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JUONが描く、ギターサウンドの未来形「EDMフェスとロックフェス両方に出られる存在になりたい」

2016年06月03日 16:11  リアルサウンド

リアルサウンド

JUON(撮影=竹内洋平)

 FUZZY CONTROLのギター&ボーカル、JUONがソロ活動を本格的に開始し、このたび1stアルバム『CHANGE THE GAME』をリリースした。伸びやかな歌声とポップなメロディ、トレードマークでもあるギターサウンドは健在ながら、FUZZY CONTROL時代のストレートなロックサウンドからは一転、スクリレックスやゼッドらEDMアーティストにも通じるような、強靭なビートとエレクトロを大々的に導入した多幸感あふれるダンス・ミュージックを、アルバム全編にわたって展開している。


 幼少の頃から始めたギターを「武器」に、未来を切り開いてきたJUON。DREAMS COME TRUEや稲葉浩志のサポートを務めた経験を経て、スタジアム公演にも耐えうるサウンドを追求してきた彼に、これまでのキャリアを振り返りつつ本作への思いを語ってもらった。(黒田隆憲)


・何事も続けていくことが大事


ーーご両親がミュージシャンで、幼少の頃から音楽に囲まれた環境にあったんですよね。


JU0N:はい。家の中で60年代、70年代のロックがずっと流れていて。しかもジャンルが幅広かったんですよ。ビートルズやローリング・ストーンズはもちろん、カーペンターズやデヴィッド・ボウイ、T・レックス、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、ジミ・ヘンドリックス、サンタナ……。かと思えば、エルヴィス・プレスリーやブレンダ・リー、ジョー・コッカー、フランク・シナトラのような、いわゆるポピュラー音楽もよく聴いていましたね。


ーーその中で、JUONさんが特に好きだったのは?


JUON:1つに絞るのはすごく難しいんですけど、やっぱりレッド・ツェッペリンかなって思っています。小学校5年生でギターを始めて、6年生の頃にはバンドを組んでいたんですけど、そのときにディープ・パープルやツェッペリンをコピーしてて。


ーーすごい小学生ですね(笑)。他のメンバーもみんな同級生?


JUON:そうです。僕が学校にギターを持って行って、アンプで鳴らしたりして遊んでたら、周りでギターを始める奴とか増えてきて。それで勝手に「ギター部」みたいなのを設立しました。学校には認定してもらえなかったんですけどね(笑)。部員は誰も洋楽を聞いたことなかったんですけど、例えばディープ・パープルの「Black Night」を僕が弾いてみせて、「ほら、これCMで聴いたことあるでしょ? 今度コピーしない?」みたいな感じで。


ーーその頃からリーダーシップを発揮し、周りに影響を与えていたのですね。


JUON:うーん、音楽やギターに関してはそうかもしれないですけど、クラスの中心人物っていう感じではなかったです。髪の毛長かったので、女の子にからかわれたりしてましたし(笑)。


ーー自分で曲を作ろうと思ったのは?


JUON:小6のときですね。その頃になると、アドリブでギターフレーズも考えられるようになっていて、「もしかしたらオリジナル曲、できるかも」って思ったんですよね。父も母も、家の中で普通に即興で曲を作ったりしていましたし。最初に2曲作りました。そのうちの一つは、「Beautiful Dream World」っていうタイトルだったかな(笑)。でも、そのあとしばらくは作らなくなってしまいました。


ーー本格的に作るようになったのは?


JUON: 15歳ぐらいの頃です。ちょうどフー・ファイターズやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、リンプ・ビズキット、レッド・ホット・チリ・ペッパーズなどが全盛の頃で、最初のうちは彼らの音楽に対して抵抗がありました。「なんだよ、ギターソロないのかよ~!」って(笑)。それが、聴いているうちにだんだん好きになっていくんです。特にレッチリが大好きでしたね。リンキン・パークのような、緻密な音作りもカッコイイんですけど、レッチリの音楽って、ミュージシャンの身一つで鳴らしているというか。曲が思いついたらすぐにスタジオに入って、そのままセッションで完成させてしまうような、そんな生バンドとしてのエネルギーを、強く感じるところがたまらなかったですね。


ーー誰かと一緒に何かを作り上げていくことが好きだったんですかね。


JUON:そうですね。割と早いうちから一人暮らしも始めていたので、それで友達作りに励んでいたのかもしれないです(笑)。寂しがり屋なんですよ僕は。それは今も変わってないかもしれない。「寂しがりパワー」を軸にして、みんなと一緒に音を出すことで、自分の気持ちを解放できたんじゃないかなって。自分自身の原動力はそこにありますね。


ーー「歌を歌う」ということに関しては?


JUON:最初は全く自信がなかったんです。歌うこと自体は好きだったんですけど、最初に人前で歌った時はもうドキドキでした。それが3年、4年くらい歌い続けてると、ときどき自分の歌が、聴いている人に「刺さっている」って感じる瞬間があるんですよ。その感動がハンパなくて。今はもう、いつも歌いたくてウズウズしてますね。何事も続けていくことが大事なんだなって思います。


・音楽ってもっと広いもの


ーーFUZZY CONTROLとしては、プロデューサーに亀田誠治さんや織田哲郎さんを迎えていましたが、ソロ活動につながるものとして得たものは大きかった?


JUON:大きかったですね。お2人には、曲作りに対しての考え方を教えてもらいました。自分の型にハマってしまって、自分の庭だけでプレイをしてしまい、固定観念に縛られたようなやり方では、そのうちオーディエンスの存在を忘れてしまい、どんどんマニアックになってしまいがちなんです。正直、そういう音楽の方がカッコイイと思っていた時期もありましたしね。でも、音楽ってもっと広いものだし、そこをちゃんと広げてあげれば、すごい景色が広がっているんだよっていうことを、亀田さんにも織田さんにも教えてもらいました。


ーーなるほど。


JUON:人はつい「変わること」を恐れて、新しい扉を開けて進んで行くことをためらってしまうんですよね。たとえば音楽でも、自分が今まで築き上げてきた範疇で勝負することは出来ても、「自分が全く知らない場所に出かけてみよう!」っていうふうには、一人ではなかなかなれない。そんなときに亀田さんが、「大丈夫、君が探しているモノは絶対にあるよ、一緒に探しに行こう」って言ってくださって。初めてお会いした時に亀田さんが、「いろいろあると思うけど、まず俺のこと信じて」って言ってくださったのを鮮明に覚えています。


ーー最初は戸惑いがあったのですね。


JUON:そうなんです。「こんなに自分をさらけ出してしまってホントにいいのかな」「こんなにポップな曲調で大丈夫かな」って。それまでの自分は、なるべく本心を隠して、わざと汚して「カッコイイだろ?」っていうやり方だったので。そのヒネくれた部分を素直に戻していく作業は、かなりパワーが必要でした。そこで悩んだり、迷ったりしたこともあったんですけど、亀田さんが最初に言ってくださった言葉を思い出して、それで前に進んでいく日々でしたね。


ーー亀田さんとの作業で、何か思い出に残っていることはありますか?


JUON:「COOKIE IN A JAR」(『SUPER FAMILY CONTROL』収録)という曲は、2人でアコギを抱えて、それこそ膝を付き合わせるようにして、意見を出し合いながらほとんど共作みたいな形で曲を作っていきました。「亀田さん、こんなのどう?」「お、いいんじゃない? でも、ここはもうちょっとイケるでしょ」みたいな感じで。あんな作業は初めてでした。


ーー自分一人では開けなかった、新たな引き出しも開いてもらえそうですよね。


JUON:そうなんです。自分の感覚がどんどん変わっていくのがわかりました。「伝わればいいかな」くらいに思ってた気持ちが、「伝えたい!」っていう意識にどんどん変わっていきましたね。本当に素晴らしい経験をさせてもらったと思っています。


ーー織田哲郎さんからはどんなアドバイスをもらいましたか?


JUON:主にボーカル録音のディレクションについて、ホントにいろんなことを教えてもらいました。たとえば滑舌。これ僕の癖で、たとえば「かならず」っていうフレーズを、「きゃならず」って歌ってしまっていたんですね。それを、ちゃんとフラットに「かならず」って歌えるまで直されました。……これってトップシークレット級のメイキングですよ?(笑)


ーーありがとうございます(笑)。


JUON:そういう、ちょっとした補正によって、歌詞全体の聴こえ方や、ひいては楽曲の魅力そのものに影響を及ぼすんですよ。我ながら、聴いてて「おおおー!すげえ!」って思いましたね。自分のクセを治していくのは結構時間かかったんですけど、その頃はまだ二十歳くらいだったので、自分自身が目に見えて成長していくのが楽しくて仕方なかったです。スポンジボブみたいな感じ。


ーー(笑)。なんでも吸収できたんですね。


JUON:はい。吸収していくとともに、ボーカリストとしての自覚も強く持てるようになっていきました。亀田さんと織田さんには、曲のリライトも何度も指示されたんですけど、今振り返ってみても、あのとき頑張って直してよかったなあって思いますね。「まだ行けるはずだよ?」って言ってくださったのは、僕の実力を信じてこそですもんね。それに応えられたことも嬉しかったし。それに、「もっと良くなるはずだから、もう一度書いてきて」じゃなくて、「こんな曲ダメだよ、もう一度書いてきて」だったら、心折れてたかもしれない(笑)。きっと、言葉を選んでくださったんですよね。ありがたかったなと思います。


ーーそのあとDREAMS COME TRUEや稲葉浩志のサポートメンバーに抜擢されるわけですが、いわゆるスタジアム規模、ドーム規模のステージに立ったことで、見える景色も変わってきたのではないですか?


JUON:もう、全てが変わりました。「自分の見たい景色は、これなんだ」って思いましたね。もちろん、ライブハウスの良さも知っているし、そこでの景色も大好きなんですけど、自分はスタジアムの景色を、ファジコンで見たいんだなって。昔のビートルズじゃないですけど、お客さんの声援で自分たちの演奏がかき消されてしまうような……(笑)。そんなステージに立ちたいですね。そして、そういう場所にふさわしい、スケールのでかい音楽をやりたいって思うようになりました。


・ロックとダンスミュージックの架け橋のような存在になれたら


ーーそして今回、『CHANGE THE GAME』ソロ活動を本格的に始めたわけですが、エレクトロを導入しようと思ったのはどんなキッカケだったのでしょうか?


JUON:思い起こせば、エレクトロへの興味はピンク・フロイドを好きになった時からあったんですよね。あのバンドから全てが始まり、アヴィーチーにまで繋がっていると思います。それを自分のサウンドに取り入れようと思ったのは、やはりEDMに出会ったからです。去年の夏だったと思うのですが、ラジオを聴いてたらビルボードのトップ40を流していて。アヴィーチーとゼッドとスクリレックスがかかったんですよ。もう衝撃で。流れてきた瞬間に「次、自分がやる音楽はこれだ!」って思いました。自分が子供の頃からずっと苦楽を共にしてきた、まさに相棒であるエレキギターと、ダンスミュージックを合わせることによって、何か新しいサウンドを見い出せるんじゃないかって。そのヒントはEDMにあるって確信しました。しかも彼らのことをよくよく調べてみたら、みんな一度はバンドをやっていて、それからDJになっていくんですよね。そんなこと知らなかったからまたびっくりしました(笑)。「そこもリンクするのか!」って。実際、ゼッドとか聞くと「バンドっぽいなあ」ってすごく思います。


ーーソロになったことで、曲の作り方は変わりましたか?


JUON:まずは家でアコギから作るという点はバンド時代と変わっていないです。生音とエレクトロを混ぜるというのがコンセプトだったので。ただ、作っている時に頭の中でイメージしているのは、ダンスフロアでみんなが踊り明かしている風景なんですよ。そこはバンドの時とは違いますよね。「HAVE A GOOD TIME」もそうですが、それに、シンプルなフレーズをひたすらリフレインするっていうのは、ダンスミュージックならではの作り方だと思います。


ーーアコギで作る、という手段は変わらないけど、ダンスミュージックならではの手法は積極的に取り入れているわけですね。


JUON:シンセでフレーズを先に考えて、それをループさせながら歌メロを考えた曲もありました。僕、未だに60分のカセットテープを使っているんですよ。それをテレコで録音しっぱなしの状態にして、適当にギターを弾きまくる。それをあとから聴き直して、「この部分、OK」っていうところだけ抽出して、さらにまた60分テープをまわして録音して...っていうことを繰り返しながら、だんだん曲になっていくっていう。Pro Toolsでオーディオをコピペしたり、エディットしたりしているのと同じ感覚ですね。


ーーPro Toolsでもできることを、なぜわざわざカセットテープで?


JUON:カセットテープだと、自宅でもできるし公園でもできるんですよ。よく公園でアコギを弾きながら曲作りをしてるんですけど、そうするとピクニックしている家族とかが喜んでくれたりして(笑)。「あ、今日の曲はウケてたぞ」とか、「この曲は全然反応なかった」とか、そういうのもわかるじゃないですか。


ーー公園でプレゼンしてたんですね(笑)。


JUON:確かにそうですね(笑)。あと、曲のアイデアって突然沸いてきたりすることが多いんですよ。そんなときにコンピューターを起動させたり、Pro Toolsを立ち上げたりするのがもどかしくなるときがある。その間に忘れちゃうこともあるじゃないですか(笑)。パッと浮かんだらすぐパッと録れる機材って言ったら、やっぱりカセットテープとテレコっていうことになるんですよね。


ーー歌詞の内容も、バンド時代とはだいぶ違いますね。


JUON:そうですね。自分自身の寂しがり屋な部分だとか、バンドの時はカッコつけて見せてこなかったことを、そのまま言うことが出来るようになりました。


ーーパーソナルな部分をそのまま出せるのも、ソロの良さですよね。


JUON:そう思います。例えば「READY TO GO」は、これからソロでやっていくことへの決意を歌っています。みんなと一緒に音楽で踊り明かしたい、最高な空気を感じたい。「それまで待ってて!」っていう気持ちで作りましたね。


ーー逆に「BREAK MY SKY」は、これから新しい道へ進んでいくことへの不安や、焦燥感みたいなものを率直な気持ちで歌っているように感じました。


JUON:それもあるのかもしれないですが、いまの自分の状況というよりは、10代の頃に感じていた疎外感とか、辛い気持ちとかを歌っていて。その暗闇には答えはないんだ、このギターでその暗闇を切り裂き、明るい世界へ向かっていくんだっていう、そういう歌詞なんです。本当、楽しいことも辛いことも、ギターと一緒に乗り越えてきたので、そのギターについて歌った曲が欲しかった。


ーーJUONさんにとってギターは「武器」でもあり、コミュニケーションのためのツールでもあるわけですね。


JUON:そうですね。いろんな人たちと知り合えて、今、自分がここにいるのはギターがあったからだなって思います。


ーーJUONさんは、音楽で人になにをもたらしたいですか?


JUON:ストレスフリーになってほしいですね。僕の音楽によって、色んな悩み事もぶっ飛び、どうしようもないくらい笑顔になれるような、「明日も頑張ろう!」って思えるポジティブな空間が作れたらいいなって思っています。ただ、日頃悩みがあるからこそ、ライブでの開放感が際立つこともあると思うんですよ。大変な毎日があるからこそ、一瞬の輝きもあるのかなって。


ーーああ、なるほど。


JUON:それからこれは、ちょっとおこがましいかもしれないですけど、ロックを好きな人たちと、ダンスミュージックが好きな人たちの架け橋のような存在に自分がなれたら嬉しいですね。お互いのファンがリスペクトし合えるような、その窓口になれたらいいなって思います。そのためには僕自身が、EDMフェスとロックフェス、両方に出られる存在にならないとですね!(笑)(取材・文=黒田隆憲)