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D.Oが語る、ラッパーの生き様とショービズの裏側ーーリル・ウェインの“超問題作”をどう見るか?

2016年06月12日 11:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)2009 QD3 Entertainment

 アメリカ・ニューオーリンズを拠点とするキャッシュ・マネー・レコードの看板ラッパー、リル・ウェインの素顔とその舞台裏に迫るドキュメンタリー『リル・ウェイン ザ・カーター』が、6月2日にリリースされた。アメリカ国内だけで累計売上380万枚を売り上げ、第51回グラミー賞で最優秀ラップアルバム賞ほか4部門を受賞したスタジオアルバム『カーターIII』(2008年)の発売前後にスポットを当て、密着取材した本作は、無許可で楽曲を使用してスキャンダラスな映像に使われたとして、リル・ウェイン本人が訴訟を起こすも、制作者のクインシー・ジョーンズ3世が正規の手続きを踏んでいると反訴し、リル・ウェインに敗訴が下された“問題作”だ。サンダンス映画祭でプレミア上映され、ニューヨーク・タイムズやハフィントン・ポストといったメディアで高評価を得るも、生々しい描写のためファンからは賛否両論が巻き起こりそうな本作を、現役のラッパーはどう見たのか? リル・ウェインへのリスペクトを表明するD.Oに、忌憚のない意見を聞いた。


参考:漢&ダースレイダーが語る、日米ヒップホップ・ビジネスの違い 漢「N.W.A.の根本にあったのは、イージー・Eのストリートセンス」


■「リル・ウェインがどう戦っているか、ちゃんと見てほしい」


ーー当時ラッパーとして頂点を極めようとしていたリル・ウェインの“凄み”が垣間見ることができる一方、咳止めシロップ中毒者であるような描写や、仲間内の不和なども収められていて、いろんな意味で刺激の強い映像作品でした。


D.O:ショービズにこういう話は付き物だし、それを商売とすることに良いも悪いもないと思う。裏側が見たい人もいっぱいいるはずだしね。でも、ラッパーとして見たときにはやっぱり、この映画を作った監督やプロデューサーはエグいと思う。なんでかというと、こういう風に撮られたらキツいだろうなって映像が満載なんです。たとえば娘が出てきて、「パパと一緒にいるときが一番幸せ」って言ったあとに、スキャンダラスな映像が出てきたりさ。リル・ウェインが怒る気持ちもすごくわかるよ。幼馴染と仲違いするシーンもあるけれど、この映画を撮っているときに、いろんな角度からいろんな“空気”を入れられた挙句に、そいつもワケわかんなくなっちゃったんじゃない? 僕らの世界ではよくあることだけれど、アーティストがビッグになっていくと、それに乗じて金儲けをしようという輩がやってきて、もともとの仲間たちとやっているうちはうまくいっていたのに、それを壊すようなことをするんだ。ヒップホップとラップとショービズと、その裏側の“魔界”までが映されている映像で、リル・ウェインのことを深く知りたい人にとってはたまらない一作であることは間違いないけれど、あまり“ラブ”を感じられるものではない。


ーーただ、裏側を含めて見ても、リル・ウェインのアーティストとしての魅力や個性は感じられる映像だったと思います。頂点に立とうとする人間には、その分のプレッシャーもあるということも。


D.O:リル・ウェインも基本的には撮影に協力的だったし、本当にかっこいいアーティストだから、その隠しきれない魅力が映らざるを得なかったんでしょう。この人の生き様、筋の通し方ってものが滲み出ている。たぶん監督はもっとスキャンダラスなところを撮りたいんだけど、当然それだけじゃないからね、この人は。亡くなってしまった人のことを語るときは、ちゃんとR.I.P.を唱えてさ、リリックをいちいち紙にかかないことも含めて、ラッパーとしてのポテンシャルというか、ヴァイブスが溢れている。それを「リル・ウェインは薬物中毒の狂ったヤツだ」みたいに撮ろうとしているのが、僕は引っかかった。本人が「ここは使わないで」って言ってるところまで使っていて。そんな風に撮られたら相手を信用できないし、信用できないと成り立たないのがヒップホップなんですよ。これはラッパーとしての独特の見方かもしれないけれど。


ーーラッパーのひとりとしてリル・ウェインの側から見ると、痛みも感じる作品だったと。


D.O:このインタビューのお話をいただいたとき、僕のルーツであるクルーのBoo-Yaa T.R.I.B.E.のメンバーに相談したところ、リル・ウェインはブラッズ(ストリートギャングの一派)で仲間だから、ぜひ紹介してくれって言われたんですよ。俺たちもリル・ウェインを愛しているから、応援してやってくれって。ブラッズは世界中で全部繋がっていて、ヒップホップの本流として各地に広まっている。僕もそのストリートの住人だから、Boo-Yaa T.R.I.B.E.とキャッシュ・マネーが仲良くなければ、この話は成り立たないわけです。で、僕はリル・ウェインをすごくリスペクトしていて、こういう話をいただいたことは光栄なのですが、だからこそ監督やプロデューサーには文句を言いたいです。僕は以前、BOOT STREETって店をやっていて、世界中の音楽ドキュメンタリーとかMVのDVDを扱っていたので、こういう映像作品は詳しいんですよ。でも、オフィシャルで権利をちゃんと獲得していて、裁判にも勝っているかたちで、今回みたいな作品が出るのは珍しい。ただ、勘違いしてほしくないのは、発売元に文句を言っているわけではないんです。さっきも言ったように、こういう風にアーティストの裏側に迫る作品やスキャンダルもショウビズには付き物だし、それに対してアーティストがどうクールに振る舞うかも、見せどころだから。これを見て「リル・ウェインはジャンキーで危ないヤツなんだ」じゃなくて、ビジネスがデカくなる中で彼はどう戦っていたか、そこをちゃんと見てやってほしいという気持ちですね。


ーー映像を見ている限り、リル・ウェイン自身も決して制作側に非協力的な感じではなかったですよね。カメラに向かってサービスもしているし、ちゃんとスタンスやビジョンを伝えようとしている。ただ、ドキュメンタリーを制作する側から考えると、アーティストの良いところ以外も記録しようとするのも理解できます。アーティスト側と周囲の摩擦を捉えた映像としても、興味深いものではありました。


D.O:もちろん、制作側の意図も大事だし、僕も昔から映像に興味があって、映画を作らせてもらったこともあるから、それはわかります。ただ、それにしてももっと撮り方があるんじゃないのって思う。リル・ウェインがインタビュアーに怒るシーンとか、いかにもクレイジーな人みたいに映っちゃっているけれど、あれはあいつの質問がおかしいよ。リル・ウェインに対して、「ジャズの影響はありますか?」とか「あなたのポエトリーは……」って、的外れにもほどがある。ラッパーに対するリスペクトがない。僕らだってあんなインタビュー受けたら「うわー、俺にまったく興味ない奴きたー!」って思いますよ。ラッパーと歌詞の話をするなら“リリック”でしょ、そこに韻を踏んで作り上げるのが“ライム”でしょ。そんなの日本人の俺たちだって、Run-D.M.C.やアフリカ・バンバータから学んでよく知っているよ。英語もちゃんとわかる人間がわざわざリル・ウェインに取材に行って、なに聞いてるの?って感じ。リル・ウェインは別になにもおかしな態度は取っていないよ。


ーーたしかにあのインタビュアーは見ていてヒヤヒヤしました。


D.O:ドラッグの話もそうですよ。周りの人間は、リル・ウェインはドラッグ中毒だから施設に入った方が良い、なんて思っていない。彼は自分のライフをラップして生きて、結果を出しているんだから、立ち振る舞いも含めてアーティスティックでかっこいいと思っているよ。そんなにめちゃくちゃなジャンキーだったら、あんなに凄いことができるわけないじゃん。僕も似たような経験はあるから、彼の気持ちは超わかりますよ。そりゃあ大きな騒ぎを起こして周りに迷惑をかけたのなら、謝らなければいけないし、その責任は取らなければいけないけれど、彼はちゃんと自分を保っているし、この時は誰にも迷惑かけないでうまくやっているんだから、そこに変にスポットを当てる必要はないでしょう。でも、制作側がそういう風に見てるから、すぐにシロップの話に持っていこうとする。ただ、アーティストは良くも悪くも“振り切る”ことを生業としていて、そういう人間が生きている姿を真正面から捉えるのはすごく大変なことだから、ぶつかった面もあるとは思う。マイケル・ジャクソンの『THIS IS IT』だって、彼が亡くなった後だからこそ形になったところもあるだろうし。だから、観たひとがそういう部分も含めてこの人の魅力として、プラスに捉えられるのなら、この作品もありなんじゃないかな。リル・ウェインはこういうキャラクターなんだって世の中に知らせるには、いい機会にはなると思うし、ヒップホップは良いも悪いも自分で決めるものだから。


ーー刺激的な内容の作品ではありますが、表面的に映っているスキャンダラスな部分だけではなく、彼が本来持っているアーティストとしてのパワーや魅力にこそ、きちんと目を向けたいと思いました。


■「サウスから世界に通用するスタイルを築いた」


ーーリル・ウェイン自身についても聞かせてください。彼は劇中でも地元・ニューオーリンズについて語っていますね。


D.O:地元=フッドにラブを持って還元していくのが、本筋のヒップホップのスタイルで、世界中にそのシーンがあります。東海岸と西海岸は特に大きなシーンだけど、リル・ウェインはサウスーー南側の田舎町で、かつて黒人たちが奴隷制度に苦しんでいた土地で生まれ育ったんですね。それがいまや世界中の人間が群がって、お金を使って彼らをミリオネアにしているのだから、歴史的にも地理的にもとんでもないことを、ヒップホップで成し遂げたんです。南部からは以前も、アウトキャストとかが出てきているけれど、キャッシュ・マネー・レコードの一番最初の塊、ホットボーイズって名乗っていた連中が、間違いなくサウスのオリジナルですよ。ベイビーやマニー・フレッシュがビートを作って、ブラッズの一員になって、自分たちのシーンを固めて叩き上げてきた。そしてリル・ウェインを育てて、ハリウッドにも通用するどころか、世界中に通用するスタイルを築いた。Dr. ドレーでもジェイ・Zでもなく、ノトーリアス・B.I.G.でも2PACでもなく、サウスのパワーでやってきた。リル・ウェインは『カーターIII』で、ジェイ・Zをフィーチャリングで迎えるんですけれど、ビジネス的な臭いはぜんぜん無くて、ビギーとパックの次は、俺とお前だろう?って煽るんです。そういうところが超ヒップホップで、大好きな理由なんですよ。


ーーフッドをレペゼンする姿勢に、共感するところも多かったのでは。


D.O:2000年になるかならないかの頃、僕はちょうど雷家族を手伝い始めていて、そのときに南部のスタイルが新しいヒップホップの波としてきていたので、タイミング的にも受けた影響は大きかったですね。彼らはニューオーリンズって田舎にいながら、世界に通じる最先端のヒップホップのスタイルを持っているわけで、それがすげえなって。六本木や渋谷、新宿がおしゃれにやっているなか、僕のフッドの練馬は、牛や豚がいて畑もある田舎だったから、余計にね。


ーーすでに盛り上がっているシーンに対抗しようと考えたとき、どういう点に一番こだわりましたか。


D.O:日本だと、渋谷、新宿、六本木に日本のシーンが詰まっていて、それに対して自分たちのスタイルを対等に、もしくはそれ以上に見せようと考えたとき、どういう風に切り込んで、どんなパフォーマンスをするかは、すごく練りましたね。新宿や渋谷で生き残っている奴とは別の方法を編み出さなければいけなくて、なおかつフッドをレペゼンしながらやっていくというのは、本当に、簡単なことではないです。比べるのは恐れ多いけれど、リル・ウェインだって、西海岸や東海岸で確立されたスタイルに対して、サウスをレペゼンしながらどう戦っていくかはめちゃくちゃ考えたはず。だから、ものすごい共感できるんですよ。フッドを意識しながらサヴァイヴしていくためには、自分のスタイルやアートにいっそう磨きをかけなければいけないし、そこに離れた土地でやっていく意味がある。だから、俺のなかではわかるポイントがいっぱいあるんだよね、リル・ウェインに対しては。15年くらい前にTWIGYがとある学園祭のライブに連れて行ってくれたときに、ニューオリンズに留学していた女の子が手紙をくれて。その手紙には、向こうでヒップホップをやっている連中から「お前のこと知っているよ、俺らのこと意識してんだろ? 俺もお前のこと好きだよ」みたいなメッセージが書いてあったんです。そういうこともあって、勝手に近い存在だと思ってきたから。


ーーニューオーリンズと練馬の間にも、繋がりがあると。


D.O:知らないひとはみんなびっくりするけれど、ヒップホップにはいつもミラクルがたくさん起こっていて、本当に世界中で繋がっているから。だからこそ、僕もいま新宿を語り続けたとんでもない妖怪たちと合流して、一緒にやっているわけで。2016年のいまも、ヒップホップはでかくなり続けていて、その根本にはフッドへのラブがある。自分たちの根っことする部分を常に持ちながら、仲間がいて、家族がいて、その全部のライフをヒップホップにする。リル・ウェインはニューオリンズを語ったし、ビギーはブルックリンを、パックはオークランドを、N.W.A.はコンプトンを語っている。みんなフッドがあって、それを語るからこそ、リスペクトし合えるんですよ。だから僕は、いまも練馬を語らせてもらっていて。


ーー日本のヒップホップシーンも、最近はさらに盛り上がっている印象です。リル・ウェインがサウスからのし上がってきたように、国内産のヒップホップももっと世界中で聞かれるようになってほしいですね。


D.O:日本のシーンはもっとでかくしていきたいし、その役目と責任はあると思っています。ひとつひとつのことは小さいかもしれないけれど、確実に前に進んでいるし、僕らもアジアから世界に証明できるヒップホップをメイクしていこうと。それはちゃんと、動きで証明していくつもりです。(松田広宣)