トップへ

小金井市の女性シンガー襲撃事件で考えるべき論点 香月孝史が各メディアの報道を整理する

2016年05月26日 11:11  リアルサウンド

リアルサウンド

画像はイメージです。

 今月21日に東京都小金井市で起きたシンガーソングライターの女性への襲撃事件は、詳細が明らかになるにつれて、事件の性質をどこに見出すべきかの議論が徐々に広がってきた。それによって明らかになったのはまた、この事件が浮かび上がらせたリスクの性格がなかなかすぐに整理される方向に向かわず、特定ジャンルへの古典的なステレオタイプに落とし込まれてしまうという論点の混乱だった。


 被害者が第一報で「アイドル」と説明されたことで、事件の原因を「アイドル」というジャンルの特性に求める議論が相次いだ。その後、報道機関によっては、被害者の経歴を踏まえて「ソロシンガーとして活動する大学生」等として説明されるケースもみられ、あるいは24日夜のTBSラジオ『荻上チキ・Session-22』では「女子大学生襲撃事件から考える、ストーカー被害にどう対処すればいいのか?」とテーマ設定がなされ、事件の性質をストーカー被害として整理しなおす動きも生じている。


 そうした整理があらわれてきた背景には、事件の原因を「アイドル」というジャンルの特性に求めるような議論への違和感があったはずだ。「アイドル」という言葉は、そのポピュラーさゆえに「誰でも知っている(≒語れる)もの」として認識されやすいと同時に、「マニアックなジャンル(≒一部愛好者のための“よくわからないもの”)」としても扱われる両義的な単語である。ポピュラーな単語であるだけに「アイドル」という言葉に引っぱられた議論が生まれがちになり、また少なからぬ人にとって「他人事」であるゆえに、その議論はアイドルへのステレオタイプな印象に終始しやすい。今回の事件報道直後、アイドルとの「距離の近さ」を前提にした「特典商法」への考察や是非に論点が収斂し、ときに「昔のアイドルは遠いものだった」式の批評へと話が流れていく場面がしばしば見られ、メディアによってはその傾向は引き続いている。


 先述の『Session-22』にも出演していた吉田豪氏が同番組内やウェブ上で繰り返し説明しているように、まず実情としてとらえるならば事件の被害者を、ジャンルとしての「アイドル」に当てはめるのは適切ではない。まして、「アイドル」という単語に引きずられて、“地下アイドルの実態”への探求を続けることに実効性はない。


 ここで重要なのは、このような論点の整理がなされるのは、今回の事件の被害者が「アイドルではない」という主張それ自体を強調するためではないということだ。「アイドルとファンの近さ」のような、ありがちなステレオタイプに議論が収斂することで、この事件によって示されるリスクの所在がぼかされてしまう。そのことへの異議申し立てとして、吉田氏らの説明はある。先に触れたようにこの事件はまず、ストーカー被害・加害の問題として論じられる必要があるはずだ。そしてまた、芸能カテゴリーとしての「アイドル」であるかどうかにかかわらず、もっといえば芸能活動であるかにかかわらず、広義のスポットライトを浴びる(可能性を持つ)職業・活動をしている人々が常に持ちうるリスクの性質としてとらえるべきものだ。


 芸能活動に代表される、パフォーマーとオーディエンスによって成り立つ活動についていえば、パフォーマーの知名度や規模、活動段階にかかわらず、受け手からの強い思い入れが喚起されやすい関係性といえる。その中でパフォーマーと受け手の感情がいちじるしく不均衡になることも珍しくはないだろう。しかし、そうした強い感情と、凶行に走ることとは別次元の問題である。片方向の「実らない」思いは、どのような立場の関係性であれ世の中には数多く存在する。「実らない」といって、思慕の対象の生命をおびやかしていい道理はない。また、芸能活動に基づいた演者と受け手との関係が、両者に不均衡な感情を喚起しやすいものだとしても、その活動を選んでいる演者側に落ち度を求める筋合いのものではない。付け加えれば、その「実らない」思いは今回の事件をめぐる議論の中でも「恋愛感情」として説明されがちだが、片方向の感情が攻撃性をもつのは、「恋愛感情」なる言葉におさめきれる場合に限らない。ある特定の感情のみに結びつけて考えることは、不均衡な感情の暴走がはらむリスクを矮小化してしまう。


 芸能活動に関していえば、多くのグループアイドルなどのようにマネジメントの組織を設けることは一定のリスク回避になる。マネジメントを持たないことで、リスクに際して演者自身が対応せねばならず、またリスクを起こす当事者との接触も演者個人にゆだねられてしまう。演者と受け手とはまた、感情だけでなく双方についての情報の面でも不均衡になりやすい。そうした状況に対して、マネジメントの存在は演者と受け手との間に、ある「遠さ」を設定できる。今回の事件はそうしたことを再考させるものでもあった。ただしもちろん、それはスポットライトを浴びるタイプの活動にとって、絶対的な防衛策にはなりえない。今回の事件は被害者がライブ出演する予定の会場付近で起きたものだが、ライブイベント等の「現場」は、必然的に演者と受け手の対面状況が作られる。そうである以上、リスクはより普遍的なものだし、「昔のアイドルは遠いものだった」式の話に有効性を求めても仕方ない。


 この痛ましい事件を受けてすべきことは、「アイドル」という大括りな言葉に導かれて、通り一遍の「商法」批判に収斂したり、実態を反映しないステレオタイプを補強したりすることではない。必要なのは、第一にはストーカー被害・加害の事件としてとらえることであり、また究極的にはステージ上と客席相互の信頼によって成り立つしかない関係性において、その信頼関係を維持するための防衛策を考えることだ。(香月孝史)