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ヒトラーの格好にドイツ市民はどう反応したか? 『帰ってきたヒトラー』主演俳優インタビュー

2016年06月22日 16:11  リアルサウンド

リアルサウンド

オリヴァー・マスッチ

 ヒトラーが現代にタイムスリップしてくる喜劇『帰ってきたヒトラー』が現在公開中だ。本作は、2012年にドイツで発売され、200万部を売り上げたティムール・ヴェルメシュによる小説の映画化した作品。現代にタイムスリップしてきたヒトラーが、モノマネ芸人としてブレイクし、民衆の心を鷲掴みにしていく模様を描く。ヒトラーに扮した役者が実際にドイツの街に飛び出し、市民やネオナチといった人々の話を聞くなど、セミドキュメンタリー形式を取っている本作。リアリティを追求するため、ヒトラー役には知名度の低い舞台俳優を抜擢したという。今回リアルサウンド映画部では、主演のオリヴァー・マスッチにインタビューを実施し、ヒトラー役に臨んだ理由や役作りの背景について聞いた。


参考:『顔のないヒトラーたち』と『ヒトラー暗殺、13分の誤算』ーー“ナチスの時代”を描く2作品を考察


■「人々が再び洗脳されてしまうリスクを持っているのか試した作品」


ーードイツ人として“ヒトラー”を演じることに対して責任やプレッシャーを感じましたか?


オリヴァー・マスッチ(以下、マスッチ):過度なプレッシャーや責任を感じることはなかったよ。なぜならドイツ人がヒトラーを演じることは、いつの時代でも誰が演じても難しいことだと考えていたからね。そもそも、私がヒトラー役を引き受けた理由は作品のコンセプトに惹かれたからなんだ。フィクションとリアリズムを融合した、セミドキュメンタリーというスタイルにとても興味が湧いたんだ。


ーー興味が湧いた理由を具体的に教えてください。


マスッチ:つまり、現代社会の中にヒトラーのような指導者が現れた時、右派になびいてしまうような隙がまだ人々に残っているのか。さらに言うと、人々は再び洗脳されてしまうリスクがあるのか、というテーマを実験し検証するような映画だった。俳優としても、一個人としてもそこに強く興味を惹かれたんだ。私個人の認識としては、演じていたのは歴史上に存在したヒトラーそのものではなく、極めてヒトラーに近い別の人物だ。ヒトラーになりきることで、現在ドイツで起きている実情を暴くというところが、面白く、魅力的なところだと思っている。


ーー実際にヒトラーの心情を理解するためにどんな努力をしましたか?


マスッチ:とにかくヒトラーの演説をたくさん聞いたね。私が特に注目したのは、いわゆるプロパガンダ的な演説をしているヒトラーではなく、ヒトラーが普通の声でフィンランドの将校たちと話している場面だった。そこでのヒトラーは非常に落ち着いた声で話していて、これが彼を理解するという意味でも非常に参考になったよ。そのほかにも、監督とは何ヶ月もかけてヒトラーの役作りを撮影前に考えていった。


ーー例えば、監督とはどんなことを行ったのですか?


マスッチ:一部は劇中でも使用されていると思うが、ヒトラーの格好で街ゆく人々にインタビューをしてみたり、ヒトラーのもとで秘書の仕事をしないかと新聞に求人広告を出したこともあった。その時はヒトラーに扮したままちゃんと面接を行ったよ(笑)。あとは、自分がヒトラーだと思い込んでいる病人のフリをして、カウンセラーの治療を5時間受けるという実験もした。それらのテストを何ヶ月も実施し役作りをしていったんだ。


ーー劇中では、ドイツ市街にいる人々にインタビューをする場面や料理番組に乗り込んでいくシーンなどがドキュメンタリー形式で映し出されていましたね。


マスッチ:ずっとスタジオの中で演技をしていたわけじゃないからね。スタジオ以外でも、なるべく多くの時間をヒトラーの格好で過ごしたよ。ヒトラーの格好で街中に出ると大騒ぎになってね。そうやって人々が集まってくる中で、ヒトラーとしての発言をしてみるんだ。原発についてや政治家についての提言をね。人々の不安を煽るようなことをたくさん言って、どんな反応が返ってくるのかを試していたんだ。


■「ドイツだけでなく、世界の人々の考え方が右派寄りになってきている」


ーーネオナチやSPD(ドイツ社会民主党)の人々と話したときは、危険を感じたりもしたのでは。


マスッチ:当然したよ(笑)。ネオナチはいつも街中でデモをしているんだ。ちょうど撮影の時期に、ドイツではある裁判が行われたいた。ネオナチの構成員が外国人を何人か殺してしまったことに対する裁判だ。当然、ネオナチは捕まっている人々を解放しろとデモを行っているわけだが、その現場にあえてヒトラーの格好で出向いてみたんだ。ヒトラーの子孫という体でね。ヒトラーとして、今のネオナチはダメだ、協力するなら緑の党と協力しろ、と言ったらとても大きな騒ぎになったよ。さらに、その騒ぎを嗅ぎつけた記者たちがやってきて余計カオスな状態になった。とうとう極左の構成員も騒ぎの中に入ってきて……まぁ、極右と極左は横並びでデモをするから当たり前のことなんだけど。極左の人々は私を見るなり「なんでこんな人を連れてきたんだ」と極右に抗議をするんだけど、極右側も「こんな人を呼んだ覚えはない」と混乱してしまって大変だったよ(笑)。


ーーなるほど。命がけの撮影だったんですね。


マスッチ:ただ、極右の人間はヒトラーに敬意を払ってくれていたんだ。映画にも採用されているけれど、80名前後のネオナチと一緒にバーへ行くことになって、そこで国民的な歌を歌ったり、政治的な議論を大いに繰り広げたのだが、みんな最後にはきちんとナチス式の敬礼をしてくれた。そのシーンで僕は「ニガ」というセリフが用意されていたんだが、その一言以外はすべてアドリブだったよ。


ーー実際に街中の人々の話を聞いてみてどんなことを感じましたか?


マスッチ:ドイツに限った話ではないが、世界の人々の考え方が右派寄りになってきているんじゃないか、と感じている。アメリカの大統領選にトランプ氏が登場したように、右派の勢力が拡大していくことで、人々の思想が過激化していくのではないかと、僕は危機感を覚えるんだ。先日、ヒトラーの出身国でもあるオーストリアで大統領選が行われ、極右候補と“緑の党”系の候補が対立していた。有権者の7割程度(400万票前後)が投票し、幸いなことに結果は緑の党系候補が約3万票という僅差で勝利したが、そこからもとても危うい状況なのがわかる。実際に、国境に柵を設けて難民の流入を抑えている国だってヨーロッパには存在する。


■「極右的な考えに流さることは危険だと、気づいてもらえる作りになっている」


ーー本作でも、外国人労働者の問題が描かれており、外国人の流入を抑えることに肯定的な姿勢を表していた人々が映し出されていましたね。


マスッチ:どんなに困難な状況に陥ったとしても、柵で人の流入を抑えてはいけない。柵があればそれを乗り越える人が出てきて、それを防ぐために銃を手に取る人もいるだろう。先進国は、豊かな生活がなにかの犠牲の上でなりたっていることをわかっていながら、なにも準備をしてこなかったため、物理的な方法で難民を抑止する羽目になった。しかし、そんなことでは根本的な問題は解決できるわけがない。自国に受け入れるのか、もしくは彼らの祖国で対応するのか、どちらにせよ政治的な決断が必要だと、強く感じたよ。


ーードイツでは原作と映画のどちらも大ヒットを記録していますが、街の人々はどのように受け止めていますか?


マスッチ:ドイツの批評家の中でも、(本書の)発売当初はまったく相手にされていなかったんだ。しかし、本がベストセラーになってから、なぜこの作品がヒットしたのかと議論され始めた。批評家の見方としては、文学的な価値というよりも、これによって引き起こされた現象に価値があると判断されていたね。書籍版と映画で大きく異なるのは、映画の方は面白おかしく笑えるだけではないということだ。書籍よりも一歩踏み込んだ内容が映画には描かれていると言える。映画では、セミドキュメンタリーというスタイルで、現代の社会問題が浮き彫りにされていく模様が描かれていたと思うけど、ベストセラーという肩書きを隠れ蓑にして、身の回りの社会で起きている事実を人々に伝えることができたんじゃないかな。最初は笑って観ている鑑賞者も、物語が進んでいくにつれて、笑ってはいけない恐ろしいものを観ているような感覚に気づき始めるんだ。ヒトラーがどんなに魅力的な人間であろうとも、彼がファシストであることを忘れてはいけない。プロパガンダや極右的な考えに流さることは危険だと、気づいてもらえるような作りになっていると思う。(泉夏音)