2016年06月19日 09:31 弁護士ドットコム
宮崎謙介・前衆議院議員の「ゲス不倫」など、スクープ記事や動画を誌面よりも先にネットで出し、「文春砲」とも呼ばれている週刊文春のネット展開。雑誌の誌面だけでなく、ネットに情報を出すことによって、どんな法的リスクが生じているのだろうか。スマートフォンの普及など、メディアを取り巻く環境が変化する中で、どのようなスタンスで雑誌づくりに取り組んでいるのか。新谷学編集長に聞いた。
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<「リスクを恐れず、訴訟で負けない記事を作る」週刊文春・新谷編集長に聞く(上)>はこちら(https://www.bengo4.com/internet/n_4786/)。
ーーネットの普及とその対応に伴って、どんな法的リスクが生じているのでしょうか?
「いくつかのポイントがあるんですけど、まず一つはすぐに記事がパクられてしまうということです。記事をスキャンしてそのままネットで公開する『スクープ泥棒』がよく見られます。
我々と法務部で日常的にチェックして、悪質な場合は抗議しています。これは犯罪ではないかというケースに関しては、警察に被疑者不詳のまま刑事告訴して、最終的に犯人がつかまったこともあります。
映画泥棒ではないですが、『スクープ泥棒は犯罪です』ということを理解していただくための努力をしています」
ーー名誉毀損やプライバシー侵害のリスクについては、変化があるのでしょうか?
「紙の雑誌に関しては、今までに何度も、写真を含め、名誉毀損訴訟を起こされることがありました。裁判の判例を積み重ねていく中で、ある種の共通のルールや認識が定まってきました。
しかし、ネットの記事配信では、動画や音声については、定まった判例がまだないんです。だから、どこまでならば許されて、どこからアウトなのかという線引きがあいまいなため、慎重に手探りでやっています。公開する際には、細心の注意を払う必要があります。
法務部や顧問弁護士に『これは大丈夫でしょうか』と相談して、動画を見てもらって、音声を聞いてもらい、確認した上で出しています」
ーーアウトとセーフの線引きはどこにあるのでしょうか?
「たとえば、男女の不倫密会をカメラで隠し撮りしたとしましょう。その動画や音声を、そのままネットにアップした場合、一般的には、プライバシー侵害にあたり、許されないでしょう。
では、どのような場合だと公開しても許されるのでしょうか。それはやっぱり最低限、相手が公人か、公人に準ずる人であること。そして、動画や音声は、相手が取材を受けているという認識のもとで撮られたものであるかどうかも、考慮する要素になるでしょう。
週刊文春の場合、宮崎謙介さんの不倫問題を直撃した時の動画は、まさにそれだと思うんですね。宮崎さんは当時国会議員ですから、公の存在です。しかも彼が主張していた育休の話と、やっていること(不倫密会)が違うのではないかという問題提起をしようと考えました。この場合は許されるだろうと判断したのです」
ーーあの動画は密会の現場そのものではなく、路上で記者が直撃したものですよね?
「そうです。ケースバイケースの判断ですけど、相手が取材を受けているという認識を持っているのかどうなのかということですね。あとは、報じる大義がある中身なのかということです。宮崎さんの場合、単なる不倫ではなかったですから」
ーー宮崎さんの場合、撮影されているという認識はなかったんじゃないですか?
「いえ、記者はハンディカメラを片手に持って直撃していますから、認識はあったと思います。しかも、その前の段階として、週刊文春ですと名乗って、取材をしている中で撮ったものです。
もちろん、身分を隠して潜入して撮ってきたものは絶対出してはダメというわけではありません。たとえば、ドイツのテレビ局がロシアのドーピング問題の動画を公にしましたけれど、それは隠し撮りしたものでした。隠し撮りですが、公にする大義名分が十分にあったものです。
犯罪や違法行為をつまびらかにするという大義があるのであれば、すべてがノーというわけではありません。ですから、ケースバイケースで慎重な判断をしていかなければいけません。
新しいことなので、リスクは伴いますが、可能性を広げるという面もあります。諸刃の剣の部分を慎重に見極めながら、一歩一歩進めていくという感じですね」
ーー動画や音声の存在は、記事が確かであることの補強になる面もあるんじゃないですか?
「それは大きいんですよ。『言った、言わない』がないですから。ASKAさんが薬物で逮捕された時は、インタビューの音声を公開しました。記事の真実性を裏付ける強力な証拠になったでしょうね。裁判でも『言った、言わない』が大切な局面になってくると、裁判官から『録音はありますか』と聞かれることもあります」
ーーネットを積極的に活用していますが、メディアを取り巻く環境の変化をどうとらえていますか?
「リスクを伴う調査報道が割に合わないと考えるメディアが多くなってきているのは、間違いない事実ですね。頭で考えた企画であれば、そこまでリスクも大きくないでしょうし、当局が発表した裏付けのある情報をベースにするのであれば、リスクもないですよね。
得るものと失うものを天秤にかけて、割に合わないと判断して調査報道から徐々に撤退するメディアが増えているのでしょう。それぞれに考え方があると思いますけれど、週刊文春という雑誌は、昔からスクープ力が一番大きな武器だと考えてきたし、よそが真似しようと思ってもすぐにはできないものです。そこを徹底的に磨き上げていこうと考えて、これまでやってきました。
一度、調査報道の土俵から降りてしまうと、筋肉も落ちてきて、何か起きた時に瞬時に動けなくなります。緩くて、安心安全な企画モノばかりやっていると、なかなか対応できなくなってしまいます。我々はそちらの道に行くべきではない、うちしかできないことをとことん突きつめようと考えています。
今の時代は、スマホで読めるのかというのが、大きな分かれ目になりつつあります。スマホの画面上では、新聞もテレビも雑誌も、全てのコンテンツがフラット化しています。よっぽど面白いものじゃないと、時間を割いてもらえません。
ましてや、お金を払ってくれないわけで、最終的にはコンテンツの力が問われます。だから、自分たちにとって、読者のみなさんにお金を払っていただける最も強力なコンテンツは何なのか、それぞれのメディアが自問自答していると思いますし、その中で週刊文春が出した答えがスクープ主義です」
ーーその「スクープ主義」は、なぜ今、うまくいっていると考えていますか?
「スクープ主義が成果をあげれば、部数も伸びるし、情報提供も増えます。そうなってくると、週刊文春で勝負してみたいと腕に覚えのある記者がうちに参戦して、もっとネタが集まり、さらに売れるというスパイラルが生まれます。
雑誌が売れれば取材費だってケチる必要はないし、人員も絞る必要もないし、安定飛行に入ることができます。いま、そういう兆候が出ているのは確かなので、これを大事にしていきたいです。一時的なものではなく、持続的なものにしていきたいと思っています。
これが逆回転し始めると、本当に大変です。部数が下がって、目先の帳尻を合わせないといけないから、取材費を削る、人を絞るということになります。誌面の魅力も乏しくなって部数が減り、さらに人を減らす、という負のスパイラルに入っていくわけです」
ーーそうなると、手間のかかる裁判なんてやってられない、ということになるわけですか?
「裁判は最大のリスクですからね。一番悪いのは、『訴えられるような記事を書く記者はダメなやつだ』と言って、記者を辞めさせたり、取材と関係ない部署に飛ばしてしまったりすることです。
スクープ力のある記者に最低限のルールは守ってもらった上で、のびのびと思い切り仕事をしてもらえるかどうかが大事ですよね。当たり前のことだと思うんですけど、そういうことが難しくなりつつあります」
ーーつまり、雑誌業界が負のスパイラルに入っているということですか?
「いまは雑誌の売り上げが厳しくて、負のスパイラルに入るところも少なくない。ただ、偉そうで申し訳ないですけど、今は逆に、スクープ路線の週刊文春は他が撤退してしまっている分だけ、チャンスだと思うんですよ」
ーーただ、ネットで稼ぐのは結構ハードルが高いんじゃないですか?
「我々はあくまで民間の商業ジャーナリズムなので、書いたものへの対価をいただかないと存続できません、ただ、その当たり前のことがまだネット上では理解されていません。
それを覆すのは簡単なことではないけれど、少なくとも週刊文春というブランドは『お金を払う価値がある』と思ってもらうために、努力することが大事です。歯を食いしばって紙の部数を現状維持できているうちに、未来への道を切り開く必要があります。負のスパイラルに入ってからでは遅いですから」
(弁護士ドットコムニュース)