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『ディストラクション・ベイビーズ』は優れた寓話だーー柳楽優弥、菅田将暉、小松菜奈、村上虹郎の演技が伝えるもの

2016年05月24日 11:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016『ディストラクション・ベイビーズ』製作委員会

 当惑している。何を書けばいいのか、わからないのだ。つまらないわけではない。いや、むしろ、というか、少しでも映像作品が好きであると自認するならば(「趣味:映画鑑賞」となんとなく書くレベルでも)、必ず観ておくべき作品であると思う。ようするに、トップギアで108分を駆け抜ける気迫満点のこの作品に、何か気の利いた風なことを書くのは、野暮に思えてしょうがないのだ。


参考:『ディストラクション・ベイビーズ』真利子哲也監督が語る、新世代役者たちの“目つきの違い”


 あらすじは明瞭である。喧嘩に負けてしまった芦原泰良(柳楽優弥)は復讐を誓い、まるでロールプレイングゲームで経験値を積むかのように、街でストリートファイトに明け暮れる。いきがってはいるがヘタレな高校生の北原裕也(菅田将暉)は、泰良とつるむことで退屈な自分自身から飛躍できるのではないかと思い、行動を共にする。といっても一緒に戦うわけではなく、スマホで泰良のファイトを撮影し、自分より圧倒的に弱そうな対象(例えば女性など)に暴力をふるうのみなのだが。彼らの行動が事件化していくなか、ふたりはキャバ嬢の送りの車を強奪、車中にいた那奈(小松菜奈)を拉致し、逃避行が始まる…というものだ。地方都市の無軌道な若者たちによるダークな青春ロードムービーといってしまえばそれまでなのだが、本作からは決してそんな単純な印象を受けない。


 まずは、何といっても、芦原泰良のカリスマ性だろう。無口で何を考えているのかわからない、ゆえに深淵な人物にも単なる狂人にも見える存在感。「地獄の黙示録」のカーツ大佐(マーロン・ブランド)とでも言おうか。彼の行動には、何らかの哲学すら感じさせられてしまう。社会のルールなどまったく無視した振る舞いは、ヒーロー然とすらしているのだ。その泰良という圧倒的な存在によって、北原裕也や那奈といった凡庸で姑息な普通の人々(言い換えれば、私たち)の「弱さ」や「醜さ」が浮き彫りにされるのである。


 北原裕也は、自分に自信がないゆえに、泰良に引き寄せられ、巻き込まれていく。自分だって何者かでありたいという彼の切実な欲求は、誰しも共感しうるところだろう。そして、裕也が、結局、転落していくのは、その「弱さ」ゆえである。他人に仮託してみても、何者かにはなれないからだ。


 那奈の「醜さ」は、泰良たちに巻き込まれることで、思いもかけない「強さ」となって発揮される。意味もなく拉致され、圧倒的な暴力に晒された彼女が、彼らとどう対峙するのか、その具体的な在り様は劇場で確かめて欲しいのだが、普通の人々が生き延びていくということは、時に「醜さ」やそれゆえの「強さ」が必要なのだろう。生きるか死ぬかというと大きな話になるが、仕事でも恋愛でも、当て嵌まることが言えるのではないかと思う。


 また、ストリートファイトのシーンも特筆すべきものだ。とにかくリアルなのである。いや、殴り合いの喧嘩など、中学生以来経験がないから、もはやよくわからないのだが、時にダラダラと無様であり、時にあっという間に勝敗が決する感じが、何ともリアルに思えるのである。まるで自分も戦いの場にいるような臨場感も素晴らしく、心地いい緊張感を与えてくれる。


 まったく救いがない話のように思われたかもしれないが、そうではない。泰良の弟である芦原将太(村上虹郎)の存在が「希望」なのだ。彼は、友人からの侮蔑に毅然と立ち向かうし、犯罪者の兄を持つ悲しみを乗り越えようとする。そう、泰良とも那奈とも違う「強さ」を持っているのだ。喧嘩は弱い、身長だって(友人たちに比べて)低い、おまけに両親はおらず、犯罪者の兄は行方知れず、海沿いの造船所のプレハブ小屋にひとり住んでいる…と八方ふさがりな状況でも、決してあきらめない姿は、見る者の心を打つのである。


泰良、裕也、那奈、将太という、それぞれ明確な役割を背負った人物を配置することで優れた寓話として成立させながらも、出演者の素晴らしい演技を引き出し、リアリティのある演出でヒリヒリした切迫感のある物語に仕上げた真利子哲也監督の手腕に、今後も期待したい。(昇大司)