「笑点」(日本テレビ系)に、第1回放送から出演していた桂歌丸が、この5月22日の放送をもって司会を引退。その座を春風亭昇太に譲った。
僕は80年代の生まれ。「笑点」は祖父母といっしょに、ブラウン管のテレビの前に座って、しょっちゅう観ていたものだ。先代の三遊亭圓楽が司会をしていた時代から視聴しているが、それでも「笑点」の歴史の、半分程度にしか立ち会っていない。いかに長い歴史を持つ番組かが身に沁みて分かる。(文:松本ミゾレ)
恩歳79歳、体力の限界まで笑点に貢献し、勇退した終身名誉司会者
歌丸さんといえば、ここ最近は度重なる体調不良のために、入退院を繰り返してきた。司会としての勤めを見る限りでは、まだまだ80年は安泰と思えるほどに矍鑠に見えていたが、引退については自身の高齢と体力面での不安が理由と語っていた。
最後のレギュラー出演、大喜利の部分は生放送だったんだけど、正直「これが、私が出題する最後のお題です」のくだりから、僕は涙でよく画面が見えていなかった。
ともかく歌丸さんは、自分のやれる限界ギリギリのところまで、この番組の司会として踏ん張った。今後歌丸さんは「笑点」の終身名誉司会者として、番組の根幹を支え続ける。
5月29日放送回では、6代目司会者となった昇太さんの姿も見所だったが、何より注目せざるをえなかったのが、新メンバーが誰だったか、という点。
これがなんと、2代目林家三平。まだまだ年齢も若い噺家で、家柄も申し分ない。ネット上の意見を見ると「役不足だ」なんて声もあるけど、これはもう誰が就任しても少なからずそういう声はあるだろう。個人的には、番組の若返りに、大いに貢献すると信じたい。
番組プロデューサーは100年先のことを意識して起用
さて、23日に毎日新聞が報じたところによると、新司会者に昇太さんを起用した理由については、番組プロデューサーが「100年番組が続くためには、チームをよく知る回答者がいいのではないかとシミュレーションして決めた」と話している。
100年続ける、ということは、プロデューサーが、自分がいなくなっても「笑点」という番組が存続するために、知恵を絞って司会者の選定をしたということになる。これはなかなかできそうでできない努力ではないだろうか。
今の時代、自分が退職していなくなっても、職場のその後について思いを馳せることのできる社会人が、どれだけいるだろう。こういうことに考えを及ばせるほどに、「笑点」という歴史のある番組には、人を結束させる力があるということかも知れない。
林家三平を新メンバーに迎え、番組の若返りに挑戦した「笑点」は、まさに本気であと50年継続させるための采配のようだ。
笑点の番組作りに、企業が存続するための秘訣が隠されている
僕はこの「笑点」の変革に、学ぶべきところが多分にあるように感じた。人が作っている以上、番組作りも会社の運営も、骨子は変わらないように思うのだ。
創設期からの功労者は確かに丁重に扱うべきだけど、そればかりでは新参者がいつまで経っても成長しない。トップが長居をして、それで上手く回っているうちはいい。しかし、永遠にトップが第一線で戦っていられるわけでもない。
コンテンツの発展を続けるためには、その原動力となる人材を、折を見て変化させることは重要なはず。まさに「笑点」は、それを繰り返してきたことで50周年を迎えたのではないか。
保守的で、変化を容認しがたい風潮の会社は多い。一方で、優秀な若い人材の力を、企業の中心に据える企業だってある。50年後、どちらの企業が生き残っているのか。その予想をするのも面白そうだ。
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