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『ディストラクション・ベイビーズ』真利子哲也監督が語る、新世代役者たちの“目つきの違い”

2016年05月21日 06:01  リアルサウンド

リアルサウンド

(c)2016『ディストラクション・ベイビーズ』製作委員会

 柳楽優弥、菅田将暉、小松菜奈、村上虹郎が共演する映画『ディストラクション・ベイビーズ』が、本日5月21日から公開された。本作は、愛媛県松山市を舞台に、無作為なストリート・ファイトに明け暮れる主人公・芦原泰良(柳楽優弥)と、泰良の“強さ”と“狂気”に惹かれていく高校生・北原裕也(菅田将暉)の危険な遊びを描いた青春映画。監督は『極東のマンション』『イエローキッド』などで国内外から高い評価を受ける真利子哲也が務めている。本作が商業映画デビュー作となる真利子監督に、テーマの着想や撮影時のエピソードなどを語ってもらった。


参考:柳楽優弥主演『ディストラクション・ベイビーズ』、主要キャスト4人のキャラクター映像公開


■「泰良に「暴力とはなにか?」を託して、一緒に考えていくような撮影だった」


ーー『ディストラクション・ベイビーズ』は商業映画デビュー作ですが、制作の際にインディーズとメジャーの違いを実感することはありましたか?


真利子哲也(以下、真利子):インディーズとメジャーの違いについて考えてはいるのですが、現場でやることは今までと大きく変わりないですし、周囲の影響で身動きがとれない、ということもなかったです。作品が出来上がってからのプロモーションやその反響と責任などが、これまでとは全然変わってくるんだろうなとは思います。


ーープロデューサーをはじめ、多くの人が関わることで制作面での自由度が下がったりすることはなかったと。


真利子:前作の『イエローキッド』にもプロデューサーはいたので、僕の中で本当の意味でのインディーズ作品は初期の短編作品だけだと考えています。『極東のマンション』や『マリコ三十騎』は撮影から出演まですべて自分で行っていましたから、それに比べると自由度はないかもしれないですね。短編の時は、スタッフもいない状況で一年以上かけてジワジワ完成させていきましたから。本作の場合は、万全とは言い切れませんが、いつも以上にスタッフが充実していたので、そこから得られるものも多かったですし……振り返ってみても良かったことしか思い浮かばないですね(笑)。


ーーむしろメリットを感じていたわけですね。では、本作で“暴力”を題材とした理由は?


真利子:ミュージックビデオの撮影で愛媛の松山へ滞在した時に、十代の頃から喧嘩で生きてきた人と出会ったことがきっかけです。最初はその喧嘩話を聞いて純粋に興奮していたのですが、よくよく考えると、これは実際に起きた“暴力”の話なんだよなって思うようになって。そこから“暴力”って一体なんなんだろうって興味を持つようになりました。同時期に愛媛で開催されているお祭へ行ったのですが、そこにはいい大人たちが公共の場で怒鳴りあう血気盛んな姿があって、それを見てさらに“暴力”への関心が高まった。そこからですね、芦原泰良(柳楽優弥)というキャラクターが生まれたのは。彼に「暴力とはなにか?」を託して、一緒に考えていくような感覚で本作を撮影していきました。


ーー撮影を終えて、「暴力とはなにか?」の答えは見つかりましたか?


真利子:ずっとそのことを考えながら撮影していたのですが、答えが出ないからこそ撮ったというのもあります。ひとつ言えるのは、劇中の喧嘩のシーンと祭りのシーンを並べた時に、自分は“暴力”に対して、わかりやすい結論は出せないなと思いました。倫理的に肯定することはできませんが、“暴力的な衝動”が人間の感情として存在することを否定できない。この題材と真剣に向き合ってきたからこそ、観てくれた人も見終わった時に考えてくれるんじゃないかと期待しています。


ーーなるほど。


真利子:見方によっては、泰良の純粋な狂気に伝染していく人々を描いた物語に見えるかもしれません。でも、十代の頃、なにかに没頭してしまうことは誰にでもあることだと思います。音楽や映画、なんでもいいですが、泰良にとってはそれが“喧嘩”だっただけなんですよ。泰良の行動を理解できない人も多いと思いますが、自分の熱中しているものが理解されないことも日常茶飯事だと思います。だからこそ、神様や怪物みたいな存在じゃなく、泰良を一人の人間として描きたかった。嘘みたいな話だけど、居てもおかしくない。僕が実際に取材した人物は泰良以上に喧嘩に明け暮れていた人だったわけですから。


■「柳楽優弥の演技を見て共演者たちも気合が入っていく感じでした」


ーー柳楽優弥の存在感はすごいものがありました。セリフが少ないにも関わらず、圧倒的なオーラで物語をグイグイ引っ張っていました。


真利子:彼はすごい男ですね。菅田君をはじめとする出演者たちは、柳楽優弥の表情や演技を観ることでどんどん気合が入っていく感じでした。別に彼が何かを言うわけではないのですが、その姿を見て自分も負けてられないって思わせる不思議なオーラがあるのでしょう。僕は僕で、柳楽君に「菅田君に食われるようじゃダメだよ」って発破をかけていましたが(笑)。


ーーその菅田将暉演じる北原裕也が、スマートフォンで録画しながら暴力を振るっていくシーンが印象に残っています。ネット上に拡散された動画から泰良や裕也の個人情報が特定されていくのもすごく現代的だなと。


真利子:脚本を書いている時に少年犯罪が多発していて、スマホで喧嘩しているところを撮って拡散するような事件も実際にありましたし、そこを意識していた部分はあるかもしれません。今回インターネットを描いたのは、泰良を加害者とした時に、弟の将太は加害者家族としてなにか背負うべきだと感じたからです。少年犯罪を起こす人にも家族がいて、その十字架を背負っていく人がいることをきちんと描きたかった。


ーー家族愛や兄弟愛、成長などはあまり描かれていなかったと感じましたが、そこになにか意図はあったのでしょうか?


真利子:松山の港町に住んでいる人たちの何気ない会話や、そこに住んでいるからこそ生まれてくる関係性を丁寧に描きたいとは思っていました。兄弟愛や家族愛も暴力と同じで、明確化できないけど人々の関係性の中には確かにあって。それらをあからさまに描かずとも、感じる人は感じてもらえれば良いくらいの感覚でした。逆に感じないのであれば、それはそれでアリかなって。


ーー暴力にせよ、愛にせよ、リアリティを意識したのですね。


真利子:将太とその親代わりの近藤(でんでん)のシーンにはそれが一番表れていますね。将太が加害者家族という重圧に耐えられずに暴れ出した時、劇中で近藤が投げかける言葉が「黙っとけ」なんですよ。実際そういう場面に直面した時、多くの言葉をかけてあげることはできないはずです。いろいろな人がいるとは思いますが、このふたりの親子関係においては、ただ一緒にいてやることが一番重要だった。将太は「黙っとけ」という近藤の言葉の奥の「一緒にいるから」に気付いたかもしれない。今回の作品は人々の関係性や“暴力”について多くは語りませんが、それを感じさせる描写は詰め込んでいきました。


■「この映画を撮っていく中で希望を感じました」


ーー喧嘩の描写もリアルに描かれてましたね。


真利子:殴られ方や倒れ方はYouTubeのリアルな映像を参考にしました。一般人が喧嘩をしているロシアの映像だったかな。スマホのカメラで普通に撮っているだけの映像ですが、なぜかそこに漂う不穏な空気を感じることができて、観ている人の背徳感を刺激してくるんですよ。それらをフィクションの中でどうやって作っていこうかと。喧嘩を撮っていて面白いなと感じたのは、ある程度冷静であれば相手の出方を伺いながらやるところ。喧嘩と言ってもアクションなので、事前に動きは決められていますが、どう飛び出していくのか、そこには役者同士のセッションがあります。そこは演出と芝居が入り込める勝負所ですね。アクションとは別に、殴られた後の痛がるリアクションも大事にしていきました。


ーー次作に向けてはなにか考えていますか?


真利子:次に関してはまだ具体的に動き出してないですね。この映画に今やりたいことをすべて詰め込んだ感じです。でも、この作品を撮ったことによって、これからも映画を撮っていくことに自信がつきました。


ーー自信というと?


真利子:人材の育成が滞っているのは切実な問題で、特に技術部に若い世代が少なくなっているのはよく耳にします。活動の拠点を海外にすることも増えてきて、これから日本の映画業界はどうなっていくんだろうって考えていたのですが、この映画を撮っていく中で希望を感じました。柳楽優弥、菅田将暉、小松菜奈、村上虹郎と、その世代の役者たちの腹のくくり方というか、目つきが違うなって撮影中に感じたんです。彼らと映画を作れるのなら、きっと日本映画を盛り上げていけるって。撮影する前は、この映画と心中する覚悟だけでしたが、彼らの純粋な気持ちと観客への姿勢をみて、自分もまだまだ勉強して、これからもいい作品を撮り続けないといけないのだと気付かされました。(泉夏音)