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映画は東京をどのように描いてきたか? 速水健朗が語る、東京と映画の不幸な関係

2016年06月05日 10:31  リアルサウンド

リアルサウンド

速水健朗氏

 ライター、ラジオのパーソナリティー、テレビのコメンテーターなど多くの分野で活躍、リアルサウンド映画部サイトオープン時からの寄稿者の一人でもある速水健朗氏が、この春に2冊の本を上梓した。一つは単行本『東京β: 更新され続ける都市の物語』(筑摩書房)。映画やテレビドラマや小説やマンガといったフィクション作品において、これまで東京がどのように描かれてきたかを検証しながら、スリリングかつ、時にアクロバティックな視点で都市論を展開していく一冊だ。もう一つは、新書『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』(朝日新書)。『東京β』が自由自在に過去と現在を行き来する「東京論」だとすると、こちらは東京の現在に焦点を絞ったその「実践編」と言うべき趣を持った一冊。いずれもいわゆる「映画本」ではないが(特に『東京そこに住む?』にはその要素はまったくない)、東京に新たな視点を投げかけている点において、映画好きやドラマ好きにとっても、非常に刺激的な本になっている。速水氏とは現在『NAVI CARS』というクルマ雑誌で対談の連載をしているのだが、今回はインタビュアーという立場(最後の方は対談みたいになってしまったけれど)から、新刊2冊についての話を訊いた。(宇野維正)


参考:是枝裕和、『海よりもまだ深く』インタビュー 「そもそも映画監督になりたかったわけじゃない」


■「『東京β』は、日本のフィクションの作り手たちが、いかに東京に悪意を向けてきたのかということの羅列になっている」


――今年4月に『東京β: 更新され続ける都市の物語』、5月に『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』と、立て続けに東京にまつわる著書を刊行した速水さんに、今日はリアルサウンド映画部ならではの角度で話を訊いていきたいんですけど。


速水健朗(以下、速水):たまたまどっちも東京にまつわる本なんですけど、この2冊はあまり関係がないと言えば関係がないんですよ。


――でも、併せて読むと、今の東京に関して速水さんの抱えている問題意識がすごく立体的に見えてきてとてもおもしろかったです。


速水:『東京β』は2009年頃に始めた長期連載をまとめたもので、『東京どこに住む?』は、近年の関心事を一気に書き下ろしたもの。タイムスパンがまったく異なるとはいえ、結果的に視点が重なっている部分は多いですかね。


――『東京β』は、映画をはじめ、テレビドラマ、小説、マンガといったフィクション作品の中で、これまで東京がどのように描かれてきたのかについて論じた本ですが、そこで近代における東京の変化の過程を辿っていったりするのではなく、速水さんが興味を持っている地域やテーマに寄り添った作品がチョイスされています。


速水:東京を舞台にした作品は膨大にあるので、網羅をするのは土台無理な話なんですけど、その中でちゃんと東京を描いている作品、「これは東京の映画ですよ」「これは東京のドラマですよ」と言い切れるものって、実は結構少ないなと思っていて。


――あぁ、そうかもしれませんね。


速水:例えば『ローマの休日』でも『ティファニーで朝食を』でもいいですけど、外国映画には特定の大都市を魅力的に描いてきたという歴史があって、ウディ・アレンのなんかも「自分にニューヨークを撮らせたら、誰よりもいい場所を知っているよ」という「どうや!」みたいなところがあるじゃないですか。「ラストシーンはここ!」みたいな。東京で、そういう映画の撮り方を継続的にしてきた監督というのは、ほぼいないと思うんですよ。で、なぜかというと、おそらくウディ・アレンのようにニューヨークが好きで好きでしょうがないみたいな映画作家が、東京にはいないからだと思うんですね。


――近年でこそアレンは海外でも映画を撮るようになりましたが、これまで「ニューヨークの外に出た途端に気分が悪くなる」とか「ニューヨークを夢の国のように撮りたいという強い願望があった」とかの有名な発言があります。


速水:そういう意味では、どちらかというとこの『東京β』は、これまで日本のフィクションの作り手たちが、いかに東京に悪意を向けてきたのかということの羅列になっているかもしれません。映画だと、特に60年代以降の「東京を描いている作品」の多くは、批判的に東京を捉えている作品ばかりで。もう、『Always 三丁目の夕日』以外はほとんどみんな東京を憎んでいるんじゃないか、というくらい(笑)。もちろん川本三郎が書いた『銀幕の東京』だとか『ミステリと東京』だとかは、自分が最も影響を受けていると言ってもいいくらい大好きな本なんですけど、そこに書いてある東京って昭和30年代くらいまでの東京で、つまりこの辺までの東京だけが、みんなが愛せていた東京なんですよね。


――『東京β』では第1章、本の導入部分で、1962年の川島雄三監督『しとやかな獣』を取り上げています。


速水:『しとやかな獣』は当時の最先端だった晴海の高層住宅から始まるんですけど、急速にアメリカ化、都市化していく生活環境への批判、ダメになっていく日本人のとしての家族が描かれる。同じく東京の湾岸地域を描いた作品だと、80年代の森田芳光監督『家族ゲーム』にしてもかつてのよき共同体から切り離された郊外の家族の苦悩がモチーフ。00年代の黒沢清監督『叫』になると、開発に失敗した場所としての湾岸がテーマ。とにかく、日本映画においては、東京湾の湾岸地域って、失敗した場所という物語しか描かれてない。


――その3本を並べて語る人は、速水さん以外なかなかいない(笑)。


速水:そういうところに僕の物書きとしての手癖が出てると思います。よく言えば、接続のアクロバティックさ。いや、これはむしろ重要な自分に課しているテーマでもあるので、声を大にして言いますけど、軽薄なんです。一部の映画好きの人や、映画評論家的な視点の映画が苦手で、むしろ語るべき映画史の正史からアブれたものの方がおもしろく思える。例えば、『踊る大捜査線』シリーズを大まじめに分析したりするのが僕の仕事だと思っています。それこそ以前、『団地団』という団地をテーマにした共著本で川島雄三と「デジモン」を並列に評価した本を出したときは、キネマ旬報社から出した本にもかかわらず、キネ旬本誌で自社広告を打ってもらえなかった(笑)。いまだに老舗にその手の矜持があるっていうのはむしろ素晴らしいことですけど。


――(笑)。


速水:作家性みたいなものを自分で主張させてもらうなら、傍流のものをたくさん観て、読んでいるというのが僕の強みです。例えば、加山雄三の『若大将』シリーズは、基本全部観てます。例えば『東京β』では、ガメラが東京に上陸してあらゆるインフラを破壊してまわるコースが、『南太平洋の若大将』でハワイから来た前田美波里演じる女の子を、東京ガイドに連れて行く観光コースと同じということを書いてます。これは、自分の世代では誰も気づかないことだろうし、まあふつうはどうでもいいことだろうなって(笑)


■「コミュニティを肯定するのは、僕の中の正義感みたいなものが許さなかった」


――そうやって東京に関する新たなポイント・オブ・ビューを次々に提示していく、『東京β』はそういう本になっていますけど、一方、今とても話題になっている『東京どこに住む?』の方は、より明確に東京に関する固定観念や既成概念みたいなものをひっくり返してやろうという意思が感じられる本で。


速水:さほど話題ではないですけど、実は書店の店頭では売れてるんですよ。これは、東京が「東西」に断絶した街であるという見立てで、東こそ新しいという内容です。おかげで東京の東側の書店はかなりプッシュしてくれていて、100部単位で注文が入ったり、発売4日目で大増刷したりと、これまでになく売れている(笑)。


――東京の東側に住んでいる人にとっては、自己肯定をしてくれる本なんですね(笑)。


速水:まさに。でも、敵も多くつくってますよ。特に同業者には、中央線、東急線など西側に住んでいる人の方が多いですから。でも、実際には東側というか、湾岸地域も含めた、今新しく開発が進んでいる東京の中心部よりちょっと東側について書いたんですけどね。この本の結論を一言で言うと、職住近接というか、人はできるだけ他の人の近くに住んでいた方が、生産性が高まったりアイデアが生まれたりして、効果や効用が高いということです。人はなぜ都市に住むべきなのかと言うことを、いろいろな取材や経済学者、都市の専門家に聞いて書いてます。でも、「コミュニティ」という言葉でそれをくくっては書きたくなかった。結論としては、「新しいつながり」の話でいいのでは? という側面もあるんですけど、僕の性格上、それはいやだったのですごくひねくれてみせてはいるんですけど。


――(笑)。


速水:震災の後に、よく人と人の繋がりが大切みたいなことが言われていたけれど、そういうコミュニティって一番怖いものでもあるじゃないですか。僕らは、監視社会みたいな、昔の日本の村社会みたいなものが嫌でしょうがなかったから都市型の社会を選んだのに、今になって、シレっと人と人の繋がりとか、コミュニティを肯定するのは、僕の中の正義感みたいなものが許さなかったんです。都市って、本来はどんどん人が入ってくる場所じゃないですか。新しくその場所で何かをやりたい人たちがどんどん入ってこられる、開かれた場所であるというのが都市であるはずなのに、日本ではその都市の意味が逆転していて、みんな開発が嫌いで、そこに最初からいる人たちの既得権益の方が大事だ、みたいなことになっている。


――日本映画においても、デベロッパー(開発業者)といえば悪役の典型ですからね。60年代くらいから、ずっとそれが続いている。


速水:任侠映画の時代からずっとそうですよ。新興勢力のヤクザに古くからいる地元のヤクザが追い出されて、それでも最後に一矢報いて仁義を通すという。その新興勢力のバックには大体ゼネコンとか、レジャー産業とか、建築関係。そういう意味で、日本映画はずっと同じ物語を語り続けている。


――言われてみると、本当にそうですよね。


速水:それとはまったく逆に、アメリカ映画では西部のフロンティアを描いた西部劇が映画における一つの神話的モチーフとなっていますが、近年は『アバター』に代表されるように、“開拓された側”の原住民からの視点も不可欠になっていて、より複雑化してきている。


――もう一つ、『東京β』を読んでいて思ったのは、やはり東京は行政的に、本当にロケがしにくい街であり続けてきたんだなってことで。だから、かつての湾岸地域のように人があまりいない場所に撮影隊が追いやられてしまう。


速水:今の政権は東京を観光都市として世界に広めようとしていますけど、だったらまずは、映画で東京の魅力を発信すべきですよね。観光と映画というのは、本来密接に繋がっているものなのに。ただ、これは行政だけの問題じゃなくて、日本人の公共性の問題もあると思うんです。


――公共性?


速水:例えばローマとかパリとかニューヨークっていうのは、どれだけ街が発展しても、住民の中に街の風景を変えてはいけないという公共性が根付いている。石づくりの町の風景を乱すものに対して、公共性の面から反対するんですね。一方で、東京の人は公共のためにはまったく協力しない(笑)。関東大震災や戦争の空爆によって、民間の力で街自体の風景は変わっていったけど、いざ都市計画とかになると、「俺の土地は譲れないから広い道をつくるな」ということになるし、公共性のために街並みを整えるとか、建物の外観を他に合わせるとか、そういうことをしないんです。


――自分が生まれ育った東京の西側は特に酷いですね。杉並区民とか練馬区民とか、「絶対国には土地は売らん」って感じで、もう何十年も環状線の計画が進んでない。そのせいで、中央自動車道に乗るのに、終点の高井戸の入口からは入れないみたいなムチャクチャなことになってる(笑)。


速水:保育所つくろうとして、住民が大反対するっていうニュースも大体杉並区(笑)。日本人って、長いものに巻かれやすくて、自立心のない民族だというイメージがあるんだけど、そういう面では異様に独立精神や自立心が強い。


――確かに。そこは不思議ですね。


速水:あと、みんなが考える都市の美しさみたいなものが、日本人の中で全然共有されていない気もします。だから、リドリー・スコットが『ブラック・レイン』で日本に来て大阪の街を撮ったら、みんな「すげえ! カッコいい!」ってなって。ああいう事例を見ると、僕たちの街が悪いんじゃなくて、撮り方が悪いんじゃないの?って。


――アメリカ映画は最初に街の遠景から始まるケースがとても多い。そこで、ああ、これはニューヨークの話なんだ、ロサンゼルスの話なんだ、サンフランシスコの話なんだ、シカゴの話なんだ、シアトルの話なんだってことが一発でわかるのと同時に、街が映画にとって重要なキャラクターになっている。しかも、そこでの視線は多くの場合、肯定的なんですね。罪を憎んで人を憎まずじゃないけれど、人間の醜さや邪悪さを描いたとしても、街そのものはイノセントであると示されている気がするんです。


速水:アメリカが舞台の作品だけじゃなくて、『ハリーポッター』のような作品ですら、あんなに中世っぽい魔法の世界の作品なのに、ロンドンの高層ビルとかが普通に画面に入ってきて、それをよしとしていますよね。『シャーロック』のオープニングを見ていても、ロンドンがいかに開発されているハイテクな街かっていうのがよくわかります。


――だから日本はね、まず森ビルがどんどん撮影許可を出すべきなんですよ(笑)。六本木ヒルズって、もうできてから10年以上経つけど、まともに映画の舞台になったことがないじゃないですか。


速水:森ビルに限らず、東京スカイツリーもですけど、撮影に使うとなると使用料を取ったりするんですよね。


――お金をとる以前に許可しないんじゃないですか? それに、撮影のために通行禁止とかになったら、きっとみんな怒り出すでしょ? それだけ日本人は日本映画に対して信用の蓄積がないんですよ。街の風景を肯定的に、カッコよく撮ってきた歴史がないから。そういう悪循環でここまできた感じがする。


速水:でも、やっぱり自分たちがビルを建てて、それを野に晒しているんだったら、それをどう使われようが文句を言うのは筋違いですよね。僕らが本を書いた時に、それがどう批判されようが、批判されたくなかったら世に出すなよって話じゃないですか。建物も、本来はそういうものだと思うんですよ。ただ、日本人には新しい建物=都市開発=悪みたいな気持ちが根付いてますからね。そこに信用関係が生まれない理由もわからないではない。


――今の東京オリンピックを巡る騒ぎを見ていてもそうですよね。ただ、自分も東京の街を歩いていて撮影のために通行止めに合ったら「チッ!」って舌打ちするタイプだし、今から東京オリンピックをなんとか返上できないかと思っているくらいなんですけど(笑)。速水さんだって、本音では豊洲のタワーマンションになんて住みたくないでしょ?


速水:何言ってるんですか。住めるものなら住みたいですよ(笑)。(宇野維正)