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もしも新しい神様が“女の子”だったら? 『神様メール』のユーモアと女性賛歌

2016年05月30日 16:11  リアルサウンド

リアルサウンド

(C) 2015 - Terra Incognita Films/Climax ilms/Apres le deluge/Juliette Films Caviar/ORANGE STUDIO/VOO et Be tv/RTBF/Wallimage

 「神は初めにブリュッセルを創った」そんな壮大なジョークで幕を開ける宗教的なブラックコメディーだ。英題は『THE BRAND NEW TESTAMENT』、これは「新・新約聖書」を意味し、“神”の娘であるエアがキリスト兄さんの助言によって追加6人の使徒を探す道中、文字の書けないホームレスの男に記させる文書を指すのだが、この通り、本作ではキリスト教的要素が全面に出てくる。かといって、その知識がないとついていけないなんてことにはならない。この映画はいわゆる「余命もの」、日本映画で毎年のように生まれている、良く言えばわかりやすい、悪く言えば慣れてしまったジャンルだからだ。とはいえ“余命”ものとしてのスケールは映画至上最大だろう。なんと全人類に余命が知らされてしまう、しかも神様からメールで…ここからきたのが秀逸な邦題『神様メール』だ。


余命宣告を受けた主婦がゴリラと恋に落ちる? J・ V・ドルマル最新作『神様メール』予告編公開


 さて、監督はベルギー出身のジャコ・ヴァン・ドルマル。25年間で長編3本という極めて寡作な監督なので、この新作は満を持しての公開となる。91年のデビュー長編『トト・ザ・ヒーロー』では孤独な老人が失敗した過去を回想して憎むべき幼馴染に復讐を果たそうとするが、見過ごしていた己の人生の美しさを発見していく。ジャコ・ヴァン・ドルマルはこの瑞々しいデビュー作ですぐさま世界的に高い評価を得た。次の『八日目』(96年)は自殺を考えるサラリーマンがダウン症の障害をもった青年に出会って人生を見つめ直すヒューマンドラマの秀作だ。そして、ある男が自分の人生にあったはずのいくつもの可能性を体験する大作『ミスター・ノーバディ』が2009年に公開され、驚きをもって迎えられた。この監督の虚実入り混じった独特な世界観とユーモア溢れる人生賛歌に魅了されてきたファンも多いはず。ジャコ・ヴァン・ドルマル監督はいつだって「人生」についての映画を撮ってきた。


 本作もまた、余命宣告を通して「人生」を見つめ直す物語である。そんな展開は「余命もの」として別段新しいなわけではない。しかし泣かせの流れには一切向かわず、ひねくれたユーモア全開のエピソードを短編集のように綴っていくのが素敵だ。例えば、女性の肉体の魅力にとりつかれた“性的妄想者”の中年男は残りの83日を無駄にせんと風俗店に通いつめポルノ声優になり、真のロマンスをずっと求めていたマダムはサーカスで出会ったゴリラに恋を教える。


 他にも、恋に落ちる殺し屋や女の子になる少年などの風変わりな小話が、アナログ感覚を残した遊び心あるCG合成と明暗を強調したヴィヴィッドな映像を用いて綴られていく。キャラクターの人生解説から余命わずかでどうするかのドラマがあり、神の娘エアが道を示すために心の音楽を教えていく。その曲に合わせた映像が流れるというお決まりがあり、ショートフィルムやミュージックビデオを何本も見るような面白さもある。しかし、単なるファンタジックなコメディでは終わらない。どのエピソードも「恋愛」と「女性」を軸にしていることに注目しよう。


 キリスト教では元来“神”は父、つまり男性であるとされている。さらに、新約聖書内のコリントの信徒への手紙には「男は神のかたちであり、栄光である」「女が男のためにつくられた」等とまで記されている。このような価値観が仮に現在の社会形成の基盤になっているとすれば、それは大変おぞましいことだ。ジャコ・ヴァン・ドルマル監督はその仮説を提示し、男性中心主義を糾弾する。それこそが「新・新約聖書」で、新たな“神”が現れたとき前代未聞のハッピーエンドが新世界を包み込むことになる。これは大いなる女性賛歌映画なのだ。


 誠に不幸なことに、3月22日この作品の舞台ブリュッセルで過激派組織ISによる報復テロが発生し、またもや多くの犠牲者が生まれてしまった。ISの信じる神はキリスト教とは異なるが、こうした悲劇は今に始まったことではない。宗教を根にした争いや殺戮はこれまで人類が幾度となく繰り返してきたあやまちであり、今でも変わっていない。そんな愚かさについて、この愛の映画を観ると考えざるをえない。(嶋田 一)