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『少女椿』はどこまで原作を再現できたか? 意欲的なキャスティングと生々しい描写を検証

2016年06月01日 10:21  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)2016『少女椿』フィルム・パートナーズ

 丸尾末広の同名漫画を原作にして、ようやく実現された実写映画というわけだ。監督のTORICOは本作の映画化に何年もの時間を費やしたというのだから、その力の入り用は半端なものでは無いだろう。「映像化不可能と言われた」という煽り文句を前にしても、昨今の漫画原作の映画化ブームとは、まるっきり作られた意味合いが違っている。この『少女椿』の実写化は、原作をどこまで実写映像で再現することができるかという挑戦そのものなのである。


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 そういった点で、まず目を引くのがキャスティングである。主人公に選ばれた中村里砂は、言うまでもなく中村雅俊と五十嵐淳子の娘であり、優秀な俳優家系の血を引いているにも関わらず、これまで一切の演技経験が無い。人気ファッションモデルの多くは、少女漫画原作の映画などで、客層を意識して配役されることも珍しくない。だが彼女は、テレビ番組で自身の表情のなさを反省するほど、演技とはかけ離れた位置に自ら置いていたのだ。


 そんな彼女をあえてキャスティングした意図は、前述した通り原作の作画に近づけるために必要な、主人公みどりの強力な眼の力を持つ女優が彼女以外にいなかったからに他ならないだろう。終始仏頂面でありながらも、母親譲りの眼の力で、原作のみどりの姿にどことなく似せてきたのである。たしかに、演技未経験というだけあって台詞にはまだ危なっかしさは残るが、おそらく彼女が苦手としている表情の演技に関しては、とくに違和感を感じることはなかった。


 他のキャスティングもなかなか興味深い。原作では中年であったワンダー正光の役にはジャニーズらしくないジャニーズとしておなじみの風間俊介を配し、深水元基とともにその演技力の高さで、演技経験の少ない周りのキャストをサポートする役割を果たす。その周りのキャストといえば森野美咲を筆頭に、作家の中谷彰宏やお笑い芸人の鳥居みゆきといったヴィジュアルを意識した配役に加え、鳥肌実やマメ山田といった極めて個性の強いところを充ててきた。中でも、カナブンを演じるロックバンドSuGのメンバーである武瑠は、華奢な出で立ちから放たれる中性的なムードが、この役になかなか相応しく思える。


 孤児になった主人公・みどりが、ある日山高帽を被ったサーカス団の団長に拾われる。個性豊かなサーカス団の中で下働きをしながら女優になることを志す彼女は、ある日サーカス団に入団してきた西洋奇術の使い手であるワンダー正光に見初められ、彼の助手を務めることに。それまで他の団員からぞんざいに扱われてきた彼女は、優しく接してくれるワンダー正光に心を寄せるようになるが、やがて彼は自身の持つ能力によって暴走してしまうのである。


 92年に中編アニメ映画として製作された、絵津久秋監督の『地下幻燈劇画 少女椿』は、タイトルの通りの劇画調の作画で、かなりキワモノな描写も躊躇なく描き出していた。そのせいもあってか、国内でソフト化されることはなく、現在では何故かフランスから輸入しないと観ることができないのである。もちろんのこと、そんな生々しい描写が実写でも再現されている。ワンダー正光が観客を奇術によって狂乱に陥れる様子は、静止できないほどに強烈である。とはいえ、他の描写に関しては、いくらかセーブしている印象だ。


 ワンダー正光の十八番芸である、瓶の中に体を入れるという奇術を見せる場面や、みどりが巨大化したり小さくなったりする場面は、古典的な映像トリックで表現している。山高帽が空中を浮遊して歩いている場面はなかなか面白く、印象的な場面であった。一方で、一部の奇抜な表現はアニメーションを併用しているという方法は、あまり功を奏しているとは思えないのである。みどりの首が突然伸びる場面は、技術的に難しかったのだろうか。普段からすらっと長い中村里砂の首が、『学校の怪談2』の岸田今日子のようにぐんぐん伸びたらどれほど面白い画面になったことだろうか。


 作品全体の時代背景が、昭和10年代の戦前を描いていた原作から、現代なのか過去なのか不明なものに変更されている。それによって、ネオンライトが輝く街の造形や、それと対照的な自然の描写がマッチして、無時代感を演出しているのは魅力的だ。また、アニメ版では退色したような色味で描かれていた全体のテイストを、あえてビビッドな総天然色で見せつけてくるのも面白い。空が青々と輝いているだけで、とてつもなく残酷で哀しさを帯びている。猥雑なサーカス団の室内の光景は、このくっきりとしたコントラストのおかげで印象的に映え、どことなく実相寺昭雄や鈴木清順のワールドを思い起こしてしまうのである。


 また、原作やアニメ版では「見世物小屋」として描かれていた舞台設定も、今回の映画では「サーカス団」として脚色されている。現代では「見世物小屋」は倫理的な問題にぶつかってしまうのだろうか。それでも、奇抜な描写の数々の中にも、きちんと一本筋の通った物語が用意されているあたりは、トッド・ブラウニングの『怪物團』をはじめとしたグラン・ギニョル映画のジャンルに仲間入りできるだろうか。(久保田和馬)