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「お前は川で拾ってきた」は昭和のしつけあるある?

2016年06月06日 14:32  おたくま経済新聞

おたくま経済新聞

「お前は川で拾ってきた」は昭和のしつけあるある?

北海道で小学生が「しつけ」として山に置き去りにされ行方不明となり、6日後に無事発見されたニュース。


山に置き去りは流石にしつけとしてやり過ぎでしかありませんが、でも無事に発見され男の子は両親との関係をうまく修復しつつあるようす。毎日新聞の報道によると、「辛い思いをさせてごめんな」と謝罪した父に対し男の子は「お父さんは優しいから許すよ」と答えたと伝えられています。なんだかんだと元は仲の良い親子のようですね。


【元の記事はこちら】


■昭和のしつけあるある?「お前は川で拾ってきた」


さて、今事件では事件内容はもちろん改めて「子供のしつけ」も注目されています。
当編集部では、事件をただただ見守る中で、自分達の子供の頃(全員昭和です)のしつけについてこんな話題が出ていました。


「よっぽどヤンチャしすぎた時に“お前は川で拾ってきた”と言われたのがこたえた」


あんまりにも言うことを聞かないと、昔はこうした冗談を言ってお灸を据えられたのです。


言われた側は小さければ小さいほど信じて号泣。あまりにショックで数日は大人しくしていた。なんて編集部員も。
部内だけでも3人ほど経験者がおり、どうやら「昭和のしつけあるある」のようす。拾われた場所だけ「橋の下」「箱に入って川から流れてきた」と少しずつ違っていました。


このしつけも今で言う「精神的虐待」の一つかもしれませんが、言われた口の筆者の場合は、父親が若い頃からハゲちらかしていたので、言われた瞬間ややガッツポーズ。「お父さんみたいにハゲないってことだね!」なんて口がすべり、固い拳固をくらいました。理不尽……。


他にも、夢見る夢子な気質の少女時代だった部員の場合は、毎晩寝る前に窓から星を見上げて「本当のお父さんお母さんはいずこ」「もしかしたら実は超お金持ちの子供なのかも」なんて違う方面に期待してお祈りしていたなんて話も。


■意外と経験者が多い「プチ置き去り」


他にもしつけと言えば、山の中に置き去りにされた経験こそありませんが、外出時にわがままをすると親がすたすた先を歩きだし、だだをこねて一歩も動かない筆者を離れたところで身を隠し覗いていたという経験は多々あります。デパートや街中での「プチ置き去り」ですね。


山と街。場所こそ違うだけで意外にこれは経験者が多く、ネットでも「デパートで親が隠れてた」「街中で~」なんて声が。これは昭和に限らず割と今でも行われているようです。


■言われると半泣きになる「家から出て行きなさい」


宿題をしなかったり中々言うことを聞かない時に言われた「(家から)出て行きなさーい!!」。
追い出されると切なくなるんですよね。夜だったりするとギャン泣きです。ネットで調べてみたところ、これも今でも割と経験者はいるようです。


ちなみに筆者の場合ですが、数回されるとなれてしまい、ある時宿題せずに遊んでいたことで怒られ「出て行きなさーい!」。素直に「ごめんなさい」して戻る気になれず家が見えるところに隠れてどうなるか見ていたことがありました。


出されたのは夕方でしたが、隠れる内徐々に日が暮れ、あたりは暗くなり。勿論親は探し始めます。素直に出て行けば良いのだけれど、追い出されたことが頭にきて見つからないよう見つからないよう逃げ隠れ。


すると近所の人が集まってきて捜索に加わり……。その大事ぶりに今度は子供心に恥ずかしくなり、出たくても出られない心境に。最終的にすぐ上の兄に隠れているところをつかまり、帰るきっかけを得ることができました。今思えばどうしようもない悪ガキでしかありません。当時ご迷惑をおかけした皆様、その節は本当に申し訳ありませんでした。ただただ反省です。


■「しつけ」と「虐待」の境界線


しつけと虐待。親が「しつけ」と思っていても見る人によれば「虐待」と取られることもあり、また親の認識があまいために「しつけ」と思い込んだ「虐待」をしていることもあります。今回の北海道の行方不明は恐らく後者にあたるでしょう。


一昔前のしつけは全てオープンに行われていました。プチ置き去りも見渡せばすぐ親がバレバレに隠れていたので、近くに親がいるなと分かるレベル。


しかし最近では近隣住民との関係が薄くなったり、周囲への迷惑を考えて中々オープンかつ豪快に叱ったりしつけたりすることができません。
そのため家族内だけでしつけをすることが増え、結果的に今回の北海道に限らずしつけが行きすぎ「虐待」と言われてしまうケースも。


しつけと虐待を区別するためにこんな言葉があるそうです。


「人に隠れてするのは虐待、人に見られても平気なのはしつけ」


日々の子育て、懸命になる内自分が今どちらをしているのか分からなくなった時。ちょっと踏みとどまりこの言葉を思い出してみると今の自分に気づくことができるかもしれません。


(文:HideI)