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「東京のレコード屋」は20年でどう変わったか? 若杉実と片寄明人が語り合う

2016年06月10日 14:11  リアルサウンド

リアルサウンド

『東京レコ屋ヒストリー若杉実』

 2014年に刊行され、話題を呼んだ『渋谷系』の著者である若杉実氏が、3月31日に東京のレコードショップについての歴史を紹介する著書『東京レコ屋ヒストリー』を上梓した。同著は、1990年代に渋谷を中心として盛り上がりを見せていたレコードショップについて、当時の関係者への取材や様々な文献などを踏まえ、1930年代から現代までを全7章にわたって追いかけた労作だ。今回リアルサウンドでは、著者の若杉氏と片寄明人氏(GREAT3/Chocolat & Akito)による対談を行ない、同氏が改めてレコード屋の歴史と向かい合った理由や、レコード屋を取り巻く環境の変化、近年若年層に違った価値観で浸透しつつある“レコード文化”について、じっくり語り合ってもらった。(編集部)


・「90年代のレコード屋は極めてサロン的だった」(片寄)


――まずはこのテーマで執筆することになった経緯について教えてください。


若杉:20年くらい前に一度考えた企画だったんです。渋谷にレコード屋が沢山あった1995年前後に、店主のお話を聞いて一冊の本にしたいとは思っていて。でも、その時はできずに20年近くが経ち、自分が『渋谷系』という本を書き、次に何を書くかというときに、このテーマが違った形で再浮上したんです。


――当時に比べ、各段にレコード屋が少なくなっていた。


若杉:そうです。ただ、その一方で『レコード・ストア・デイ』のようなイベントが開催されたり、若い人たちは「アナログがかっこいい」と盛り上がっていたりするわけで。そのギャップをどう埋めるのか、もしくは客観的に分析するのかと考え、自分なりにひとまず歴史をできる範囲で辿ってみようと考えたんです。


片寄:最初に書店で『東京レコ屋ヒストリー』を見かけたとき、間違いなく自分が興味を持つ題材だと思い、実際に読んでみたら相当に面白くて。この本って、もちろんレコード屋をメインにはしているんですけど、そこにいる人間を主人公としたお話ですよね。自分にとってもリアルタイムで知っている人やお店が出てくるので、リアリティもありましたし。 たとえば、僕と木暮くんがロッテンハッツを組んでいたとき、渋谷のハイファイ・レコード・ストアで小暮くんと田島貴男くんがバイトしていて、店長のいない間は色んな高いレコードを掛け放題だったから、居心地が良くてつい通っていたんです(笑)。そのうちハイファイには僕のおススメ盤を特集するコーナーができたり、キャプションを自分で書いたりと、もはや店員のようなものでした(笑)。あと、この本のなかだと縁が深いのは『芽瑠璃(めるり)堂』ですね。大学を出てから1年間くらい、<ヴィヴィド・サウンド・コーポレーション>で働いていたことがあって、社長の長野兄弟(長野文夫氏、和夫氏)のことはよく知っています。本を見る限りお元気そうで良かった。


若杉:長野さんに取材をしたのは最後の方なのですが、話を聞いたことで、すべてひっくり返されたような感覚になったんです。業界自体が斜陽化にあることもあって、どの店主も暗い話ばかりで、実際に取材対象となった二軒の老舗が執筆中に閉店してしまった。ところが長野さんは「ネットを活用してバリバリやっていける」と仰っていて。実際にネットを活用してロングテール的な売り方で成功しているという結果も残していたので、本の着地点がこれで当初の予定から良い意味で変わりました。


――後半(第七章内「オンライン時代」)の部分ですね。


若杉:はい。でも一概にネットショップに流通させることが良いというものでもない。たとえば新宿の『オレンジストリート』さんのように「オンラインはやらない」と断言している店舗もその章ではあつかっています。店によってはオンラインの在庫を優先することで、店頭から商品が消えてしまい、直接店に訪れる人が減ってしまうこともあるみたいですから、僕自身はあくまで中立的に、ひとつの歴史として書いたつもりです。


片寄:店主へのインタビューも多いから、店舗側の目線で語られて考えさせられる部分もありますよね。万引きの話(第七章内「万引列伝」)をはじめ、個性的なお客さんの話がちりばめられています。僕もハイファイに出入りしているときはいろんな方を見かけて「大変だなあ」と思いました。


若杉:僕はお客として店に通うのは好きでも、働きたいとは思わなかった。たとえば、よく通っていた下北沢の『フラッシュ・ディスク・ランチ』の椿さん(店主)なんか、バイトへの教育が厳しかったですからね(苦笑)。それでもレコード屋のバイトって人気があったみたいなんですよ。募集するとすぐに応募が来たりして。


片寄:働いているのはミュージシャンが多かったのかもしれません。とくにハイファイは田島くんや木暮くん、関美彦くんに神田朋樹くんとか。買い付けでアメリカに行けるという部分も魅力だったみたいですし。ただ、いざ行ってみると、やっぱりお店の在庫が第一で、自分のものは、売り物にならないようなキズ盤しか買えなかったそうですが(笑)。


――やはりそういう場所がミュージシャンを育てたということなのでしょうか。


若杉:そうだと思います。サロンとまでは言えないかもしれないですけど。


片寄:いや、極めてサロン的だと思いますよ。例えば海外だと、シカゴにもそういうレコード屋がありましたね。ベテランのミュージシャンが店員を務めていて、皆がそこに通ったり、一つのコミュニティが生まれています。


――2016年現在、サロンとして機能しているレコードショップはどこだろうと考えてみたのですが、著書の後半で若杉さんが「実店舗、オンラインともにバランスよく運営されている」と評している『ココナッツディスク』の吉祥寺店がそうだといえるのかもしれません。定期的にインストアイベントを行っていたり、若手ミュージシャンのレコードを積極的に販売していることで、若い常連客の姿も多くみられます。


若杉:吉祥寺店は積極的にインディーズ系のアーティストを支援していますよね。ほかの支店はまた違う感じで、江古田や池袋にある支店はそれぞれにカラーがあります。著書内でも書きましたが、やはりレコードマニアはレコードを探すのではなく、レコード屋を探しているわけで(笑)。人と被ったところにはあまり行かず、自分だけの場所を探して歩くというか。


片寄:たしかに、できたばかりの店を見つけるとゾクゾクしますよね(笑)。そういうところに限って掘り出し物があったりして。ハワイで一度ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのファーストのモノラル盤を20ドルくらいで買っているんですが、これ、日本だと7、8万円くらいなんです。それが無造作に値段が付いていない状態で、カウンターに置かれていているのを見つけて。「20ドルだよ」と言われたのですぐに買って帰った記憶があります。


若杉:でも今はインターネットの影響で相場がすぐにわかるようになったし、プライスが均一化されましたよね。


片寄:心なしか品ぞろえも均一化されてきた気がします。だからこそレアなコレクションがまとめて放出されていると「誰かコレクターのかたがお亡くなりになったのかな…」なんて滅相も無いことを考えてしまったりもします。そんな自分も一昨年くらいにアルバム(GREAT3『愛の関係』)の制作へ集中しようと思い、資金を捻出するためにかなりのコレクションを売りましたよ。


若杉:すごいな。僕は溜め込む一方ですよ(笑)。


片寄:そもそも、僕も若杉さんもそうだと思うんですが、ここ数年で以前に比べてレコード店に足を運ばなくなった自覚があるんです。だから、この本を見て閉店したことを知った店もあって、少し自責の念に駆られるとともに切なくなりました。やはりインターネットでなんでも手に入る時代ですし、ついついお店で探すことをせずにe-bayやDiscogsを使ってしまう自分もいるんです。かつてはレコード屋の店員さんに「一番お店で見かけるミュージシャンだ」と言われたこともあったぐらいだったのに(笑)。


若杉:僕もですね。昔は毎日のように通っていたのに、頻度は大きく減ってしまいました。わがままであるのは分かっているんですが、それでも残っていてほしいという気持ちはあるんですよね。


片寄:ありますね。自分のレコード棚を見ても、お店で買ったものにはいろいろな思い入れがあるのに、ネットで買ったものは何らかの愛情の薄さを感じてしまう。でも、珍しいものはネットのほうが簡単に手に入るので、つい手が出てしまうんです。色々考えさせられました。本に記載されていた店舗でも、記憶から消えていたお店もあったりして何度も読んでて、アッ!ってなりました。祐天寺の『ワンウェイ・レコード』とか。


若杉:ワンウェイは少しだけですが取り上げさせてもらいましたね。


片寄:あそこは結構遅い時間までやっていたので、遊んだ帰りに祐天寺にクルマを停めて、ソウル系の盤を買って帰ったりしていました。あとは『ナイロン100%』。僕も子供でしたが何回かお茶をしたことがありました。他にも輸入音楽ビデオを観せる場所とか、そういった場所でサロン的に同じ音楽好きの方と出会って交流が始まったり、バンドを組んだり、一緒にライブへ行くこともあったんです。レコード屋も、当時の自分にとっては音楽の情報を得る場所であり、人と出会う場所だったことを思い出しました。


若杉:そうなんですよね。だからネットショップしか知らないような若い人が、音楽業界の仕事をしたいと思ったときどうするんだろうと逆に気になります。僕自身もこういった店舗が沢山あったからこそ、今のような職にありつけたと思うので。


・「90年代は“レコード屋バブル”ではなく“音楽バブル”だった」(若杉)


――若い方でも大型CDショップに通う人たちは一定数いるので、そこに憧れてというのはあるでしょうね。実際に僕自身もそうでしたから。本の中では、そんな外資系CDショップが乗り込んでくるタイミングやレコード文化の衰退など、各店舗の話以外にも業界全体を観測した言及も多いです。実際にカセットやレコードからCDへと移り変わったときのことを改めて聞かせてください。


片寄:いまのCDから配信へ変わっていく寂しさみたいなものは全然なくって、単純に、すごいいいメディアが出てきたなという印象でしたね。キズも気にしなくて良いし、ノイズがなくて凄いなって思いましたよ。でも、のちに「レコードであれだけ感動したものが、なんでCDで感動しないんだろう問題」みたいな自分の感覚もあって、最終的には「レコードのほうが好きだ」という結論に至り、自分はアナログ回帰してしまいましたが(笑)。若杉さんは悲壮感を味わいましたか?


若杉:いや、それをいったら僕はもっとないです(笑)。変わらずアナログで、CDは眼中になかった。 それより、執筆してて分かったんですが、SPからLPになったときの衝撃のほうが大きかったと思いますよ。それまでは尻切れトンボみたいに途中で終わってしまったクラシックが、LPになったおかげで、ほぼオリジナル通りに長く聴けるようになった。音質という次元じゃなく、未完成だったものがほぼ完全なかたちになったわけですから、それは大きな衝撃だったわけで。


片寄:それと同じようなことはCDでもありましたよ。僕にはデッドヘッズの親友がいたんですが、彼はグレイトフル・デッドのライブ盤がCDになって裏返す手間で途切れることなく「通して聴けるようになった!」と大興奮していたのを思い出しました。


若杉:でも、面白いですよね。当時はCDが登場して「レコードはもうダメ」という風潮が世間一般にはあったにもかかわらず、宇田川町にレコード屋がたくさんオープンした。それはどういうことなんだろうと考えたんですが、要するに“レコード屋バブル”ではなく“音楽バブル”だったんだなと。いろいろな音楽を貪欲に聴きたいという人がどんどん現れて、マニアックなリスナーだった人が次々とミュージシャンやDJになった。その盛り上がりが市場を活性化させ、CDもレコードも売れるという90年代初頭の動きに繋がったんだと思います。


片寄:たしかに、どのメディアでどういう聴き方をするかというより、沢山聴くことが楽しかったという意味では、音楽に対する好奇心が何より大切で第一でしたね。その後は、ステレオセットにある程度のお金を掛けると、いままで持っていたレコードが何倍も楽しめるということに気が付いて、リスニング環境にも多少お金を投資するようになりましたが、90年代はオーディオなんて買うお金があったら、その分レコード買ってました。ここ数年で若い子がアナログを収集するようになったのは、データと違って物質としての魅力を感じるからなのかな。カセット人気もそのひとつでしょうし。


――あと、若い人が個人商店のようなレコードショップに求めるものは“キュレーター”としての価値じゃないかという考えもあります。メジャータイトルを入荷数の大小に応じて並べるのではなく、信頼できる店主が自身の感覚で買い付けたものを陳列してくれていると、大型ショップでは発見できないものに気付けたりしますから。


片寄:それは良いことですよね。僕もレコード屋さんに教えてもらった音楽はたくさんあります。ビーチ・ボーイズのベスト盤をレジに持っていくと「これはいつでも買える。でも、この『Sunflower』という70年代のアルバムは、今を逃すとなくなっちゃう」と諭されて、言われるがまま買って帰ったりとか(笑)。そうやっておススメされた音楽に多大なる影響を受けましたし、自分にとっても大きい体験でしたね。いまはインターネットでいくらでも試聴ができるけど、とにかく玉石混交だから、実際に人に会っておススメしてもらうというのは重要なのかもしれません。


――偶然性というか、現場に行くことでしか見つけられないものを発掘できるというのは、情報過多な現在だからこそ、丁度いいと感じるのかもしれません。


片寄:今の話を聞いて、90年代は『ラフ・トレード』によく通っていたことも思い出しました。僕はあそこでトータスを教えてもらったんじゃないかな。西新宿の駅バス通りから原宿に移転したあともたびたび通っていたんです。レコード屋は、ネットがない時代にはなかなか知ることができなかった音楽の情報を教えてくれて、それをその場で聴くことができる貴重な場所でしたね。


――本の中で取り上げていたように、地方レコード店や都内から少し離れた郊外のレコード店開拓もまた、新たなレコードとの出会いに繋がっていたんですよね。


若杉:そうです。特にちょっとびっくりしたのは浅草周辺で。個人経営のレコード屋さんが創業当時のままほとんど残っているんですよ。


片寄:知らなかった。レコード屋に通っていた頃も行ったことがないかもしれない。一番有名なお店ってどこなんですか?


若杉:『宮田レコード』さんや『ヨーロー堂』さんでしょうね。後者にはイベントスペースもあって、街の人が集う場所にもなっている。お客さんは土地柄もあって、基本的に高齢の方が多く、カセットやレコードがメインで、CDもうまく再生できなかったり、ましてやダウンロードなんてという方ばかりです。だからこそ、行ってみるとカルチャーショックを受けるようなお店ばかりで新鮮ですよ。


――カセットに関しては、中目黒に専門店『Waltz』がオープンするなど、盛り上がりをみせていますね。


片寄:僕も『Waltz』には行きました。カセットは昔からすごい好きで、僕にはなぜかレコードよりも当時の匂いや感覚が蘇るんです。 “タイムマシン感”がすごくて異常に盛り上がります(笑)。先日久しぶりに実家から当時のテープをいっぱい持ってきたんですけど。それを聴いたとき、レンジは狭いけど、音がよく感じたんですよね。音楽の旨味みたいなものが確実にありました。自分の原体験が、そこにあるからなのかもしれないですけど。もしかしたら今の若い子は、20年後くらいにMP3を聴いてそう思うのかもしれない(笑)。こういう貴重な店がオープンしている事は嬉しいものの、やっぱり閉店してしまうお店も少なくないんでしょうね。若杉さん、レコード屋さんはなくなってしまうんですかね?


若杉:正直、傾向としてはなくなる方向へ向かっていますが、残る店は残るというところでしょうね。


――先ほど挙げた、ネット通販を活用している『芽瑠璃堂』などがその残るであろう店舗にあたるのでしょうか。


若杉:実店舗はもうなくなっているから、すでに“残った店”とは言えないんですけど、早い段階でオンラインの可能性に気づかれたという点では成功している店ですよね。ただ、さっきも話しましたが、オンラインをやっていればいいかという問題でもない。あえてやらないという『オレンジストリート』もこの先営業はつづくだろうし、残っていてほしい。いや、どこだろうと、取材した店はみんなそうであってほしいと思ってますよ。


――近年は『レコード・ストア・デイ』などの盛り上がりもあるわけですが、若杉さんはそれらの出来事について、著書内ではやや引いた立ち位置で記していますよね。


若杉:なんというか、大切なものって変に特別なものになってほしくないんですよね。例えば空気って、当たり前のように存在しますけど、人間にとってすごく大切なものじゃないですか。これが将来すごく特別なものになって、量り売りで綺麗な空気が売られるようになったら嫌ですよね(笑)。もちろん、一方で現実にはそうもいかなくなった。当たり前のようにレコード屋が存在してほしかったけど。ただ、執筆する際、自分なりの決まり事みたいなのがあって。「もっと頑張ってください」とエールを送って鼓舞するようなものにしたくなかったし、自然に淘汰されてしまうものであれば、その現実も素直に受け入れる。そういう温度感で接しています。


――でも、その温度感だからこそ、読み手としてはすんなり入ってくるのではないかと考えられます。途中の「文化人とレコード」という雑学的な内容も含め、楽しく読みつつ、音楽について考える契機になってくれたらいいなと感じました。


若杉:その通りですね。“ヒストリー”と謳ってはいても、資料性だけに比重を置いた歴史書にするつもりはなかった。おなじく、“レコ屋”と謳ってはいても、レコード屋の先にあるもの、事実よりも真実というか、そういう大切な本質を見つけるつもりで取り組みましたから。行間からも何かを感じ取っていただければうれしいです。


(中村拓海)