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木村拓哉、森田剛、岡田准一……演出家・蜷川幸雄が磨き上げたジャニーズ俳優たち

2016年05月20日 17:21  リアルサウンド

リアルサウンド

(C)タナカケンイチ

 2016年5月12日、日本を代表する演出家の蜷川幸雄氏が肺炎による多臓器不全のために亡くなった。日本国内ではもちろん、アメリカやイギリスなどでも高く評価され「世界のニナガワ」と呼ばれていた蜷川氏は、様々な功績を残している。Bunkamuraシアターコクーン芸術監督や、財団法人埼玉県芸術文化振興財団芸術監督など幅広い肩書を持ちつつ、菊田一夫演劇賞、文化庁芸術祭演劇部門大賞、テアトロ演劇賞、紫綬褒章、文化勲章など、数々の功績も収めている。数々の輝かしい実績を持つ蜷川氏だが、「演劇をメジャーな娯楽へと進化させたこと」と「数多くの“人気タレント”を“一流の俳優”に育てあげたこと」は特筆したい。ジャニーズ事務所とも関わりが深く、現在「演技派」と言われているジャニーズメンバーの多くが蜷川氏の演技指導を受けているのだ。


参考:Hey! Say! JUMP・山田涼介の“会話”はなぜ説得力を持つ? 『暗殺教室~卒業編~』の演技を考察


 例えば、SMAPの木村拓哉。木村は1989年に舞台『盲導犬』で初めて蜷川氏と一緒に仕事をしている。それが木村にとって初のソロ仕事であった。それまでの木村は、ほとんど演技の仕事をしていなかったように思う。まだまだ粗削りな木村に対して、蜷川氏は精神的に追い込む厳しい指導をしていたそうだ。そのストレスによって、髪の毛の一部分だけが白髪になってしまった話は有名である。しかし、木村はこう話す。


「たぶん、ジャニーさんから蜷川幸雄という人に出会わせてもらえなかったら、この仕事をやっていないと思うし、今いないと思う。当時はナメてたから」(『木村拓哉のWhat’s UP SMAP!』TOKYO FM/1月16日放送)


 この言葉の通り、蜷川作品に出演したことで木村は芸能界で演技の仕事をしていく決心をしたのだという。その後、1991年の『映画みたいな恋したい「ロミオとジュリエット」』(テレビ東京系)で主演を果たしたことを皮切りに、テレビドラマや映画で次々と活躍していく。演技の基礎もさることながら、木村は役者としての心構えと覚悟を蜷川氏に教えてもらったのだろう。


 またV6の森田剛も、蜷川作品への出演を経て役者として確固たる地位を築いた一人である。森田が蜷川と初めてタッグを組んだのは2010年の舞台『血は立ったまま眠っている』だ。その後2013年に『祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹~』で再タッグを組み、2016年8月には『ビニールの城』で三度共に仕事をすることになっていた。コンスタントに仕事をしていた2人だが、初めて森田の演技を見た蜷川氏はこう語っている。


「森田君の武器は疎外感だね。世間との疎外感を体の中に持っていること。この現実社会の中に自分の居場所がない。あるフリをしても身体が正直に“居場所がない”と言ってしまっている。それはすごく得難いキャラクターです」(『血は立ったまま眠っている』会見にて、2010年)


 蜷川氏はいち早く森田の強みを見抜いていたのだろう。『血は立ったまま眠っている』では、葛藤や怒りを秘めた青年の良役を、『祈りと怪物~ウィルヴィルの三姉妹~』では熱量と悲しみ、狂気を併せ持つトビーアス役を演じさせている。そして森田の演技は、確立していったのだ。実際、5月28日に公開される映画『ヒメアノ~ル』では、連続殺人犯という心に闇を抱えた役を熱演し、「第18回ウディネ・ファーイースト映画祭」で正式上映されるという実績を残している。これを期に海外では森田の演技は高く評価され、俳優・森田剛として新たな第一歩を踏み出したのだ。


 他にも、V6の岡田准一、嵐の二宮和也・松本潤、KAT-TUNの亀梨和也なども、蜷川氏の手によって育てられたと言っても過言ではないだろう。蜷川氏はかつて「中途半端な仕事をしている役者より、トップを走り続けているアイドルと呼ばれる人のほうが、並々ならぬ努力をしている」と語り、“ジャニーズ=お飾り俳優”という世間の認識を打破した。ジャニーズメンバーたちが蜷川氏から影響を受けたのと同じように、ひたむきな姿勢のジャニーズメンバーたちが蜷川氏の心に影響を与えたのかもしれない。蜷川氏に演技を教わった面々が、その教えを大切にしつつさらに活躍をしていくことこそが、蜷川氏への本当の追悼になるのだろう。(高橋梓)