、自国に押し寄せる難民に対して危機感を抱いているものではあるが、僕だって日本に、たとえば数百万人もの難民がやってきたら「おいおいちょっと待って」と思うだろう。
東京で生まれ育ったことに強いアイデンティティーを持つ、一部の選民思想的な考えの人は、もしかすると地方出身者に対して、似たような思いを抱いているのだろうか。
東京にヒト・モノ・カネが集中する一方で、地方は衰退
そうは言っても、東京の発展は、東京の人々だけの力によるものではない。1964年の東京オリンピックの際には、各競技施設、インフラの整備などが急ピッチで進められた。これも当然、地方からの資材の手配、作業人員の確保などが不可欠だった。
高度経済成長期を迎えてから今日に至るまで、一極集中の状況は続いている。地方に住んで働いている人なら分かる話だが、賃金の格差などもあって、どうしても上京しないと食っていけないということだってある。
その原因は、地方の怠慢だと受け取る人もいるかもしれないが、東京ばかりが地方からの力を吸い上げ、肥え太って繁栄していると感じている人も多いだろう。
僕なんて売れない物書きをしているが、「東京で生活していたら、もっと仕事もしやすかっただろうに」と思うことばかりだ。東京にいるだけで、コネも掴めるし、仕事も増える。地方に根ざしてライターなんかやってる僕は、売れる気がないと思われて相手にもされない。
これは物書きだけの話ではない。その他の職業でも、東京在住が食っていくための大前提になっている事例は何度も目にしてきた。何かにつけて発展する東京。その発展に手を寄与してきた地方。東京にヒト・モノ・カネが集中する一方で、地方は衰退をしている。
地方在住者としては、そういう状況を作った東京という都市には、思うところは山ほどある。「田舎者は田舎に帰れ」と気安く言われても、東京の発展の影で萎れている故郷には、既にその「田舎者」の仕事も居場所もない。