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HARUHIの歌声は、シーンに風穴を開ける? 生々しい表現力とメッセージ性を読み解く

2016年06月22日 15:01  リアルサウンド

リアルサウンド

HARUHI

 映画『世界から猫が消えたなら』(原作/川村元気 監督/永井聡 主演/佐藤健)の主題歌「ひずみ」で、5月11日にデビューしたHARUHI。


 ロサンゼルス生まれ、現在もインターナショナルスクールに通う赤髪ショートヘアの17歳ーーただでさえ日本の音楽シーンで異彩を放つ彼女だが、それ以上に鋭い個性を持つ“歌声”に対する反響が高まっている。今回のコラムでは、リスナーの声や6月7日に行われたライブなどから、HARUHIの歌声が持つポテンシャルについて考察したい。


 5月14日の同映画公開前後から、TVや街頭など様々な場所で流れていた「ひずみ」。HARUHIのオフィシャルYouTubeチャンネルで公開されている同曲のMVは再生数130万回を超え、楽曲を聴いたリスナーから「頭から歌が離れない」「声に引き込まれる」という反響が多く寄せられている。そして、それを裏付けるようにiTunes J-POPアルバムチャート1位、Shazam Japan 邦楽TOP20チャート1位など新人ながら好成績を収めてきた。


 先日リアルサウンドで掲載したコラム「HARUHIの目指す“自分らしい表現” ジャンルや言語の枠を超える17歳の才能に迫る」で「他の誰とも違う。自分らしさを大事にして自分のスタイルで表現したい」というコメントを残していたHARUHI。それがここまで成功し、彼女の歌に注目が集まっている理由として、バックグラウンドであるアメリカ~日本での生活の中で培われた表現力が大きい。


 シングル『ひずみ』に収録されている「The Lion is Calling Me」「Empty Motion」は、彼女自身が作詞、作曲を手掛けた全編英詞の楽曲だ。日本語と比較してロジカルで、言葉それ自体にも増して表現力でニュアンスを伝えなければならない英詞を、彼女は見事に歌いこなす。単純にネイティブな発音の心地よさもあるが、感情のゆらぎを細やかに表現したボーカリゼーションは印象的で、尖った個性は米国インディーシーンの新鋭シンガーのようでもある。一方、表題曲の「ひずみ」は彼女が初めて歌った日本語詞の歌だという。シングルに収録された音源には、15歳当時、最初に歌ったテイクが多く活かされており、日本とアメリカの間で“自分らしさ”と向かい合う、生々しい初期衝動が伝わってくる。ライブではその生々しさに、繊細さや切なさ、それと裏腹の力強さやにじむ覚悟という、多面的な陰影が表現力として加わっていた。英語詞で歌った前2曲と変わらぬ浮遊感もあり、それが新しい感覚としてリスナーの耳にとまったのだろう。一つひとつのフレーズでリスナーの感情を様々にふるわせる、奥行きのある声質は、宇多田ヒカルを彷彿とさせる。


 また、HARUHIが歌う、今のJ-POPシーンの中で“異質”なメッセージも、その歌声と相乗効果を上げている。リスナーに共感を求め、“励ます”ような楽曲が多いシーンのなかで、彼女は「ひずみ」のなかで、〈ただ生きてないで 死んでないで 今を渡っていって〉と語りかけ、流されるままになんとなく生きるのではなく、“今”の自分が置かれた環境、あるいは自分自身がリアルタイムに抱える思いに自覚的に生きようと訴える。前述のコラムで「みんなと一緒じゃなきゃいけないって思い込んでいたんです」と語った彼女も、葛藤のなかで自分を抑え、“ただ生きて”いた時があったのかもしれない。その個性的な歌声に乗ったメッセージが、人と違っていることを肯定し、リスナーの“今”を照らしてくれるように感じられるのだ。観客に手拍子やシンガロングを促すわけでもなく、ある意味では飄々と、あくまで歌と演奏をじっくりと聞かせるパフォーマンスからも、無理に共感を求めず、“自分らしさ”を認めようというHARUHIの思いを確認することができた。


 「自分らしさを大事にして自分のスタイルで表現したい」と語る彼女の歌声は、安易にリスナーに寄り添うものではなく、目を開かせるような芯の強さをたたえている。自分の道を進む新世代のアーティスト・HARUHIの音楽は、これから確実に音楽ファンに刺激を与え、シーンに風穴を開けていくに違いない。(文=高木智史)