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Sexy Zone起用は必然? ジャニーズとバレーボールの深い関わり

2016年06月07日 07:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)タナカケンイチ

 リオ五輪もいよいよ間近に迫り、各競技での代表決定など関連するニュースも日増しに増えてきた。


 そうしたなか、つい数日前まで行われていたバレーボールの世界最終予選。五輪出場権を賭けたこの戦い、男子は残念な結果に終わったが、女子は見事4大会連続の出場権を獲得した。女子には前回のロンドン五輪での銅メダルに続いて、リオ五輪でも期待がかかる。


 バレーボールは、数あるスポーツのなかでも指折りの人気種目だと言ってもいいだろう。今回の世界最終予選もTBSテレビ系列とフジテレビ系列で連日生中継され、女子が五輪出場を決めたイタリア戦は20%以上を獲得するなど、視聴率も安定して好調だった。


 そして、そうした試合の会場で、ジャニーズグループが応援する姿もおなじみになった。今回も、スペシャルサポーターであるSexy Zoneの5人が一般の観客とともに盛んに声援を送っていた。


 このようなジャニーズとバレーボールの関わりは、1990年代にさかのぼる。


 特に現在フジテレビが独占中継する「バレーボールワールドカップ」との関わりは深く、1995年のV6以降、嵐、NEWS、Hey! Say! JUMP、NYCboysがサポーターを務めるとともに、大会のイメージソングでデビューしてきた。


 Sexy Zoneも同じく、2011年の「バレーボールワールドカップ」のイメージソング「Sexy Zone」でデビューした。その後もカップリング曲を含めてバレーボールのイメージソングを歌うことが少なくない。最新シングル曲「勝利の日まで」も、今回の世界最終予選のイメージソングだった。


 またバレーボールの大きな大会が開催される直前には、レギュラーやスペシャルでの応援番組が放送されるのも通例だ。今回も、『ガンバレー部 road to Rio』、『つなげリオへ! 噂のアタックNo.1』(いずれもフジテレビ系)などが放送され、Sexy Zoneのメンバーたちも出演していた。


 例えば、『ガンバレー部 road to Rio』では、中島健人が人気急上昇中の男子代表のエース・石川祐希のルーツを探るロケ取材で、落ち着いたなかにも彼らしい個性の出たリポーター、インタビュアーぶりを見せていた。


 また『つなげリオへ! 噂のアタックNo.1』は、選手の素顔やバレーボールの魅力を伝えるバラエティ色を交えた応援番組だった。


 この番組のSexy Zoneは、チュートリアル・徳井義実らとのフリートークや「SexyまとめZone」のコーナーなどで活躍した。中島や菊池風磨は、他のメンバーに話を振るだけでなく、話題を面白く広げるスキルも見せてくれた。松島聡とマリウス葉は、それぞれ天然なところや初々しいところを発揮しながら、コンビで場をなごませていた。佐藤勝利は柔らかい物腰のなかにもいつもの真面目さで、適切なコメントやフォローによって要所を締めていた。


 こうして見ると、改めてSexy Zoneというグループのバランスの妙を感じる。番組のジャンルこそ違うが、夕方のニュース番組『ニュース シブ5時』(NHK)で時事用語などを学ぶコーナー「ニュースがわかるようになる検定」に起用される理由も、そのあたりの年齢、役割、キャラクター各面でのバランスの良さにあるのではなかろうか。


 それにしてもなぜ、これほどまでジャニーズとバレーボールの関係は深いのか? 


 古い話にもなるが、元々バレーボールは、テレビと結びつきながら発展してきた競技だ。


 1964年開催の東京五輪では、女子バレーボールが金メダルを獲得し、「東洋の魔女」と呼ばれた。決勝戦の視聴率66.8%は、スポーツ中継の最高記録としていまも破られていない。その後女子バレー人気は、1960年代末のドラマ『サインはV』(TBS系)や、今回の応援番組タイトルの元ネタでもあるアニメ『アタックNo.1』(フジテレビ系)の人気で不動のものになっていく。


 また男子バレーボールが存在感を得るきっかけは1972年のミュンヘン五輪だった。その本番前から、テレビ番組を通じて男子バレーのプロモーションが行われたのである。いまでこそ当たり前だが、当時としては前代未聞、斬新な試みだった。


 その番組は『ミュンヘンへの道』というタイトルだった。アニメとドキュメンタリーを組み合わせて、個々の選手にまつわるエピソードをアニメで描いたり、当時日本男子が編み出した「一人時間差」など新しい攻撃を実演つきで詳しく解説したりする内容だったと記憶する。


 それまで男子は女子に比べて注目度も低かった。だが、この番組などが起爆剤となってアイドル的人気を博する選手も生まれ、試合にも大勢の若い女性が詰めかける現象が起きた。


 しかもこの番組の放送開始が五輪開催年の春から(毎週番組の最後に「ミュンヘンまであと○日」というカウントダウンのテロップが出た)で、その放送終了直後に始まった五輪本番で男子初の金メダルを獲得する劇的な展開となったため、男子バレー人気は過熱した。


 このように、バレーボールとテレビは切っても切り離せない関係にあった。加えて、バレーボールは、日本が敗戦後世界で対等に戦えることをいち早く示したチームスポーツでもあった。つまり、テレビが高度経済成長によってもたらされた物質的豊かさの象徴であったとすれば、バレーボールは五輪という場での国際社会復帰の象徴であった。この二つは、それぞれのかたちで戦後復興を象徴していたのである。


 それは、1960年代に野球という同じチームスポーツから始まったジャニーズの歴史を連想させるところがある。ご存知の通り、そこに集まった少年たちから元祖グループである「ジャニーズ」が生まれ、ジャニーズはエンターテインメントへの道を進み始めた。つまり、原点はチームスポーツにある。そしてジャニー喜多川が少年野球チーム結成に至った胸中にも、戦後復興への思いがあったとされる。


 だから、バレーボールをサポートする立場でジャニーズが関わることにはそれなりの必然性があると私は思っている。ジャニーズとバレーボールは、戦後の日本の歩みのなかでどこか似たポジションにある。テレビの画面を通じてアイドル的存在が生まれるところなども。そのことは、ジャニーズとバレーボール双方の歴史が物語っている。


 そして2020年に開催予定の二度目の東京五輪。先ごろ亡くなった盟友とも言える演出家・蜷川幸雄への追悼コメントからも、ジャニー喜多川の五輪への強い思いがうかがえる。Sexy Zoneは、彼が当初から世界の舞台を意識してメンバーを選び、結成したグループでもある。4年後の東京五輪を彷彿とさせる楽曲「2020 Come on to Tokyo」も発表している彼らにとって、現在のバレーボールとの関わりは、2020年へのプロセスのひとつなのかもしれない。(太田省一)