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日高央×小野島大が語る、ジョン・ライドンの比類なき音楽人生「ジョニーは革命を2回起こした!」

2016年06月12日 16:51  リアルサウンド

リアルサウンド

小野島大氏(左)と日高央氏(右)。(写真=金子山)

 セックス・ピストルズの伝説的ボーカリストであり、同バンド脱退後はPiLを結成してポスト・パンク~ニューウェイブ時代を牽引したジョン・ライドンが、長大な自伝を上梓。2016年4月には日本語版『ジョン・ライドン 新自伝 怒りはエナジー』(シンコーミュージック)も刊行された。600ページを超える本書では、ロック史に残る毒舌家であるジョン・ライドンが幼少期から現在までの自身の人生を振り返るほか、セックス・ピストルズやPiLにおける楽曲制作の実際についても詳しく述べており、音楽家としてのジョン・ライドンの歩みをより深く知ることができる内容だ。今回リアルサウンドでは、同書の日本語版解説を執筆した音楽評論家の小野島大氏と、パンクロック全般に詳しい元BEAT CRUSADERS、現THE STARBEMSの日高央氏による特別対談を企画。ポピュラーミュージック史におけるジョン・ライドンの特異さ、偉大さについて、じっくりと語り合ってもらった。


・どうでもいいエピソードも面白い(日高)


――セックス・ピストルズ/パブリック・イメージ・リミテッド(PiL)のジョン・ライドンの自伝『ジョン・ライドン 新自伝 怒りはエナジー』(シンコーミュージック)は、600ページにわたる大作です。マルコム・マクラレンとの確執などのピストルズ回りからPiLの音楽創作にまつわる話、2000年代のリアリティ・ショー出演の経緯まで、とにかく細かくエピソードが書かれています。


日高央(以下、日高):これは本人の語り下ろしですよね。あの短気なジョン・ライドンが、自分でこんなに長い文章をタイピングしたとは思えない(笑)。小野島さんは、本人に会ったことはありますか?


小野島大(以下、小野島):一度だけありますよ。かなり昔なんですけど、宝島で遠藤ミチロウさんとジョン・ライドンの対談があって、その司会を担当したんです。


日高:覚えてます! あれ、小野島さんの仕事だったんですね。


小野島:そうそう。PiLで来日した時だったんだけれど、その時の印象は、すごく愛想がいいというか、腰の低いサービス精神豊かな人、という感じで。1対1の単独取材だったらまた違ったのかもしれないけど、わりとイメージを作っているところもあるのかな、と思った。毒舌も含めて、ジョン・ライドンを演じている、というか。


日高:なるほど。パンクというものを背負っている感じはありましたね。演者の立場から言うと、メディアに出る時は確かに、何を期待されているか、みたいなことは常に考えちゃう。それが、ジョンの偉いところでもあるし、ハードコアに行きすぎないところかなと。シド・ヴィシャスだったら絶対そんなことやらないだろうし、いい意味でストイックすぎないというか、ちゃんとユーモアがありますよね。


小野島:普通に目立ちたがりだし、写真を撮れば勝手に中心のほうに行くし(笑)。そういう人ですよね。自伝もめちゃくちゃ饒舌で、そういうサービス精神が出ていると思う。


日高:ハッキリ言って、8割方はいらないエピソードですもんね(笑)。


――延々と友だちの話が続いたり。


日高:そうそう。周りに“ジョン”が何人いるとか、どうでもいいから早くシドを出せや!って(笑)。結局、シドが出てくるまでに300ページくらいかかるけれど、どうでもいいエピソードも可愛げがあるし、やっぱり面白くて。


小野島:語り口がいいよね。翻訳された方(田村亜紀氏)がうまいのかもしれないけれど、スルスルっと読んでいける。


――日高さんは、ジョン・ライドン、あるいはPiLについてどんな思い入れがありますか。


日高:世代的なところもあるんですけど、パンクロックはラフィンノーズからなんですよね。スターリンはデビューして、もうスゴいことになっていて、ラフィンがリアルタイムなんですよ。中1くらいだったかな。


小野島:それはメジャーデビュー前?


日高:そうです。全国ツアーで千葉木更津の「ヤンズ」っていうライブハウスに来るぞ、ということで、みんなで近所のダイエーに行って、迷彩のシャツとか買って(笑)。思い切りパンクっぽいってイメージするものを1000円くらいで揃えて、いわゆる“ダイエースプレー”で髪を固めたりして。結局、ラフィンはキャンセルになっちゃって、SYSTEMATIC DEATHとGASを観たんですけどね。そこからパンクが始まって、後追いでピストルズとかクラッシュを聴いていった感じですね。


 その時、まずスピードが遅いなと思ったんです。今聴くと、ラフィンとかザ・ウィラードも遅いんですけどね。ただ、声がカッコいいし、ジャケットもカッコいいし、何よりルックスがよかった。ディグり甲斐があったし、リアルタイムじゃないけれどラッキーな世代ではありますよね。俺にとってジョン・ライドンのリアルタイムは『PiL LIVE IN TOKYO』(1985年)くらいからで、一番洗練されている時というか。で、PiLの音って、今でもすごいじゃないですか。


――確かに、特に初期アルバム3枚はすごいですよね。


日高:いま一緒にやっているドラムの高地(広明)は完全にAIR JAM世代で、当然、ラフィンもウィラードも知らないんです。それで、面白そうだと思ってPiLを聴かせてみたら、「これ、ヨガの曲ですか?」って(笑)。ジョン・ライドンはそういうことを言わせたくて、わざと「退屈だろ?」という曲を作る。その尖り具合がスゴいというか、日本のパンクスでそこまで突き詰めた人は本当に少ないと思います。


小野島:ミチロウさんはもしかしたら、ジョン・ライドンがPiLでやったことをソロでやりたかったのかしれない。


日高:そうですね。同時代だとソドムとか、ザ・ポップ・グループのようなことをやっていたり。ただ、当時は逆にソドムを先に聴いていたから、その二重構造が面白かったですね。日本のバンドを聴いて“かっけー!”と思って、ロンドンパンクの元ネタを探していくというか。そういう意味では、音楽オタクの元祖の世代でもあると思うんです。


・ピストルズで完全に人生が変わった(小野島)


――小野島さんは、ピストルズもリアルタイムで体験されていますね。


小野島:日高さんより10歳くらい上だから、完全にリアルタイムです。ピストルズを聴いて“遅いと思った”という話でしたけど、僕は逆に“なんてスゴいスピードなんだ”と思ったから。いま聴くとそんなことはないんだけど、もうグチャグチャだし速いし、カオスみたいな感覚で。あれで完全に人生が変わったなと。


日高:ザ・クラッシュは逆にちゃんとしていましたよね。


小野島:クラッシュは正直、ポップすぎるなと思っていて。音はスカスカだったけれど全然ポップだし、これでピストルズみたいな歌だったらもっとカッコいいのにな、と思っていた時期もありました。


日高:ああ、ミック・ジョーンズは結構スイートな曲を書きますもんね。


小野島:特にファーストとかは本当にスカスカでペラペラな音で、歌だけは妙にポップという感じ。最初は馴染めなかったという記憶はありますね。


日高:ザ・ダムドはどうでしたか? いま聴いても何しているかよくわからなくて、まさにカオスだと思うんですが。


小野島:ダムドはカッコいい。あれは(プロデューサーの)ニック・ロウが偉いと思う。


日高:あれ、よくまとめましたよね。たぶんメンバーには嫌われてますけど(笑)。プロデューサーって、なんであんなに嫌われるんだろう。


小野島:ああいうチンピラがバンドをやると、プロデューサーの役割ってよくわかっていないんじゃないですか。ブースの向こうのコントロールルームでエンジニアと相談しながら卓をいじったりいろいろやってても、若いミュージシャンにはよくわからない。たとえば、スペシャルズがエルヴィス・コステロにプロデュースされたときに、「あいつ、何もやってねえじゃん」って思ってたり(笑)。フリクションと坂本龍一の関係もいろいろあったみたいだし。プロデューサーって、本当は大変な作業をしているのにね。


 ピストルズに話を戻すと、以前サンレコ(サウンド&レコーディング・マガジン)で、ファーストは演奏されたものをクリス・トーマスが切り刻んで、パッチワークみたいにして作ったという話を読んだんですよ。実は、ピストルズはテクノだった(笑)。


日高:いま聴くと、すごい音像がいいですもんね。


小野島:そうなんですよ。でもただ聴いている分にはまったくわからなかった。めちゃくちゃグルーヴ感があってかっこいいハード・ロックに聞こえた。それが衝撃的で、もう完全に自分の音楽観が、そこでコロッと変わった感じがあって。


日高:メチャクチャ羨ましいです。


小野島:でも、それは世代ごとにみんな思ってるんですよ。僕もビートルズの衝撃を知っている人は羨ましいと思うし、多分、日高さんの下の世代からすると、「ラフィンの登場を知ってるなんて、マジすか!?」という感覚でしょ?


日高:確かに、名古屋なんかに行くと若いパンクスが多いので、よく言われますね。面白いのは、東京以外の街に行くと、いまだにピストルズが神格化されていて。THE STARBEMSのギターは元「毛皮のマリーズ」の越川和磨なんですけど、和歌山出身で、もうとっくに死んでいるシドになりたくてベースを始めた、と。いま34歳だから、シドは死んでるわ、ピストルズはないわ、という世代なんですけど。


小野島:シドなんかは完全に、純粋に結晶化したパンクのアイコンというか、実態があろうがなかろうが関係ない存在になっている。


日高:そうですね。逆に生きていると……例えば、スティーブ・ジョーンズとかポール・クックみたいに、正直、しょぼくれた印象になっちゃうのが普通ですよね。その意味で、ジョン・ライドンはしょぼくれないのがスゴい。イギリスではバラエティにもけっこう出ているし、露出が少なくて神格化されているわけでもなく。そこが本当に不思議で、何をやっても許されちゃうというのは、日本で言うと忌野清志郎さん的な立ち位置なのかな。ミチロウさんもちょっと違うし、清志郎さんもあそこまでエンタメじゃないか。


小野島:良くも悪くも、イメージがあまり変わらないですよね。PiLの末期くらいから、しばらく音楽を全然やっていない時期もあって。正直、作っている音楽もあまりおもしろいと思わなかったので、けっこうボロカスに言ったこともあるんですよ。でも、結局は憎めないというか、常に何をやっているのか気になる存在ではありますね。ピストルズの再結成だって、「つまらないに決まってる」と言いながらもわざわざ観に行って、やっぱりつまらなくて、「俺、ファン以外のなにものでもないな」と思った(笑)。


日高:ただ、再結成の仕方が面白かったですよね。


小野島:記者会見のときに、「我々は共通の目的を見出した。金だ」と言ったのは最高でしたね(笑)。当時って、再結成ビジネスというものに後ろめたいイメージがあったじゃないですか。みんな「どうせ金なんだろう?」と思いながら、誰も口に出さないというか。それをあえて言っちゃうところが、ジョン・ライドンなんだろうなと。


日高:しかも、たぶん嘘ではない。


小野島:新譜を出さないでツアーだけやるんだからね。新曲も作らないし、アレンジも変えないし(笑)。そりゃ金目的だろうなっていう。でもそれ以降、同じような感じで再結成してツアーばかりやってるバンドって一杯いるじゃないですか。でもそういう人たちは「金目当て」なんてことは言わないし、言われない。そういうのは全部ピストルスが引き受けてくれた(笑)。


日高:新譜を出したいなんて気持ち、これぽっちもないでしょうしね(笑)。ホント、面白いオジサンです。


・ジョン・ライドンがロバート・プラントみたいなヴォーカリストだったら…(小野島)


――ジョン・ライドンは1956年生まれで、今年で還暦ですね。


日高:意外と若いですよね。


小野島:まったく同い年なんですよ(日本流に言えばジョンが一学年上)。


日高:そうなんですね。ジョン・ライドンも予想以上にいろんな音楽を聴いてきたみたいですけど、共感する部分もありますか?


小野島:一概に共通体験としては語れないだろうけれど、僕がいきなり最初からパンクを聴いていたわけではないのと同様、彼も最初からパンクだったわけではない。それなりの経緯をたどって、こういうことをやりだしたんだろうな、というのは分かりますね。


――自伝を読むと、ジョン・ライドンはデヴィッド・ボウイやT・レックスをかなり高く評価していますね。


日高  そうですね。グラムロックは好きでしたね。


――ただ一方で、ニューヨークパンクに対しては辛辣で。


日高:マルコムのせいもあるのかもしれないですね。


小野島:ラモーンズなんかも完全に否定していて。あれはなんだったんでしょうね。


日高:マルコムのマブダチだからとか、それくらい単純な理由な気がします(笑)。


小野島:あ、ラモーンズにインタビューした時、「俺がパンクを作ったんだ」ということをわりと堂々と言っていたけど、ジョンはそういうことは言わないですね。それも気に入らないのかも。


日高:大勝軒の本家争いみたいな(笑)。


――それにしても、なぜここまでマルコムを嫌うのか。


小野島:本当にボロカスに書いていますからね。前の自伝(『STILL A PUNK』)ではそうでもなかったのに。


日高:そうですね。ピストルズの終わり方って、ツアーのビデオを観ていても辛いじゃないですか。もう悲しみしかなくて、もしかしたらジョンの中でのパンクロックって、あの時のままなのかな、というのはすごく思います。PiLは全然違うものになっているじゃないですか。俺は演者の立場だから、これがよく分かるんです。正直、「もうビークル(BEAT CRUSADERS)みたいなものは期待しないで」と思うんですよね。だけど、リスナーからすればいまだに“ビークルの日高央”という部分もあるだろうし。ジョンなんて、俺の何百倍、何千倍も言われるわけじゃないですか。「お前はジョン・ライドンじゃなくて、ジョニーロットンだろ!」って四六時中言われて、その憂さを全部マルコムのせいにしているんだとしたら、なるほどと思うんです。


小野島:なるほど。でも本を読むと、話の成り行きによってはピストルズを続けてもよかったというか、「続けたかった」という感じもするんですよね。でもマルコムが嫌いとか、他のメンバーがやる気がないとか、いろいろな事情が重なって結局やめざるを得なくなったという。


日高:それも演者目線で見ると、たぶん、ジョンはメンバーのことが好きなんですよね。特にシドのことは好きじゃないですか。ポール・クックとかスティーブ・ジョーンズに対しては分からないし、(初代ベースの)グレン・マトロックのことはボロクソに言ってますけど(笑)。ただ、やっぱりメンバーとマネージャーは全然別もので、純粋にバンドキッズとして、「ただただ、あいつらと一緒に音楽をやりたい」というのは、演者としてすごく分かる。バンドが終わっていくのもよく分かって、例えばビークルも売れすぎたんですよね。ビークルって、もともと嫌がらせじゃないですか。紙のお面で顔も見せずに、ライブでは卑猥なことを言って。でも、売れるとそれが褒められちゃう。女の人が“私もオマンコールしてます!”みたいなことを言っちゃったり(笑)。いや、それは怒ってほしくてやっているのに、という。それが通じなくなって、結局終わっちゃうんですけどね。これはメンバーが悪いとか、お客さんが悪いとか、そういうことじゃない。俺が同列に語るのもおこがましいですけど、読んでいてそういうことは思いましたね。バンドマンなら読んだほうがいいかもしれない。


――バンド活動にまつわる教訓も含んでいると。


日高:もちろん、ジョンほどひねくれる必要はないんですけど、スタッフやメンバーに対するモノの見方や考え方の極端な例として(笑)。ミスチルからズブの素人バンドまで、バンドマンなら誰でも楽しく読める気がします。


小野島:ピストルズが再結成したのは、お金というのもあるのかもしれないけど。観客が恋しくなったということもあるんですかね?


日高:そうですね。PiLがあまりうまくいってないというのも、あったのかもしれない。あと、ジョンってけっこう男気の人じゃないですか。だから、メンバーの誰かを助けよう、という思いもあったんじゃないか、と。スティーブ・ジョーンズなんかは要領が良いけれど、ポール・クックなんか確実にしょぼくれているから。あるいは、シドの遺族に対して何かしたいとか。


小野島:それはけっこうある気がする。ザ・フーの再結成だって、(ベーシストの)ジョン・エントウィッスルが生活に困窮して、彼を助けるためにやったみたいな話もあるし。ただ本を読んでいると、ジョンは再結成について斜に構えた感じでもなく、最高の瞬間を待っていたぜ、みたいな感じで書いていますけどね。


日高:バンドのスゴさって、本人はあとから実感するんでしょうね。俺にとってのビークルも、ただただ自分が作ったもので、キレイなものでも汚いものでもあるし、もうよく分からない。それがピストルズというレベルになると、世界中を巻き込んでのカオスになっちゃってるから。だから、ピストルズは意外と悪くなかったなと、年々しみじみ思ってるんじゃないないかなって。


小野島:武道館公演を観に行ったら、「なんだ、普通にうまいじゃん」って思うんですよ(笑)。我々でさえ、なんとなくゴチャゴチャのカオスな演奏を期待していたところがあったので、わりとちゃんとしていて。アレンジは昔のままなのに。


日高:よくできているんですよね、ピストルズって。別に難しいことはやっていないけれど、正直、ラモーンズよりちゃんとアレンジされているというか。アメリカのバンドに比べてすごくタイトに演奏していくというか、ガレージ感があまりないので、日本人の肌にも合いますよね。まあ、ジョンは人としてはガレージ感がハンパないですけど(笑)。


――アメリカに移住して30年だそうです。


日高:意外ですよね。アメリカのこと嫌いそうだけど、イギリスのほうが嫌いなのかな。


小野島:ロンドンで散々な目に遭った、みたいな話は聞きますね。あと、奥さんが新聞王の娘で、全然あくせくしないでいい、みたいな。10いくつ年上なんだけど、奥さん一筋なんですよ。この本を読んで思ったのは、“セックス・ドラッグ・ロックンロール”というけど、この人は女遊びに執着はなさそうだし、ドラッグもやっていたけれど耽溺性はないということだし……。


日高:ロックンロール一筋ですね。


小野島:そう、意外とストイックというか。シドもナンシー・スパンゲンが初めての女性で、死ぬまで一緒だったって言うし。


日高:ああ、ピストルズって相当純粋にバンドバンドしてたのかもしれないですね。パンクっぽい主義主張が置き去りにされて、現代の耳だけで聴いてカッコわるく言われちゃうこともあるのが皮肉な話で。ヘタしたら、音楽そのものに加えて、言いたいことがあるかないかのほうが重要視されるのがパンクの本来の良さだというのに。たぶん、小野島さんの世代でかなり議論されたところだと思うんですけど。例えば、メタルとパンクって、仲が悪かったじゃないですか。


小野島:ありましたよね、対立事項がね。でも、ピストルズはやっぱり、新しいハードロックとして聴いていた部分がありましたよ。レッド・ツェッペリンとかディープ・パープルを聴いていた子どもからすると、一番カッコよくてスカッとするハードロックで、ダラダラとしてギターソロはやらないけれど、ほんの数小節のスティーブ・ジョーンズのソロがカッコいい、とか。


日高:でも、面白いですよね。この間、ラジオでパワーポップについて話していたんですけど、みんながプログレをやっているときに、もう一度ビートルズっぽいことをやろうというのがパワーポップだったじゃないですか。その意味で、ジョン・ライドンってビートルズが好きなわけじゃないのに、割とパワーポップに発想が近いというか。みんなが長尺の曲を作って、スタジアムでライブをして、というなかで、もっとコンパクトなものを志向していて。もし、ジョン・ライドンがちゃんと歌えていたら歴史は変わったのかな、とも思うんですよ。この歌い方だったからよかったんだし、逆にちゃんと歌えていたら、パンクになっていなかったのかもと思うというか。


小野島:ジョン・ライドンがロバート・プラント(レッド・ツェッペリン)みたいなヴォーカリストだったら、ピストルズは3流のハード・ロックで終わったんでは?(笑)  でも、ボーカルスタイルがその人の音楽性を決めるという話は昔からよくしていて。例えば、小室哲哉さんなんかも、「小田和正みたいなボーカリストだったら、プロデューサーをやっていましたか?」と聞いたら、「絶対やっていないです」と言い切っていましたよ(笑)。


日高:なるほど、それは面白いですね。俺も本当は渋谷系みたいなオシャレなことをやりたかったんですけど、声がガサガサだからできなくて。それでラウドの方に進んだら、なんとなくそこにハマったんですよね。


小野島:(笑)田島貴男みたいなボーカリストだったら違ったと。


日高:そうですね(笑)。いずれにしても、ジョン・ライドンの魅力って、やっぱりまずは歌声なんですよね。本人が一番それを分かっていないし、たぶん認めたくない、恥ずかしいところだと思うんですけど。


小野島:ボーカリストとしてコンプレックスはあるのかね、この人は。


日高:100人いれば全員、あると思いますよ。レコーディングをしていればなれますけど、やっぱりラフとかで自分の歌だけが流されると、本当に死にたくなる(笑)。ちゃんとミックスされて、やっと客観的に聴けるというか。


・60~70年代の音楽と決定的に違うのはリズム(日高)


――確かに、この自伝にも「歌声に自負がある」という話は出てきませんでした。


小野島:でも、別にヘタだとは思わないし、声もいいですよね。こっちが慣れちゃったということもあるかもしれないけれど、全然コンプレックスを持つようなボーカルじゃないと思う。


日高:最近のPiLを聴く限り、歌がヘタなわけではないですよね。ただ、ある程度は狙ってやっていたと思います。


小野島:ピストルズの音作りって、ボーカルがスゴい際立つようにしているじゃないですか。これはおそらく、ラジオで流れることを前提にしているんですよね。60年代くらいのロックンロールのレコードはみんなそうだけど、AMラジオで聴いたときに歌がバーンと聴こえるようになっていて。


日高:オアシスなんかも随分参考にしているみたいで。


小野島:そういう意味では、ピストルズもポップスのレコードの伝統的なつくり方を踏襲している感じがあるし、やっぱり、際立たせるだけの魅力がジョン・ライドンのボーカルにはあったんでしょうね。


日高:そうですね。本人はそこに気づいてないかもしれないですけど。結果的に、それがハードコアを生んでいったわけですし。


小野島:たぶん、このボーカルスタイルが出てくることによって、いろいろなボーカルが救われたと思うんですよ。長い金髪を揺らめかせて、ハイトーンで歌う……みたいなロックボーカリストのステレオタイプのイメージを、ジョンが全部更新したというのはありますから。


日高:デカいですよね。ジョー・ストラマーなんて、ジョンがいなければ出てこなかったかもしれない。当時、新人バンドとしては老けちゃっていたし。声のコンプレックスをちゃんとシャウトすることで凌駕していく、というのがパンクロックの条件なのかもしれない。パンクの功罪の“功”はそこなんだなと。


小野島:ちなみに日高さんは、ピストルズのコピーをしたことがある?


日高:俺は中学校の謝恩会でやりました。先生たちへの嫌がらせだったんですけど、英語でよく分からなかったのか、めちゃくちゃ褒められたんですよね。「卒業生を送り出す最高の音楽じゃないか!」って(笑)。そこで逆に挫折しちゃって、そのあとすぐに「ラフィンやろうぜ」と。もともとやりたかったんですけど、その時は難しすぎたんです。


小野島:ラフィンのほうが難しい?


日高:ツービートが難しいと思いました。「ツッタン ツッタン」というのが。でも、ピストルズの「ジャン ジャン ジャン ジャン」なエイトビートならイケるって。当時はエイトビート、ツービート、フォービートみたいな、ビートの概念が一番おもしろく感じられた時代だったし、結局、音楽はリズムで変わっていくじゃないですか。そのビートの違いを最初に意識させてくれたのが、ピストルズだったんです。60~70年代の音楽と決定的に違うのはリズムだし、ジョンがレゲエを好きなのもそういうことなのかなと。パンクをやるなら、もっとリズムを気にしなければダメだとずっと思ってきたんです。


小野島:じゃあ、それがどんどん研ぎ澄ましていったのがPiLだったんですね。


日高:まさにそうだと思います。特にメロコアなんて、ただでさえ全部同じに聴こえがちだから、よりいろいろなリズムを知って吸収していかないと、バリエーションが作り出せないというか。小野島さんもたくさんインタビューをしていて、「うちはメロディーを大切にしているんです」みたいなバンド、いっぱいいると思うんですけど(笑)。


小野島:ありますね。


日高:メロディーを大切にするなんて、当たり前じゃないですか。俺はもっとリズムを意識しないと、日本のバンドは良くならないと思うんですよね。やっぱりジョンは常にリズムに自覚的で、そういう意味では、ラップやヒップホップの元祖と強引に言ってしまえなくもない立ち位置だったと思いますし、アフリカ・バンバータと組んだタイム・ゾーンなんて、本当にカッコよかったですし。もっとベタベタなヒップホップの人とやっても合うような気がします。いずれにしても、日本のバンドももっとリズムを頑張ってほしい。


小野島:リズムもそうだし、今回の本では「バンドに余計な物語は必要ない」みたいなメッセージもあるように思いました。


日高:そうですね。ピストルズで散々、いろんな物語がくっついちゃったから。「その物語は嘘で、これが本当のことなんだ」と言いたいがためにこの分厚さになったのかな、と思うとスゴいですね。ジョンはたぶん、『ザ・グレイト・ロックンロール・スウィンドル』のような映画は絶対に、もう一生見返さないでしょうし。


小野島:あれがDVDに全然ならないのは、やっぱりジョンがうんと言わないからかな。


――ちなみに小野島さんは、PiLのアルバムではどれが一番好きですか?


小野島:『The Flowers of Romance』(1981年)が最も完成されていて、あれがピークかな、という気がします。でもやっぱり、出がしらの新鮮さというと、ファースト(『First Issue』)がすごく印象深いですよ。


日高:アートワークもいいですしね。


小野島:うん、モード雑誌みたいで革新的だった。


――当時の日本のロックファンやメディアの受けとめ方は、どうでしたか。


小野島:戸惑いじゃないですかね。当時はニューウェーブもハッキリなかった時代だし、日本人だけじゃなくて、みんなそうだったと思います。イギリスでも「何をやりだしたんだ、コイツは」という反応があって。レゲエやダブに対する理解だって、当時はそんなになかった。ピストルズがそれまでのロックの常識を打ち壊して、いろんなバンドが出てきたように、PiLのファーストがあったからこそ出てきた表現も、たくさんあったはずなんですよ。「何をやってもいいんだな」と。


日高:そうですね。


小野島:要するに、別に売れるためにやっているわけじゃなくて、本当に純粋に自分のやりたいことを突き詰めたらこうなったわけじゃないですか。それがすごく伝わってくるし、それにみんな打たれて、いろんな表現が出てきた。


日高:スゴいですよね。世間的にはピストルズは1回しか革命を起こしていないように思われてますけど、ジョニーは2回起こしている。その2回めが、全然評価されていない気がしてます。これほどの革命のデカさはないですけど、俺もそのつもりで、いまビークルとは全然違うことをやったりしていて。同じことを繰り返したら面白くないじゃん、と。


小野島:でもやっぱり、一時代を作った人というのは、どのみち、その責任を取らなければいけないところがあって。


日高:ジョンはまさに、それをずっと背負っている感じはありますね。


小野島:モリッシーもよく「俺はもうスミスよりソロのほうが3倍くらい長くやっているんだ」と言うけれど、それでも、いつまで経っても「スミスの再結成は」と聞かれるんですよね(笑)。それもかわいそうだと思うけれど、引き受けざるをえないところもあるんでしょうね。


日高:バンドの終わり方にもよるでしょうしね。美しく終われば、また美しく始められるかもしれない。たぶん、ジョンもモリッシーも美しく終わっていないから、いつまで経ってもやりたくないんじゃないかなって演者目線で感じます。俺は一時代を築いたほどじゃないんで、このままビークルやんないで、怒られたいなと思ってますけど(笑)。


――さて、今回のお話を聞いて、ジョン・ライドンには音楽でもう一花咲かせてもらいたいという気持ちになりますね。


日高:そうですよね。このぶ厚さの歌詞を書いてほしいです(笑)。たぶん、世界中のミュージシャンが、タダで曲を書きますよ。どんなビッグネームでも書くでしょう。例えばトム・ヨークだって、グリーンデイだって、ランシドだってNOFXだって。クラプトンも曲を書いてきて、「いらねーよ」って言われたりね(笑)。


小野島:優秀なマネージャーがつけば、もっといろいろできそうなんだけど。


日高:そうですね。ジョンに今必要なのは、もしかしたら優秀なブレーンなのかもしれない。もう1回、ちゃんと音楽に向かわせてくれる人がいれば……。


小野島:今は悪い意味で小さく完結してしまっているところがある。要するに、ジョン・ライドンにとって気持ちのいいメンバーとやっているだけで、ピストルズや初期のPiLのように、摩擦がないんだよね。人としては摩擦のあることなんてやりたくないかもしれないけれど、客観的に見たら、そういうなかでこそ、彼の表現は面白かった。でも、それを求めるのは外野の無責任だとも思う。


日高:デヴィッド・ボウイが生きていて、叱ってくれたらなあ。デヴィッド・ボウイは、ちゃんと摩擦を生み出しながら、いい作品を残し続けて、生涯を終えたじゃないですか。ジョンにもあの感じで、音楽に向かってほしい。


小野島:「楽をするな」って。


日高:そうそう。「本を書いている暇があるんだったら、曲を書いてくれよ!」と(笑)。来日することがあったら、日本中からジョン・ライドン好きなバンドマンを集めて、そのままレコスタに連れて行きたいと本気で思うくらい。


小野島:いや、本もめちゃ面白かったからそっちはそっちでどんどん書いてもらって(笑)。ちなみに、ジョン・ライドンのトリビュート・アルバムって、これまでにありましたっけ?


日高:ピストルズはいっぱいありますけど、PiLのはないかもしれませんね。そこからはじめましょうか!


(取材=神谷弘一/構成=橋川良寛)