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昭和を代表する大女優・原節子を訪ねてーー川喜多映画記念館が伝える、誇り高き女優像

2016年05月23日 16:01  リアルサウンド

リアルサウンド

鎌倉市川喜多映画記念館

 昨年9月5日、95歳でその生涯を閉じた女優の原節子。戦前・戦後に大活躍した大女優として語られる彼女を偲ぶ特別展『映画女優 原節子~美しき微笑みと佇まい、スクリーンに輝いた大スターを偲んで~』が現在、鎌倉市川喜多映画記念館で開催されている。


参考:『断食芸人』が映し出す“現在の日本”と、俳優・山本浩司の“何もしない演技”


 “昭和を代表する大女優”と言われても、今の若い世代にはピンとこないのではなかろうか。それはある意味、仕方がない。原節子の最後の出演作品である『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』が公開となったのは1962年。その翌年、亡くなった小津安二郎監督の通夜に姿を見せたのを最後に公の場に現れたことはほぼ皆無。本人から明確な宣言は出ていないもの、その年に事実上、女優業から引退したとされている。もはやそれから半世紀以上が経過しているのだから、今回の訃報にニュースなどで触れて初めて知った人がいても不思議ではない。私自身も、彼女を知ったのは、たまたま小津監督の名作にして、世界の名作ランキングにもほぼランクインする『東京物語』を見た30年数年前のこと。その時点でも、原節子の女優としての活動はとっくに終わっており、メディアで現況が伝えられるようなこともなく、映画でしか出会えない存在になっていた。


 そのブランクは原節子という女優を伝説化、神格化していく一方で少しづつ忘却もさせたような気がする。そのせいか、今回の訃報に際し、ある一時代を築いた女優としては予想よりも扱いが少なかった気がしてならない。そもそも、映画以外の映像素材もおそらくほとんどないことから、ニュースや特集を組むにも難しいことが予想され、致し方ないことなのかもしれないが……。


 ただ、やはり日本を代表する大女優と言われた存在の彼女の名前がこの訃報をもって最後に聞いたとなってしまうのはしのびない。日本映画の黄金期とされる時期に最も輝いた女優の存在はもっと今の若い世代に知られていいし、その作品に触れないで終わるのはもったいない。そんな折に届いた今回の特別展。訪れてみると映画女優・原節子を、見る・知る・感じる十分で、原節子入門編としてもぴったりといっていい内容だ。


 まず、なにより川喜多映画記念館は、彼女を偲ぶのに相応しい場所といっていいだろう。同館は、国際的な映画人として活躍した川喜多長政とその妻で“日本映画の母”とも称されるかしこの邸宅を改修して設立されたもの。その川喜多夫妻とともに原は海外を旅した縁がある(※そのときの欧米旅行アルバムが今回の特別展では展示されている)。また、原が名コンビとされた小津安二郎と初めて顔を合わせた『晩春』、それに続いての出演となり高い評価を得ている『麦秋』はいずれも鎌倉が舞台だ。さらに鎌倉は原節子が終生を過ごした地。そのことは鎌倉で暮らす人々も鎌倉ゆかりの映画人として心にしっかりととどめている。このことを合わせると、地元の人にしてみれば待ちに待った今回の特別展といっていいだろう。


 その地元の人々の想いは、すでに川喜多映画記念館に向かう道すがらから少しだけ感じられた。鎌倉の駅から川喜多映画記念館までは徒歩で6分ほど。鶴岡八幡宮の方面へ、小町通りを進み、通りを抜ける少し手前を左へ少し入ったところにある。その間、通りの店を何気なく見ていくと、数多くの店先に原節子の肖像がプリントされた今回の特別展のポスターが目立つように貼られている。ここからして、原節子という人が、鎌倉の人々にとって身近で特別な存在だったことが伺えるではないか。実際、原の訃報が届けられたときから、同館には“追悼上映会はないのか?”といった問い合わせが多く寄せられたという。さらに言うと、生前から“原さんはお元気でいらっしゃるでしょうか?”といった彼女の近況についての問い合わせも同館にはたびいたび寄せられていたそうだ。そのことを踏まえるとまさに今回の同館でこのような特別展が開かれるのは必然だったのかもしれない。


 そのいわばホームの地での会は、映画女優・原節子を感じられる品々であふれている。館内に一歩足を踏み入れるとまず目に飛び込んでくるのが、天井近くの壁に飾られた昔なつかしい立て看板用の大型ポスターの数々。これだけで実際に体験したことはないが、どこか戦前から戦後にかけての日本映画黄金期にちょっとタイムスリップしたような気分が味わえる。


 今回の企画展は、こういった出演作のポスターや映画関連の写真が主体。数々の出演作を通して、原節子の映画人生をたどる内容だ。ところどころには、小津監督をはじめ、彼女とタッグを組んだ監督たちが雑誌や新聞などのインタビューに答えた“女優・原節子”評のコメントをパネルで紹介。これは良く知られることだが、“大根役者”と言い切った監督もいれば、小津監督のように彼女の演技に魅了された監督もいて、なかなか忌憚のないコメントが並んでいて、これらの言葉に目を通すだけでもなかなか面白い。そのコメントからは、同時に名だたる監督たちが、原節子という女優に何を見出していたのかも垣間見えるといっていい。一方で、原自身の作品や役へのコメントもいくつかパネルで紹介されており、それも合わせてみると、原節子がどう女優としてどのように開花して成長していったのかも見えてくる。


 また、今回の企画展でもいくつか展示されているが、新聞社のインタビューや映画雑誌の本人の手記など、女優として活動していた期間に関しては、原節子の言葉がけっこう残されている。そこでは、監督と対立したことや自身の結婚観といったことをけっこう包み隠さず語っている。その言葉の数々からは、ある意味、女優をきっぱり辞め、その後、公の場に一切出なかったという原節子の肖像、そしてその生き方が見えてくる。今回の企画展で原節子に興味をもった人は、「原節子 伝説の女優」(千葉信夫著)などあるので、彼女の言葉をたどってみるのも一考。女優というよりひとつ何かを成し遂げた誇り高き女性の自画像が見えてくるはずだ。


 このように女優・原節子の足跡が辿れる本展だが、その中でもひときわ目を引く、いわば大きな見どころといえるのは、写真家・秋山庄太郎氏による原を収めた貴重なポートレートだ。公私ともに親交のあったという秋山氏が撮影したポートレートは女優というより、ひとりの女性としての原節子が写っているかのよう。シンプルで飾り気のない自然体の原の姿が収められている。中には、愛犬とともにパンツルックで収まった、ほんとうにプライベートなショットもあり、これには原節子を古くから知る人も大いに驚くだろう。このフォトは必見といっていい。また、個人的に目に止まったのが、東宝カレンダー。三船敏郎ら当時、東宝所属の銀幕スターが揃い、その月ごとの顔になっているのだが、これがなかなか今ではちょっと考えられない背景をバックに撮られていて、ある意味、シュール。どんなコンセプトで撮られたものなのかちょっと想像がつかないものもあったりして、1ページ、1ページとみていくと思わぬ発見があるのでチェックしてみてほしい。


 そして、同館では特別展とともに原節子出演作品の映画上映も現在実施中だ。今後は、小津安二郎監督の『麦秋』『晩春』『東京物語』、黒澤明監督の『白痴』、豊田四郎監督の『風ふたゝび』、熊谷久虎監督の『智惠子抄』などの上映される。なお、5月27日(金)13:30~は、『晩春』『麦秋』『東京物語』で原節子が演じた紀子を通して、小津監督の戦後を紐解いた『紀子 小津安二郎の戦後』の著者である黒田博氏をゲストに迎えてのトークイベント付き『晩春』上映会が開催される。


 この機会に、女優・原節子の魅力に触れてみてはいかがだろうか?(水上賢治)